雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
2019年~Instagramへ移行しました 

文様印(七) 姫小松

2007年10月31日 | 和楽印 めだか工房
 
 前の記事「ひきざんのくらし」に、みなさまからたくさんのご感想と「秋も深まってきました」という季節のおたよりをいただきました。有難うございました。東京は、台風20号があわただしく過ぎ去った後、木々の葉の色づきと落葉がすすんでいます。夏の猛暑と秋になっての朝晩の急な冷えこみという、美しい紅葉をもたらす条件がそろったようですから、これからの錦秋が楽しみです。とはいうものの、霜月になると同時に年賀状の販売が始まり、日は足早にすぎてゆくでしょうから、そろそろ新年の準備を始めなくてはいけませんね。
 先日、図書館から折形の本を数冊借りてきまして、手もちの半紙で箸袋やぽち袋などを折り、おめでたい柄の消しゴムはんこでデザインしてみることにしました。スタンプカーニバルが終わるまで、作品をつくるために毎日のように和紙にはんこを押す作業の繰り返しでしたから、最近は新作のはんこを彫るのが楽しくてしかたありません ^^


 そこで、久しぶりに新作文様印のご紹介です。新年の準備を兼ねまして、おめでたい柄のひとつ、「姫小松」という若松を意匠化した繊細な文様を。はがきとぽち袋をそれぞれ和紙の色を変えてつくってみました。さらに箸袋も作成中です。
 スタンプカーニバルでもお話させていただいたのですけど、同じ柄でも、組み合わせる和紙とスタンプインクの色によって表情がガラリと変わります。上の画像は明色ばかりの組合せですけれども、思いきって黒や深緑などの暗色の和紙に、金や銀のインクで柄をのせてみますと、とてもモダンな印象になります。地色とインクの色を変えることで、はんこを押すという単純な作業が何倍も楽しくなります ^^


 この夏、姫小松の柄の江戸からかみを張りまわしたちいさな行灯(左上の写真)を購入しまして、夜になると枕もとに置いて灯を入れ、その明かりで読書をいたします。白の手漉き和紙に金の姫小松の散らし模様は、行灯に灯を入れていないときは目立たないのですけど、卵色の灯がともりますと、金色の姫小松がぽぅっと浮かび上がって、それはそれは美しいのです。あまりきれいなので、本を読むことを忘れてその灯りに見入ってしまうこともしばしば。むかしの人が、ほのかなろうそくの灯りの中で、金泥銀泥に彩られた屏風絵や金糸銀糸を織りこんだ衣裳が闇に浮かぶのをうっとりと見つめたり、漆器にほどこされた蒔絵がにぶい光を放つのを愛でた気持ちが分かるような気がするのです。谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』(※)を読み返したくなるのも、こんなひととき。

 美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。‥‥
 諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げかけているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。‥‥長く輝きを失わないで室内の闇を照らす黄金と云うものが、異様に貴ばれたであろう理由を会得することが出来る。私は前に、蒔絵と云うものは暗い所で見て貰うように作られていることを云ったが、こうしてみると、ただに蒔絵ばかりではない、織物などでも昔のものに金銀の糸がふんだんに使ってあるのは、同じ理由に基づくことが知れる。‥‥
(『陰翳礼賛』 より)

 江戸からかみを張っただけの単純な行灯は、もし和紙がいたんでしまったら別の柄のからかみに張り替えてもらえますし、畳の間の片隅に置いておくだけですてきなインテリアにもなります。ゆったりと夜をすごすのに最適な和小物です。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 和のくらしへ 

