雪月花 季節を感じて

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きもの日和

2008年10月29日 | きもの日和
 
 先週末、横浜にて主人の会社のイベントがあり、久しぶりにきもので出かけました。関連企業を含めた全社の社員およびその家族が横浜アリーナに大終結、想像以上の盛大なパーティでした。

 かねてからこのイベントにはきもので‥とおもい、忘れかけた着付けを復習して当日にそなえました。家族連れの立食パーティでしたので、よそゆきのきものはよして、お気軽な遊び着です。母がもっていた古いウールの反物を叔母が仕立ててくれたきものに、塩瀬の帯を合わせて。草履は浅草の老舗で誂えたものです。
 前夜から仕度しておきましたのに、当日の朝は着付けに手間どり、その間に主人が洗濯物を干してくれました‥(感謝)


 横浜ロイヤルパークホテルの総料理長による世界各国のお料理とスイーツがたっぷりふるまわれた後、な‥なんと、ひろみ・郷のライヴ・ステージが‥! まさか、きもの姿でひろみ・郷と一緒に「アッチッチ」のふりつけをすることになるとはおもいませんでしたわ ^^; でもね、このイベントのためにわざわざニューヨークから駆けつけてくれたひろみ・郷は、カッコよかったですよ。マット・ゴールドのスーツを着こなし、軽快なステップとアリーナいっぱいに響きわたる声量に圧倒されました。あの年齢で‥、信じられません!
 いまだ興奮さめやらずで、ひろみ・郷のヒット曲メドレーが体中をぐるぐるまわっています(笑


 きもの日和がつづいています。来月2日の日曜日に、日本橋で「きもの・和・日本橋」が開催されます。三井記念美術館にて開催中の特別展「茶人のまなざし 森川如春庵の世界」の招待券をいただきましたので、お天気がよければ、きもので主人とお江戸の街歩きです。



写真/ 産経新聞
 久しぶりに、わが家の愛猫・ひこにゃんの話題です♪
 写真は、ゆるキャラまつり in 彦根 ~キグるミさみっと2008~で、ひこにゃんの仲介により“仲直り”した「せんとくん」と「なーむくん」。さすが、ひこにゃん ^^

 

炊き込みごはん

2008年10月24日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 ごはんのおいしい季節です。新米なら炊き上げた白米がごちそうですし、混ぜずしや具だくさんの炊き込みごはんも、この季節は格別です。昨日は、旬のきのこと冷蔵庫に残っていたごぼうやにんじんにお揚げを加えて、炊き込みごはんをつくりました。炊いているときから、台所は食欲をそそる香りでいっぱいになります。炊き込みごはんを主役にして、一汁一菜で十分です。


 炊き込みごはんを炊いたときは、残りを焼きおむすびにして冷凍しておきます。ひとりのときや休日のお昼ごはんに重宝します。食べたいときに解凍して、オーブントースターで焼きなおせば、お味も食感もつくりたてのときと変わりません。

 写真は数日前のわたしのお昼食。以前炊いた鶏五目ごはんを焼きおむすびにしておいたものです。ぬか漬け、しょうがの甘酢漬け、昆布豆‥などの常備菜があれば、ささっとすぐに用意できます。


 日本人でよかったわぁ‥ としみじみおもうひととき ^^


 霜降の候。これからすこしずつ寒さが増してゆきます。冬は、おかゆやスープ仕立てのリゾットで温まりたいですね ^^
 

黄鮒(きぶな)

2008年10月21日 | 小魚庵だより ‥日々の拾遺
 
 主人と栃木の宇都宮まで日帰りの電車の旅をしてまいりました。写真はそのときのお土産。宇都宮のうつわのお店 「たまき」 のオリジナル郷土菓子「黄鮒最中(きぶなもなか)」です。

