雪月花 季節を感じて

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暑中お見舞い

2007年07月27日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 蜩(ひぐらし)の初音を聞いた日の夕まぐれ、近畿地方の梅雨明けの報が届きました。東京でも二日ほど乾燥した晴天がつづきましたのに、梅雨前線が太平洋沖にまだ居座っていて、梅雨明け宣言はどうやら来週までおあずけです。明けてから暑中おうかがいの記事を書きたかったのですけど、しかたありません。わが小魚庵の主・めだか(俳画、賛は「渾々流水(こんこんりゅうすい)」です)と、めだか工房の新作はんこ「桔梗」で、今年のご挨拶とさせていただきます。いくらかでも、涼味を感じていただけましたら幸いです。
 町のあちこちを、夏休みの子どもたちが元気に駆けまわって、ふだんより緊張して車の運転をしています。(しばらくは)宿題のことなんて忘れて、楽しい思い出をたくさんつくってほしいものです ^^


 子どものころは、雷さまが来て梅雨を追いはらってくれるんだ、と思っていましたけれど、今年はほとんど雷鳴を聞きません。気象庁が「梅雨が明けた(梅雨入りした)“もよう”」と表現するようになったのも、季節の変わり目が明確でなくなってきたことの反映かもしれませんね。
 梅雨明け前に発生する雷を「梅雨雷(つゆかみなり)」、梅雨の終わりを「送り梅雨(おくりづゆ)」、そして、梅雨明け後の雨を「もどり梅雨」あるいは「返り梅雨」などといって、どれも季語に見えています。こんな言葉から、ほんのわずかな季を逃さず、スナップショットのように切り取ってしまう感性はみごとなもの。一瞬、一瞬のできごとを拾い集めつつ一年をすごしてゆこうとする態度は、日本人の特徴のひとつといえそうです。全体よりも、それを構成する部分のほうがたいせつで、過去も未来も、「今このとき」を輝かせるための添えものにすぎないようです。また、このことは、雨の季節をもち、水に恵まれた生活をしていることと無関係ではないのでしょう。水と親しむことで、さらさらと流れゆく時に身をゆだねるという処世術を、わたしたちは知らず知らずのうちに身につけてきたのではないでしょうか。

 ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。‥‥
 (鴨長明 『方丈記』 冒頭より)

 夏の川に遊んだときの、ひんやり、さらりとした水の感覚は、いまも鮮明によみがえります。

 とはいえ、何事も「現在」こそ大事とするその性向が、どんな過去も水に流し、未来への明確な展望を持たない日本人として、各方面から責められることもしばしばあるようですけれども‥。

  父のふみ読み返す夕べ送り梅雨 (雪月花)


 暑ささえも友とできたらいいですね。
 みなさま、どうぞおすこやかにおすごしください。


 お知らせです。
 文月二十三日は「ふみの日」でした。昨年の8月1日付記事にご紹介して好評だった光琳かるたの「百人一首」切手が今年も販売されております。昨年のようなおたよりセットはないらしく、今年は切手のみの販売のようです。昨年と同様に、『百人一首』から、春・夏・秋・冬・恋の歌が一首ずつ選ばれています。今年の選歌は下記の五首です。

 人はいさ心も知らず故郷は 花ぞ昔の香ににおいける
 (紀貫之)
 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすちょう天の香具山
 (持統天皇)
 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき
 (猿丸大夫)
 淡路島通う千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ須磨の関守
 (源兼昌)
 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし
 (二条院讃岐)

 毎年このシリーズ切手を集めてゆけば、二十年後には「光琳かるた」が切手でそろうかも‥と、淡い期待を寄せているわたしです ^^ゞ
 詳しい切手の画像は、郵政公社の下記のページをご覧くださいね。

 → 日本の雅を伝えたい ふみの日「百人一首」切手

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祇園囃子

2007年07月20日 | 京都 ‥こころのふるさと
 
 十六日宵山、午後九時三十分。新町通りに面した北観音山の会所二階座敷から、囃子方の男衆たちが一斉にばらばらと通りに出てくる。向かいの逓信病院の敷地に、かれらよりわずかに丈の高い台車が用意され、木瓜・三つ巴・六角会の紋入り赤提灯を吊るし、鉦太鼓を積みこむ。「ほな、そろそろ行きまひょか」の合図とともに、太鼓方・鉦方、その後ろを笛方がつき、慣れた手つきで祇園囃子を奏でつつ、夜更けてもなお人通りの減らない新町通りを南へと下ってゆく。日和神楽(ひよりかぐら)の出発である。