 一筆箋 ‥季節のおたより、当ブログへのご意見・ご感想をお待ちしています


※ 『陰翳礼讃』 は さくら書房 で紹介しています。
 

ひきざんのくらし

2007年10月24日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 
 秋の終わりの節気、霜降を迎えました。乾いた秋晴れがつづいていますものの、風のある日はカサコソ‥と枯葉の舞う音も聞こえてきますし、夕陽がつるべ落としのごとく落ちて、雀時色にうつる空をながめていますと、わけもなく憂愁に閉ざされてしまいます。気分転換に思いきって家じゅうのカーテンをすべて洗ってきれいにしましたら、部屋の中も気持ちもいくらか明るくなりました。カーテンをとおして風が吹きこみますと、ふわりと(柔軟剤の)花の香がただよいます ^^


 不惑を迎えたころから、人生を八十年と仮定するなら、ちょうど折返し地点をすぎたところだと意識するようになりました。さらに、八十年を一日二十四時間に換算すると、わたしはいま正午をすぎて午後一時にはなっていないという、晴れた日ならもっとも日光のつよい時間帯を生きていることになります。そう考えますと、わたしと年齢の近い男性がみな働き盛りといわれることもなんとなく納得できますし、うれしいことに、女性は四十代こそ陽光に向かって咲き誇る大輪のひまわりといえるかもしれません。実際、仕事、子育て、社会活動に精一杯がんばっている同年代の人はたくさんいますし、時折この年齢でブログの記事を書く余裕があるなんて恥ずかしいことかも‥という気持ちになります。いえ、その気持ちを忘れてはいけないと思っています。でも、それより何より、わたしには「もう折返し地点をすぎてしまった、この世にいられるのもあとわずか‥」という思いがつよいのです。

 「死は前よりしも来らず。かねてうしろに迫れり」(『徒然草』 百五十五段より)と覚悟するほど潔くはないので、せめて八十歳を人生の終点として、そこから逆算をしてみるのですね。つまり「あと四十年足らず」と考えます。でも、終点まで無事にたどり着けるかどうかなんて分かりませんから、もっと短く見積もってよいでしょう。そうしますと、最後を迎えるときの、理想の自分の姿にできるだけ近づくためにどうすればよいか、案外明確に見えてきます。たとえば、くらしについてなら、「雨露をしのぐささやかな家、夫とふたり分だけの野菜をつくる畑、衣類やきものが数点、最低限必要なお金とくらしの道具」といったところでしょうか。(わたしたちの老後は年金が支給されるかどうかすら不明ですから、これでも贅沢かもしれませんけど、そのことはいますぐ解決できないので考慮に入れません) そこでハタと気づくのは、そんな理想の“身軽なくらし”にひきくらべて、いまのわたしはあまりにも不要なモノを持ちすぎているということでした。(勘違いなさらないでくださいね、これでもわたしはかなり持ちモノのすくないほうです。でも、死ぬまで必要なモノなんて、ほんのわずかなはずですから)

 そこで、これからすこしずつ身のまわりの整理をしてゆくことに決めたのです。老いてしまってからでは、こんなにたくさんのモノを整理するのはたいへんでしょうから。これまでは「たしざんのくらし」でしたけれども、これからは「ひきざんのくらし」です。ひいてひいてひいて‥かぎりなく0(無)に近づけるように─「老いじたく」をとおり越して、きれいさっぱりとこの世からおさらばするための「死にじたく」─です。

 晴天の風通しの良い日を選び、まずは箪笥や押入れから不要なものはないかと真剣に?探しています。モノにあまり執着のないわたしでさえ、いったんは処分しようと決めたのに、最後に迷ってしまってふたたび箪笥にもどしてしまうことも‥。なかなか時間と手間のかかる大仕事になりそうです。 ‥主人が、「ぼくのたいせつなモノまで処分しないで」と、不安そうに見つめています(笑


 片付けをしながら、ふと思います。「ひきざん」は、かつての日本のくらしでは当たり前のことだったのではと。くらしだけでなく、一般に日本の良きもの、伝統あるものにおいては、余分なものを省いたり削ったりということを繰り返してつきつめてゆき、最後にのこったものをよしとしてきたのではないかしら‥と。いつのころから、わたしたちはたしざんのくらしを追い求めるようになったのでしょうか。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 和のくらしへ 