 このもなかは、雑誌 『ミセス』 のコラム 「かくれた味うまい味」 で紹介されました。栃木は主人の出身地ですし、いつか食べてみたい!とおもっていたのです。パッケージもかわいいし、包装紙は宇都宮付近を詠んだ詩歌、名所、郷土玩具などの版画でデザインされています。

 まちなかの小橋のほとりひややけき風流れゐて桜散るなり
 (大正九年四月十九日 釜川にて 若山牧水)

 古庭に鶯鳴きぬ日もすがら
 (寛保四年宇都宮歳旦帖より 蕪村)

 法の道あとふむかひはなけれどもこれも八十路の春にあひつゝ
 (蓮生法師)

 箱の中には愛らしい魚のカタチをしたもなかが ^^ 皮はサクサク、あんはツヤツヤで小豆に歯ごたえがあります。三口くらいで食べられちゃうサイズです。


 むかし疫病が蔓延したとき、田川(JR宇都宮駅前)で釣った黄色の鮒を食べたところ病が治ったという言い伝えがあり、以来宇都宮では、初市で売られる黄鮒の張り子をお神酒とともに神棚に祀り、無病息災を祈るようになったそうです。

 「たまき」さんは原材料にもこだわって、北海道産の氷砂糖と小豆に和三盆を使い、特注した木型でひとつひとつ手づくりしています。ひとつ 100円で、箱入りは5個(500円)・10個(1,000円)・20個(2,000円、要予約)があります。地方発送もしていただけます。


 楽しかった旅の思い出は、さっそく消しゴムはんこに。主人とおそろいのしおりにして、楽しんでいます。これでわが家も、無病息災 ^^




 新年用に、たまきさんで黄鮒の夫婦箸を購入。「この箸を使いおろす際は一度神棚に上げてから‥」とあります。
 南宇都宮には、たまきの和食処 「了寛」 があります。大谷石造りの元倉庫を利用したモダンな和の空間で、季節感ゆたかなおいしいお昼膳をいただきました。

 車窓には稲刈りの済んだのどかな田園風景が広がっていました。たまにはこんな日帰り列車の旅もいいものですね ^^

 

「大琳派展」 宗達と光琳

2008年10月17日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 線は神だ、といった人がいる。質の高い芸術に触れるとき、それを感じる瞬間があり、書であれ絵であれ、ゆるぎない確かな線を感じて、感動と同時に安心感を覚える。分かりやすい例でいえば、仙や蕪村、宗達と光琳の、自由自在に筆を操る手から生まれた一筆書きのようなユーモアあふれる絵。対象を消化し尽くした後に生まれる線描画である。逆に、背後にその線を感じぬものに、感動はない。

 そんな線を意識して、「大琳派展」を見る。神的な線の存在は、これまでに何度も光悦や宗達に感じてきたけれど、今回は宗達と光琳を並べて見る機会に恵まれ、ふと、ふたりの線はまったく異質なものであることに気づく。平たくいえば、宗達は線、光琳は線分ということだ。わたしは線と線分の精確な意味を知らないので、線は無限で線分は有限、というくらいの意味で使っている。その意味で、わたしは光琳が、宗達にどんなに私淑してもとうてい及ばないということを、光琳自身がはっきりと自覚していたと確信する。


● 宗達の線
 宗達の真骨頂は、画面をはみ出さんばかりの大柄な絵というよりも、宗達にとっての対象は森羅万象であり、画布は自分をとりまく空間全体であるところにある。神が手すさびに地上絵を描いたようなもの、といえばよいだろうか。実際にわたしたちが見る扇面や屏風は、あくまでもその大画布の一部にすぎない。でなければ、「舞楽図」「蔦の細道図」「和歌巻」など、体ごと吸いこまれてゆきそうに大胆な余白や、悠久の音楽のようなパターンは生まれないとおもう。宗達が無意識に引く線には、行き止まりや終点がない。
 法橋位にまでなった宗達が、その生没年月日すら不明で、人物像などほとんど分かっていないことも、神さびていていい。神は容易にその姿を見せたりしないんだわ、とおもったりする。