 日和神楽は、全山鉾三十二基のうち、お囃子のある町内の囃子方が山鉾を降り、各町から四条寺町の御旅所まで、祇園囃子を奏でつつ町中を練り歩くもので、翌日の巡行の好天と無事を祈る行事である。各町で往路(町~御旅所)、復路(御旅所~町)のルートは異なるが、四条通りへ出てから目的地の御旅所までは同じ道をゆくわけだから、当然、他の町の神楽とゆきかうこともあれば、四条通りに建つ鉾のお囃子と重なることもある。詳しいことは分からないが、通りで複数の神楽が出合うとき、互いにお囃子で挨拶を交わしたり、相手にゆずったり、あるいは負けじと競い合うかのように聞こえるときもあり、どうやら暗黙の決まりのようなものがあるらしかった。四条烏丸の辻先に建つ長刀鉾のわきを抜けるときであったが、北観音山の神楽を鼓舞するように、頭上から長刀鉾の囃子が滝のように降ってきて、わが身の四方を囃子でつつまれたような感覚とともに、そのとき初めて、祇園囃子というものをわたしは全身で理解したような気がしたのである。何かが、わたしに憑いたのだ。すくなくとも、そこから数百メートル先の御旅所の神前でお祓いを受けるまでは。

 北観音山の神楽は、神前でお囃子を奉納後、寺町のアーケードの中へと消えてゆく。深夜の寺町商店街は閑散としているが、ときに哀調を帯び、ときに高潮する囃子が二重三重にこだまして別世界と化す。寺町を貫くトンネルは異界への入口‥ いや、異界そのものとなるのだ。北観音山にとって、そこは神と交感する場のひとつなのかもしれない。

 こうして、巡行を目前にひかえた京の町が祇園囃子で充たされてゆくのである。各山鉾に天降る神々を歓待し、どうか明日の巡行をおとなしく見ていてほしいと願う。京の町衆は、疫病や戦乱の絶えなかった歴史の中で、つねに荒ぶる神々をなだめすかして生き長らえてきた。都大路を我がものにしようと試みたあまたの輩のことなど、じつは何とも思っていなかったのではないか。そんな愚者たちを相手にするよりも、遺恨を抱きつつ世を去った者たちや神々との交感のほうがよほど大事だったろう。そのことを忘れたとき、京都は京都でなくなる。そう思えてならない。

 祇園囃子は文月だけのものではない。一年中、町衆のこころに絶え間なく鳴り響いているといっても、過言ではなかろう。
 山鉾全三十二基の案内図は こちら をご覧ください。


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 われわれ外部の人間は「祇園祭」というが、各山鉾町では「祇園会(ぎおんえ)」と呼び、「祇園祭」とがんこに言わない人があるという。「会(え)」とは、一年に一度、人びとが思いを一つに合わせて寄りつどうことを表す。つまり、「祇園会」とは、山鉾町に住む者の誇りであり、心意気なのである。このことは、現存する最大規模の京町家・杉本家住宅のご当主である杉本秀太郎氏の『京都 夢幻記』(新潮社 ※)に見えているが、山鉾町に住む人間が一歩町の外で暮らすようになれば、たちまち会の一員でなくなり、その逆もまたしかりなのだそうである。しかしながら、現在の祇園会が、もう町の住人だけでは支えきれなくなっていることは周知の事実であろう。幸い、この会にはつよい求心力があるために、毎年巴紋を描くように町の外からも人が大勢集ってくるのである。仲間に入れてほしいなどと図々しい気持ちは微塵もないのだ。ただ、「祇園会」を支えているそういう人たちのいることを、ここに申し添えておきたかった。
 

 今回の旅に導いてくださったUさま、そして「祇園会」を惜しみなく披露してくださった六角会のみなさまと I さまへ、この場からあらためて謝意を表します。

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※ 『京都 夢幻記』 は、さくら書房 で紹介しています。
 
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こころばかり

2007年07月12日 | 和楽印 めだか工房
 
 梅雨明けもまぢかになって、ようやく関東地方に雨が降り始めました。こちらでは喜雨ですけれども、毎年のように九州から届く大雨による被害のニュースは残念でなりません。ここ数年、被害をもたらす突風や土砂降りが多いのは、やはり温暖化のせいなのでしょうか。そんな異常気象と関係があるのかどうか、先日はもう夏萩が咲いているのを見つけました。ふだんの町角で思いがけず新涼の花に出会い、ふと蒸暑を忘れて立ち止まりました。
 雨の日、消しゴムはんこを使ったオリジナルの和紙小物をこつこつと制作しています。東京の郊外にありますわが家は、メダカの棲息する小魚庵。そこで、最近ここを「和楽印 めだか工房」と名づけました ^^


 さて、2000年7月に(旧ホームページ)「雪月花 季節を感じて」を開設しまして以来、二年間の休止をはさみ、今年で五周年となりました。細々とですがこうしてつづけてこられましたのも、ひとえに訪れてくださるみなさまの励ましのおかげです。この場から、深く御礼を申し上げます。
 これまでは、○○周年とか○○記念ということにはこだわらずにすすめてまいりましたけれども、ようやく五年の節目です、みなさまへの謝意をかたちに‥と思い立ちまして、今回初めて、こころばかりの手づくりの品をご用意させていただきました。めだか工房オリジナルの和紙はがき三枚+しおり一枚をセットにした「こころばかり」です。いつでもお使いいただけるよう、季節を問わない柄ばかりを集めました。このセットを、ご希望の方にお送りいたします。セットの例は上の画像をご覧ください。このほかにも、未発表の文様を多種とりまぜてお届けします。