 一筆箋 ‥季節のおたより、当ブログへのご意見・ご感想をお待ちしています
 

秋は琳派

2007年10月17日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 秋冷の候 散歩道に白椿をミニチュアにしたようなお茶の花を見つけました。ちいさな花弁は雪片のよう‥と思っていましたら、北海道から初雪のたよりがとどきました。耳をすませば冬の足音が聞こえそうです。


 みなさまも思い思いの芸術の秋をお楽しみのことと思います。東京近郊の美術館や博物館におきましても興味深い企画展が目白押しで、できるだけ絞って鑑賞するようこころがけているわたしも、つい迷ってしまいます。それでも、秋のはじまりは「琳派」と決めて、毎年これだけは守りつづけています。秋はどこかでかならず琳派展が開催されます。今年は、吉天さんからご案内いただいた「社団法人日本伝統染色工芸保存協会創立三十周年記念特別展 琳派百図展」(10月20日(土)、於:時事通信ホール)を皮切りに、出光美術館の「乾山の芸術と光琳」をめぐるのが楽しみです。わたしの琳派好きは相変わらずです ^^ゞ

 「琳派百図展」と聞いて、久しぶりに古い本を書棚からひっぱり出しました。1974年春に刊行された『別冊太陽 琳派百図』(平凡社)です。(右上の画像) これは、いまは亡き田中一光氏(たなかいっこう、1930-2002年、琳派に影響を受けた日本を代表するアートディレクター、グラフィックデザイナー)が構成したたいへん貴重な─わたしにとっては奇跡のような、およそ二百年前に酒井抱一が琳派顕彰のために編んだ『光琳百図』の現代版ともいえるような─ 一冊なのです。水尾比呂志氏(美術史家、民芸運動家)と田中一光氏の対談記録を読み返しますと、あらためて「琳派デザイン」が日本の美術・芸術の根幹をなしていると実感します。
 いま「琳派デザイン」といいましたように、琳派は(すくなくとも光琳、乾山の時代までは)一流のアートディレクター兼デザイナーだとわたしは思っています。絵師の絵ではない。同じく江戸期に活躍した狩野派、土佐派、雪舟や長谷川等伯などは、時代の要請に応えた絵を遺しましたが、それ以上のものにはなりえなかった。それに対し、宗達、光悦、光琳、乾山は、当時もっとも経済力をもっていた町衆の芸術で、庶民の暮らしのすみずみまで浸透したデザインだったということは、もっと意識されていいとつねづね思っているのですが、そのことをこの本の中で田中一光氏が指摘されていて感激した覚えがあります。琳派は、その独特の技法で“生活文化”を完成し、その源流は時を越えて現代までつづいています。

 たとえば、上の画像の「光琳○○」という図案の数々は、みなさまもきっとどこかで目にしたことがあるでしょう。(わたしには、即消しゴムはんこにしたくなる図案ばかりなのですけど ^^) 田中氏の言を借りれば、「まんじゅうに、ちょっと光琳紋を入れるだけで一応かっこうがつく」という、まさに融通むげなデザイン。なるほど、おまんじゅうに永徳や雪舟の絵の焼印を入れても、ちっとも美味しそうには見えないかも(笑) 「円形、ふくらみ、ユーモア、リラックス、トリミング‥」が琳派デザインの重要なキーワードですけれども、これは京のみやびそのものであり、さらに江戸の粋をも包含しているといっても、過言ではないでしょう。
 拙記事「伝統工芸との距離」にも書きましたように、これからの工芸は生活文化となりえるか、現代の暮らしにどこまで入りこめるかが重要と考えます。


 いつでしたか、京都は上賀茂の社家町界隈を歩いていて、ふと立ち寄った公開中の社家で、宗達の「風神雷神図」を織りこんだ帯を見せていただいたことがありました。その技術もさることながら、宗達の筆の勢いをみごとにとらえていて、光琳や抱一の「風神雷神図」よりもずっと宗達の絵に迫っているのではとさえ思われた逸品でした。西陣の帯とのことでしたけれども、西陣にこれだけの腕をもつ職人さんがいる、ということに心底驚いたことでした。きっと、この職人さんも今回の「琳派百図展」に出品しているにちがいない‥と期待はふくらみます。