● 光琳の線分
 宗達の画境に到達できないことを自覚していた光琳は、独自の線を極めることを選ぶ。『光琳図案』(芸艸堂)などを見ていると、光琳の線は有限だ。かならず始点と終点がある。ところが、光琳の非凡さは、その始点と終点の位置決めにある。宗達を模写するとき、光琳は引くべき線の始点と終点を即座に見極め、さらに構図や線の量に修正を加えることによって、絵を最大限に輝かせ、躍動させる工夫をほどこしていった。ただ、光琳は線分の始点と終点を画面上(画面内)には置かなかったために、トリミングの効果は生き、有限を感じさせない仕上がりになっている。また、光琳の線分は「八橋蒔絵螺鈿硯箱」「流水図乱箱」「佐野のわたり蒔絵硯箱」など、光悦が試みたものの宗達の線では実現できなかった立体的作品を可能にし、新しい境地を拓いた。言い換えれば、宗達を超えるには光琳はあまりにも“器用すぎた”のだ。



 以上のことは、宗達が扇屋であり、光琳が呉服商出身であることも関係しているだろう。末広がりの団扇や扇面と、きものの意匠。描かれる絵が、無限と有限になるのもうなづける。宗達の地上絵はきものにどうにも納まりきらないが、光琳デザインはどこをとってもきものの意匠である。神さびて謎めいた宗達にくらべ、光琳の魅力は、見る者に「光琳でなきゃ、できない」とおもわせ、本人にまったくその気はないのに、どこまでも、何をやっても光琳が露になってしまうことにある。わたしは、光琳の隠しごとのない人間性に強烈に惹かれるのだ。


● 光琳以後
 さて、抱一と其一になると、もう写真のような世界。限られた枠にみごとな構図できっちりと納まる。線分の始点と終点も、その枠内にある。今回の展観で、抱一がそっくり模写した光悦と宗達の「和歌巻」を初めて見たが、みごとな模写にもかかわらず、不思議なことに光悦と宗達の地上絵はもうそこに存在しない。「夏秋草図」は別格としても、きれいさなら一流の抱一の魅力は、蒔絵などの小品にもっとも光っているとおもう。蒔絵師の原羊遊斎との合作などは、何度見てもすばらしい。琳派はかろうじて抱一、其一の時代までであろうと考える。


 光悦と宗達が宇宙なら、太陽系が光琳で、その恩恵を享受した星々が抱一と其一。 ‥などと、いつも突飛で愉快な想像をさせてくれるのもまた、琳派の魅力である。



 最後に‥ 神さびた線なら、現在サントリー美術館と国立新美術館で同時開催中の「巨匠 ピカソ」展でも触れることができる。わたしは、ピカソにも、宗達や光琳と同じ類の線を見ている。
 

お福さん

2008年10月15日 | 筆すさび ‥俳画
 
 俳画のお稽古を始めてから二年が経ちました。三年目に入るいま、先生から福々しい画題をいただきました。「お福さん」です。有難いことです ^^
 お福は、福助の奥さん(一説には愛人)とか‥? 福助の苗字は「叶(かのう)」で、叶福助といいます。「願いがかなう」の意味をこめているんですって(笑

 こんな単純な絵は、ひとつひとつのパーツがとても重要で気が抜けませんし、ごまかすことができません。目と口の位置やバランス次第でもまったくちがうお顔になりますから、緊張して描きます。賛は、お福さんがにこやかに笑うようすをひと文字で表現した「莞」。「莞爾(かんじ)」あるいは「莞然(かんぜん)」とも書くそうです。

 これまでは、筆の扱いに慣れることと、調墨と彩色の方法をつかむことに必死でした。まだまだおもうような線も色も出ませんけれども、今後は筆を運ぶ速度や筆圧にも気を配り、そこから生まれる線に意識をおいて、「俳画は線で描く」という先生の教えをわずかでも体得したいとおもっています。