 めだか工房製「こころばかり」をご希望の方は、お申込みフォームに必要事項をご記入の上、送信くださいね。お申込みは本日より六日間、7月17日(火)まで受け付けております。

 → お申込みフォーム はこちらです お申込み受付は終了しました

 【お申込みフォーム送信の際の注意】
 ・ お名まえとメールアドレスご記入の上、送信ください。
   お名まえはハンドルネームでも結構です。
 ・ メールアドレスは正確にご記入ください。
   発送準備がととのいましたら、メールで送付先をおうかがいいたします。

 ※ はがきとしおりの模様はお任せください。
 ※ ご用意したセット数を大幅に上回るお申込みをいただいた場合は、抽選とさせてください。
 ※ 丁寧に梱包してお送りいたしますので、発送までにはお時間をいただきます。
 ※ 返品はご容赦願います。
 ※ いただいた個人情報は、当プレゼント企画以外には使用いたしません。


 雪月花はリフレッシュ休暇?といたしまして、京都・祇園祭へ行ってまいります。しばらくの間、コメントおよび一筆箋の受付はお休みします。お申込みをいただいた方へのご連絡、およびプレゼントの発送は帰京後になりますので、ご了承ください。


 「雪月花」は、めまぐるしく変化する情報化社会に背を向け、今後も変わらず牛歩モードで更新してまいります。みなさまとも、ゆるゆると末永いおつきあいをさせていただけたら‥とこころより願っております。

 雪月花 拝

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枇杷

2007年07月05日 | 筆すさび ‥俳画
 
 枇杷黄なり空はあやめの花曇り (素堂)

 先月の俳画の画題は「枇杷」。梅雨入りのころは青梅が清々しく感じられましたけれども、梅雨も半ばになりますと、五月闇(さつきやみ)にちいさな灯をともしたような枇杷の実が目にやさしく映ります。うぶ毛につつまれた実にふれますと、気持ちまでぽぅっと温かくなるよう。ただ、食いしん坊のわたしは、もうすこしタネが小さければいいのになぁと思ってしまう‥(笑 種なしの枇杷をつくる研究もつづけられているそうですから、期待して待ちましょう。

 枇杷は、幼いころに毎夏をすごした四国(愛媛)の里山の思い出につながります。枇杷の木を庭に植えると、風通しが悪くなって病人が出るとか、家が衰退すると伝えられていますけれども、田舎の家々の庭で枇杷の木はたくさん実をつけていましたし、ご近所からいただいた枇杷をよく食べたものでした。
 ある日、夕餉の時間になってもわたしが家にもどらないので、大騒ぎになったことがありました。祖母も母も、血相を変えてわたしをさがしまわったのですが、わたしときたら、そんなことはつゆ知らず、ちゃっかりご近所のお宅に上がりこみ、茶の間にすわりこんでいたのです。どうやら、そのお宅の家人であるおばさんに「くぅちゃん、ビワ食べるか?」と誘われて、ふたつ返事で後をついていったとのこと。本人はよく覚えていないのですけど、祖母や母に発見されたとき、きっとそのおばさんはおおいに恐縮したことでしょう。このビワ事件(?)を思い出しますたびに、申し訳ないことをしたと反省します‥


 俳画の賛は「可ぜ(風)寿ゝ(涼)し」。句と画は「不即不離」がいちおう原則ですから、枇杷の句はつけません。枇杷は、もうすこし美味しそう~に描きたかったのですけど、時間切れでした。筆にまず黄を含ませてから黄土をのせて色にツヤを出し、さらに筆先に朱をすこしだけ含ませて熟れた実を表します。濃淡で実のまるみを出すのも筆の扱い方ひとつですから、むつかしいものです。また、今回のように、限られたスペースにすべてをおさめず、一部だけを見せて描く“書き抜き”の手法は、空間の広がりを感じさせてくれて、わたしは好きです。宗達や光琳の扇面画が、良いお手本になります。


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 つい先日のこと、「春行士俳句の世界」の春行士さまが、わたしの鉄線花の絵にとてもゆかしい半夏生の句をつけてくださいましたので、みなさまにも見ていただけましたらうれしいです。

 「鉄線花」‥ 「春行士俳句の世界」 2007年7月2日付記事

 春行士さまは、今年二月に他界した飯田龍太氏(1920~2007、俳人・飯田蛇笏の四男で現代俳句の第一人者、山梨県旧境川村出身)をよくご存知という俳人ですから、わたしにとりましては身に余る光栄となりました。あらためまして、この場から春行士さまにお礼を申し上げます。これを励みにして、今後は俳画だけでなく、句作もしっかりと学びたいと思います。


 雨夜にNHKの大河ドラマ「風林火山」を見ながら、思い出す龍太の句です。隣国どうしが争った戦国の世にも、慈雨はひとしく降りそそぎました。ご冥福をお祈りいたしつつ。

 かたつむり甲斐も信濃も雨の中 (飯田龍太)

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