 10月20日の一日のみの開催となる「琳派百図展」。みなさまも、ぜひこの機会に琳派のインターナショナル・デザインに触れてみませんか。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 和の暮らしへ 

 一筆箋 ‥季節のおたより、当ブログへのご意見・ご感想をお待ちしています
 

笑み栗

2007年10月12日 | 筆すさび ‥俳画
 
 寒露の候となり、朝夕は冷えこむようになりました。まだ鳥も鳴かない暗いうちからふとんを出るのが少々つらい季節です。わが家はようやく衣更えを済ませて、夏に酷使した扇風機をきれいに掃除して片づけ、敷物やスリッパなどの日用品も秋冬物に替えました。これからゆっくりと秋を満喫するつもりです。みなさまはどんな「○○の秋」を楽しんでいらっしゃいますか。


 先月の俳画教室の画題は「栗」でした。焦茶、黒茶、黄土、お墨の四色で、濃淡を生かして枯淡に仕上げます。
 秋の深まりとともにいが栗がはじけて、いがの中の実がのぞいているようすを「笑み栗」あるいは「栗笑む」といって、歳時記にあります。そういえば、強面(こわもて)のいが栗が口をあけて「にっ」と笑っているように見えませんか。こんな楽しい表現を、いったい誰が思いついたのでしょう。

 嚇々(かくかく)と大毬栗の口中よ (井沢正江)
 書き散らす半紙が上の栗笑ふ (雪月花)

自宅で笑み栗の絵を書き散らしていましたら、ほうぼうから「嚇々‥」という栗の笑い声が立ってくるようでした。


 お彼岸に墓参もかねて主人の里ですごしたのですが、義父母の畑にまるまるした大粒の栗がたくさんなっていまして、笑う栗を竿で落として籠いっぱいに拾いました。「虚栗(みなしぐり、実無し栗とも)」という季語がありますけれども、よく見ますと、いがの中にはつぶれたり大きくなれなかった栗の実も入っていて、夏の間いがの中では激しい生存競争が栗?ひろげられていたことを知って、ちょっぴりかなしい気持ちになりました。

 赤とんぼ栗盗人を見張りをり (雪月花)

頭上には、栗畑を見守るように無数のトンボが舞っていました。

 帰京後、さっそく栗ごはんをつくりました。ゆで栗にして持ち帰ったので、昆布・お酒・みりん・塩で味つけをして炊いたごはんに栗をまぜるだけ。二十粒の栗の実で六合分の栗ごはんができましたから、栗の実の大きさを想像していただけると思います ^^


 里の稔りをいただくたびに、主人の子どものころのようすを想像するのです。きっと、「蝶よ花よ」と愛情をたっぷりそそがれて育ったのでしょう。わたしもまた、母の手料理にお弁当、祖父母の丹精した里の味を知っていることの幸せを思います。時折、声に出してみます。ふ・る・さ・と‥ このぬくもりのあることばには、親が子や孫を思う気持ちがあふれていますね。ふるさとがもたらしてくれるものは計り知れません。

 『万葉集』にこんな歌がありました。秋は、恩愛の深さ、有難みをしみじみと実感する季節でもあります。

 瓜食(は)めば子ども思ほゆ
 栗食めばまして偲はゆ
 何処(いづく)より来りしものぞ
 眼交(まなかい)にもとな懸(かか)りて
 安寝(やすい)し為さぬ

 反歌
 銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに
         まされる宝(たから)子に如(し)かめやも