 お福さんのような絵を見ますと、もう新年のことを考える季節なのかな‥とおもいます。今月も半分すぎました。月末には賀状の販売が始まります。そして、俳画教室の次回の画題は、来年の干支「丑」です。
 

栗名月

2008年10月10日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 寒露の候となり、本格的な秋をむかえました。町は金木犀の香でいっぱい。銀色に輝くすすきが風にゆれています。路上を舞う枯れ葉の音も聞こえるようになりました。

 明日11日は十三夜、後の月ですね。東京の天気予報はまずまず、おうちでのんびりと月の出を待つつもりです。下ごしらえしておいたゆで栗で栗茶巾をつくり、お供えしています。辰砂釉(しんしゃゆう)のこっくりとした紅色の皿にのせ、深まる秋を表現。銘はもちろん「栗名月」です ^^


 栗にシロップを少量加えただけの素朴なお菓子は、ほっくりとして栗そのままのお味が真情です。粒をすこしのこしつつ栗をつぶしてゆくと、栗色の生地からいっぱいに香がたちます。手のひらでやさしく、ひとつひとつ仏さまをつくる気持ちでまるめます。

 先をちょっととがらせた(キューピーさんの頭のような)形のピンポン玉大の生地をぬれぶきんでつつみ、きゅきゅっ、としぼります。転がらないよう、底をすこしへこませて。茶巾づくりのもっとも楽しい作業です ^^♪

 レシピは 『私が作る和菓子』(ベターホーム出版局) にあります。和菓子づくりが楽しくなる本です。

 400gの栗から 9つの茶巾ができました。ひとつひとつ、表情がちがいます。


 準備は完了。十三夜には、また栗ごはんを炊きましょう。


 後かたづけを済ませ、ほっと一服‥ 栗たちも、これで成仏したかしら。


 栗一粒秋三界を蔵しけり (寺田寅彦)

 栗菓子をはさみ笑顔の月夜来る (雪月花)


● ● ● ● 栗づくし ● ● ● ●


 こちらはとらや製 「栗鹿の子」。主人のおみやげです。つやつやの栗の甘露煮であんをつつんでいます。

 とらや製 「栗名月」 もあります。わたしの田舎茶巾とちがって、さすがに上品です(笑

 

お味噌汁のこと

2008年10月08日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 
 お味噌汁はおふくろの味と申します。地域やご家庭でお出汁もお味もちがいますし、具材によってバリエーションは無限といいましても過言ではないでしょう。塩分と良質な大豆たんぱく質の補給に欠かせない一品として、室町期ころからまず庶民の食卓にのぼり始め、やがて武士階級に広まりました。

 一日一杯のお味噌汁を食していますか?

合わせ味噌に具だくさん‥がふだんのわが家のお味噌汁です。吸い口はねぎ、みょうが、ごま等々、具により変えています。
写真は、ぶなしめじ、ほうれん草、油揚げのお味噌汁。数種の野菜に油揚げや豆腐を加えて、野菜不足を補うこともしばしばです。

お味噌汁の具なら、何がお好きですか? 主人はじゃがいも、わたしはさやいんげん ^^


 毎日のお味噌汁の具を考えながら、おもい出すことがあります。高校時代の友人の言葉なのですが、あるときその言葉がふとよみがえってきて、以来忘れたことはありません。


 友人もわたしもまだ若かりしころのこと。おしゃべりの話題のひとつに、将来結婚するならどんな人がいい?と語り合ったときのこと、友人が「食事のはじめに、まずお椀を手にとってお味噌汁をすーっとひとくち飲む人がいいの」と言うのを聞いて、その観点の意外性におどろき、かつとても新鮮で面白く感じられたものでした。ちなみに、そのときわたしはいったいどんな条件を語ったのでしょうか、まったくおもい出せないのですけど。

