梅雨入り前の十日間あまりを病院ですごしました。生まれてはじめての手術と入院生活。にもかかわらず、麻酔科医である友人からよい先生を紹介してもらったせいもあり、多少痛いのをガマンすること以外、なんの不安もなくすごすことができたのは幸いでした。母と主人にはたいそう面倒をかけましたけれども。
ただいま、半自宅療養中。といいましても、ほぼ健常者の生活にもどっていますから、ご心配無用です。
わずかでも身をもって痛みを知ったことと、体が弱っているときに人のやさしさにふれたことは、想像していた以上によい経験となって、今後よい作用をもたらしてくれそうです。
俳画は、すこし前に先生にいただいた短冊を写したもの。
禅語にいう「無事」は、「何事も無い、無事である」という一般的な意味とちがって、「仏道の完成を他に求めないこころ」のことをいうそうですが、「今日無事」となると、その解釈もなんだかしっくりこないな‥ と不思議におもっていました。
ところが、退院してしばらくぶりに自宅にもどり、玄関先に掛けておいたこの俳画を見ましたとき、すんなりとその疑問が氷解したのです。
─ ただただ、今日無事であることの有難さ。
それは、自分の力だけではけして成り立たないものであり、つまり「おかげさま」ということでした。
たくさんのものに支えられて、わたしはこうして今日無事にある。そのことへの感謝のきもちが、姫だるまの福々しい表情からふつふつとあふれていたのです。
雨の季節は心身ともに不調になりやすいとき。
みなさまも、大事にしてくださいね。