 (『万葉集』 山上憶良)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 和の暮らしへ 

 一筆箋 ‥季節のおたより、当ブログへのご意見・ご感想をお待ちしています
 

スタンプカーニバル・レポート

2007年10月09日 | 和楽印 めだか工房
 
 遅ればせながら、「和楽印 めだか工房」のスタンプカーニバル・レポートをお届けいたします ^^

 10月6日(土)、7日(日)の二日間、東京浅草にて日本初のスタンプ専門イベント・スタンプカーニバルが開催され、「和楽印 めだか工房」にとって初めてのイベント参加となりました。両日とも清々しい秋晴れにめぐまれて大盛況。おかげさまで、とっても地味な活動をしていた「和楽印 めだか工房」にもたくさんのお客さまがお見えになり、めだか工房の製品350点余りをお買い上げいただきました。人気の品は、上の画像のほかに、れんこん、鈴、鉄瓶、たいやき、小豆柄のぽち箋やぽち袋。(完売御礼) ささやかな手づくりの品ばかりですけど、手にとってご覧くださったみなさまに、日本の伝統文様の斬新なデザイン、色合わせの美しさ、ぬくもりのある和紙の手ざわりを実感していただけたことが何よりのよろこびでした ^^

 二日目は品薄だったために、何人かのお客さまのご要望にお応えできなかったこと、そして、わざわざお運びいただいた方々とゆっくりとお話する余裕がなかったことがこころ残りです。また、展示も販売も初めての経験で、いたらない点も多々あったことと思います。お許しくださいね。

 ひとくちに「スタンプ」や「消しゴムはんこ」といいましても、出展者のみなさんの表現方法はひとりひとりちがってじつに個性ゆたかですし、お客さまのお好みやご希望も十人十色。にもかかわらず、会場にいるみんなの顔に笑顔が生まれ、うれしい出会いがたくさんあり、楽しく充実した二日間でした。これも、実行委員のみなさまのご尽力と、参加者および来場者のみなさま全員の協調のたまものと思い、感謝の気持ちでいっぱいです。


 ご自邸のお庭の金木犀の一枝を、スタンプカーニバルの会場まで届けてくださった方がありました。イベントの準備に追われているうちに季節はうつろっていたようです。浅草からの帰り道、風に甘い木犀の香を感じました。

 2008年8月には「第二回 スタンプカーニバル」が予定されています。次回はさらに充実したイベントとなることでしょう。来年の夏、ふたたびみなさまにお目にかかれますように。有難うございました。

 雪月花 拝

【めだか工房の今後の予定】
当面はこれまでどおりブログ上に作品を発表してまいりますが、スタンプカーニバルをきっかけに、ワークショップや製品販売のご要望を有難くいただいております。今後そのような機会がありましたら、かならずブログ上でご案内いたします。
【めだか工房についてのお問い合わせ】
一筆箋、またはめだか工房の名刺および広告に掲載したメールアドレスまでお知らせください。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 和の暮らしへ 

 一筆箋 ‥季節のおたより、当ブログへのご意見・ご感想をお待ちしています
 

文様印(六) ぽち箋

2007年10月04日 | 和楽印 めだか工房
 
 お彼岸後のきびしい残暑にうんざりしていましたのに、神無月は一転してつめたい秋雨で明けました。気温も20℃を切る肌寒さで、温かな飲みものや食べものが恋しくなるほど。そろそろ衣更えをしなくては‥と思っています。先日は主人と久しぶりに街へ出まして、主人は銀鼠色の、わたしは柿色のカーディガンを買いました。これを羽織るのは、北の地方から紅葉のたよりの届く冬どなりの季節でしょうか。


 初夏のころから準備を始めたスタンプカーニバル出展用の品々がようやく完成して、会場への発送を済ませて当日を待つばかりとなりました。「和楽印 めだか工房」の作品の中から、今回はぽち箋(メッセージカード)の一部を公開します。すべて名刺サイズです。
 ぽち箋はいつも数枚を携帯して、ちょっとしたお礼やメッセージを添えるときに使いたいもの。最近は、和柄の付箋(ふせん)も市販されているようですね。初対面の方と連絡先を交換したり、不在の人にメモを残したりするとき、つい手帳やメモ用紙にささっと書いてビリッとやぶって渡してしまいがち。でも、オリジナルのぽち箋を使えばちょっとステキかも‥ なんて、ほんの自己満足にすぎませんけれども、楽しみながら全18種をつくりました。いちばん下のカードは、スタンプカーニバル用に作成しためだか工房の名刺です ^^