 その後社会に出てからは、当時の他愛のないおしゃべりも、斬新だった友人の“お味噌汁発言”もすっかり忘れて、互いに忙しい日々をすごして歳月は流れてゆきました。


 都心の某ビルの地階にとらや系列の和食処がありました。(知らぬまに閉店したようです) 忘れもしません、そこは結婚前の主人とわたしが初めて会食をしました場所。お昼でしたから、お弁当とお椀が同時に出まして、ふた付きのお椀にまず手を伸ばした主人が、そのままお椀を手にとり口もとに運んだのですね。そのときです、長年地中にかくれていた水が伏流水となって地表にあふれ出るように、十数年前の友人の言葉がよみがえりました。それも友人の声で、「食事のはじめに、まずお椀を手にとってお味噌汁をすーっと‥」って。「あらっ‥」とおもい、しばし主人をまじまじと見つめてしまいましたものの、まさか友人の言葉をその場で披露するわけにもまいりませんから、その後は和やかなお昼の膳になるようこころがけました。(う~ん、初々しかった?)

 もちろん、そんな理由ひとつで主人と一緒になったのではありませんけど、インパクトは大きかったと言わざるをえません。いまも変わらない主人ですが、気恥ずかしくて友人の言葉を伝えたことはありません。おもい返すたび、友人のご主人もそうなのかなぁと想像するばかりです。


 現在は仕事とふたりの子育てに忙しい友人ですが、久しぶりに会えそうなので、思いきって今度はこのことを話してみよう、とおもっています。彼女、自分の発言を覚えているかしら。


 ご参考までに ^^ 「味噌汁行脚
 

文様印(15) 流れ菊

2008年10月03日 | 和楽印 めだか工房
 
 十月七日は旧暦の九月九日、重陽の節会(せちえ)を迎えます。新暦の九月九日は「救急の日」としてすっかり定着していますから、旧暦で菊の節句におもいをはせましょう。

 菊花は、長寿と若返りの象徴として季節を問わず用いられる意匠です。菊水、菊慈童、着せ綿など物語として伝えられたり、水、露、酒と結びついて、神秘的な力をもつものとして古くから尊ばれてきました。「菊水」の家紋や皇室の紋章である十六花弁の菊文は、みなさまも目にしたことがあるでしょう。流水に菊をあしらった「流れ菊」は、時のうつろいをも表現した情緒的な文様です。


菊水紋

 「流れ菊」のカレンダーは こちら です。


 源氏物語展を開催中の横浜美術館にて、源氏研究家で歌人の尾崎左永子先生の講演を聴いてまいりました。テーマは「王朝びとの恋」。『源氏物語』においても、菊花が重要な役割を果たしていることを教えていただきました。

深き秋のあはれまさりゆく風の音、身にしみけるかなと、ならはぬ御ひとり寝に明かしかねたまへる朝ぼらけの霧りわたりけるに、菊のけしきばめたる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さし置きて去にけり。今めかしうもとて、見たまへば、御息所の御手なり。
「聞こえぬほどは、おぼし知るらむや。

 人の世をあはれときくも露けきにおくるる袖を思ひこそやれ

ただ今の空に思ひたまへあまりてなむ。」とあり。

(『源氏物語』 「葵」 より)

菊のけしきばめたる(枝に)‥」というのは、白菊がしおれて紫色に変わりつつある状態をいうそうで、そんな菊のひと枝に添えた六条御息所の文にある歌にも、「あはれときく(聞く、の意に「菊」をかけている)も露けきに‥」とあり、露にうつろう菊花が詠みこまれています。

 『源氏物語』は、花も人のこころも、そのうつろいをもっとも大事にした物語なのですね。


 時折主人がとらやさんで生菓子を買ってきてくれます。うす紅色の菊の花弁がみごとなこのお菓子、銘を聞くのを忘れてしまったそうです。おめでたい気分をこめて「菊寿」としました ^^

 重陽は秋の収穫の時期にあたるため、「栗の節句」ともいわれます。とらやさんでは、この菊のお菓子といっしょに「栗鹿の子」も販売しています。