毎日の夫のお弁当に入れる卵焼き。毎朝、卵二個分を焼きますが、きれいに焼けた日は気分がいいものです。家族のために数十年間ずっと卵焼きを作ってこられた方もいらっしゃるでしょう。今回は、わたしの幼いころの夏休みの思い出と結びついている卵焼きの話です。
小学生のころ、夏休みはきまって家族で愛媛の祖父母の家ですごしました。瀬戸大橋もないころのことで、岡山の宇野から連絡船で高松まで一時間、そこから国鉄予讃線で二時間の旅でした。
昔の祖父母の家は、玄関と台所は土間で、壁は藁をまぜた土壁でした。お風呂は薪をくべて焚きましたし、鶏の産みたて卵と畑でとれた野菜が毎朝の食卓にのぼりました。ハエとり紙も天井からぶらさがっていましたっけ。そんな田舎の暮らしでしたが、庭に祖父の丹精した松や草花が生い茂り、池に錦鯉が泳ぎ、猫は納屋の軒下で涼みながらゴロゴロしていました。シジミやカワニナのすむ庭前の川で、お米も野菜も洗いました。
田舎の夏休みにすることといったら、遊びと昼寝だけ。朝食を済ませたら、弟と一緒に向かいのスーパーマーケットの次男「お店のショウちゃん」を誘いに出ます。ショウちゃんは川魚を捕まえるのがうまく、弟とわたしはショウちゃんの手下でした。ショウちゃんが浅瀬に追い込んだ魚を、弟とわたしがまわりこんで網に入れる。ショウちゃんの「行ったぞ!」の声がかかったら、魚と勝負!なのですが、相手は魚。水中はお手のもの、すぃすいっとふたりの足もとをすり抜けてゆきました。
昼寝の後は、裏山のお寺へ遊びにゆきます。家から境内への階段の最上段まで、「グリコのおまけ」をしてすすみます。ジャンケンは弟より強かったみたいで、わたしのほうが境内で弟を待つことが多かったようです。
お店のショウちゃんがいないときは、畑の向こうに住むヤッちゃんを誘います。ヤッちゃんのお母さんは、ご自慢のブラザー編機で色鮮やかなセーターやカーディガンを編んでくれました。ヤッちゃんもいないとき、しかたなく弟とわたしは別々に遊ぶこともあって、ある日、わたし自身は迷子のつもりはなかったのに、家族みんなでわたしを探しまわり、大騒ぎになったことがありました。何のことはない、わたしは他所さまのお宅に上がりこんで、ちゃっかりご飯をごちそうになっていたのです。血相を変えて訊ねてきた母と祖母の前でわたしがきょとんとしていたので、ふたりともすっかりあきれてしまったようでした。
迷子事件を起こしたり、捨て猫をこっそり拾ってきて家内で飼おうとして祖母に見つかってひどく叱られたこともあり、わたしはよく泣きました。お盆が近くなると、たくさんいるいとこたちがあちこちから三々五々集まってくるのですが、そんなころ、またわたしは何かをやらかして、叱られて台所でひとりメソメソ泣いていました。すると、数日前から来ていたいちばん年長の従兄「ショウゾウ兄ちゃん」が、台所の土間にきて、おもむろに冷蔵庫から卵をいくつか取り出して卵焼きを作り始めたのです。
「くぅちゃん、待っとってや。いま、おいしい卵焼きを作るけんのぅ」
わたしは訳が分からず、指図されるまま水屋から皿と箸と醤油を出して待ちました。まもなく、お皿にショウゾウ兄ちゃんの焼いた黄色い卵焼きがのりました。そのアツアツの卵焼きのおいしかったこと‥、わたしはウサギの目で卵をほおばりながら、さっきまで泣いていたことなどもう忘れていました。その日から、ショウゾウ兄ちゃんは、わたしの「卵焼きの王子さま」になったのです。
いま考えると、何故「くぅちゃんをなぐさめる=卵焼きを作って食べさせる」だったのか解せないけれど、ショウゾウ兄ちゃんのとっさの思いやりは、じぃんと胸にしみました。
ショウゾウ兄ちゃんも、いまはもう白髪まじりのお父さんかしら。お店のショウちゃんはお兄さんと一緒に店を継いで、スポーツカーを乗りまわしているらしい。ヤッちゃんのその後は知らないけれど、お嫁にいって、もうあの町にいないでしょう。愛媛では電車にさえ乗ったこともなかったいとこたちは、ほとんどみな進学を機に東京に出てきました。
川の両岸にコンクリートが打たれて、シジミやカワニナがいなくなり、蛍火も消えました。納屋は閉ざされて猫も去りました。祖父の桃の木は、高速道路建設のため切り倒されました。お寺はまだあります。天の川はまだ見えるかしらん。祖父は逝き、祖母はもう母の顔すら判別できません。でも、夏の朝に卵焼きを作るわたしのこころに、楽しかったあのときはいまも生きています。弟とショウちゃんは川遊びでまっ黒に日焼けしているし、猫はわたしが目を離したすきにおやつを盗み食いします。祖母は幼いわたしをおぶって散歩に出て、道端のお地蔵さんに手を合わせて一緒に「あん」と拝みます。帰宅後は山でとれたヨモギで草もちをついてくれます。そして、卵焼きの上手なショウゾウ兄ちゃんは、ずっとわたしのヒーローです。
処暑の候となり、今年の夏も終わりですね。明日も明後日の朝も、わたしは卵焼きを作ります。いまの王子さま(?)は、枝豆をよい塩加減でおいしく茹でられるけれど、卵焼きは焼けないみたい。それでもまぁ幸せです。秋になったら、父のお墓参りのため、ふたりで四国へ渡ります。
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※ 昨夜(23日)、NHK総合テレビの番組「ためしてガッテン」で、“卵焼きの奥義”を紹介していました。卵焼きを作りつづけて四十年の達人直伝の関東風厚焼き卵の作り方は、「ためしてガッテン」のホームページでご覧いただけます。