 日本人は、じかに金品に触れたり渡したりせずに、風呂敷、袱紗、ぽち袋、お懐紙、ぽち箋などを上手に使って、謙譲の気持ちをこめてモノを扱い、他人さまとのおつきあいを円滑にしてきました。こうした道具や小物によって、相手と自分の間に温かなこころづかいを介在させて、ベタベタしたなれ合いのつきあいを避けてきたのでしょう。
 でも、数日前に借りた小銭を返すのにぽち袋を使ったり、分けていただいたお菓子をお懐紙につつもうとしますと、最近は「あら、おおげさね」なんて面倒がられることもしばしば。時と場を考えて使わないと、こちらの気持ちはうまく伝わらず、かえって相手に不快な思いをさせてしまうことにもなりかねません。むつかしいものですね。


 先日、図書館で 『すぐわかる 日本の伝統文様』(並木誠士監修、2006年東京美術刊 ※)というビジュアル本を見つけました。飛鳥・奈良~江戸時代まで、時代を追うごとに洗練され流行した文様の物語や、文様にこめられた思いを、一流の美術工芸品を例にとりながら解き明かしてゆく構成になっていて、勉強になりました。
 日本のデザイナーたちは、動物や架空の獣、人物、植物、器物、野菜、気象、風景、風俗、渡来品、文字だって何だって文様にして、きもの、楽器、文学、仏具、調度品、陶磁器、漆芸、家紋、伝統芸能の衣裳、暮らしの道具類‥等々、あらゆるものにその斬新で普遍的なデザインをほどこしました。ほんの趣味にすぎない消しゴムはんことはいえ、いつの時代にも新鮮な文様をとおして、日本文化の全容を見る思いがします。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 和の暮らしへ 

 一筆箋 ‥季節のおたより、当ブログへのご意見・ご感想をお待ちしています


※ 『すぐわかる 日本の伝統文様』 は、さくら書房 で紹介しています。
 

琳派の記念切手発行

2007年10月01日 | くらしの和
 
 今日から神無月です。月めくりのこよみも、残すことろあと三枚ですね。みなさま、やり残していることはありませんか。

 2007年10月1日、日本郵政公社の民営化にともない、「民営会社発足記念」の特殊切手が二種類発行されます。そのうちのひとつが、琳派の酒井抱一の「十二ヵ月花鳥図屏風」と鈴木其一の「四季花木図屏風」を意匠化したもの。四季折々の花鳥図に彩られた80円切手が10枚で1シート、一枚から購入可能です。琳派がお好きでしたら、お早めに郵便局へ ^^ 秋の夜長に、ごぶさたしている方へ美しい切手を添えた手紙を書いてみませんか。
 この切手の詳細は こちら をご覧くださいね。


 80円切手だけでなく、50円切手もつくってほしかったところなのですけど、それより何より、民営化後に町村の郵便局の統廃合をすすめたりしないよう願います。わたしは、のんびりとしたちいさな町の郵便局が好きですから。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 和の暮らしへ 

 一筆箋 ‥季節のおたより、当ブログへのご意見・ご感想をお待ちしています


 下のお知らせも見てください ↓
 

小魚庵だより

2007年10月01日 | お知らせ
 
 左のメニュー欄に「小魚庵だより」の窓をつくりました。
 折々のささやかなメッセージを不定期に更新してまいります。
 こちらもぜひ見てくださいね。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 和の暮らしへ 

 一筆箋 ‥季節のおたより、当ブログへのご意見・ご感想をお待ちしています