雪月花 季節を感じて

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文様印(八) 松喰い鶴

2007年11月30日 | 和楽印 めだか工房
 
 いち早く流行にのって風邪をひいてしまいまして、更新が遅れました。インフルエンザではないのですけど、のどの痛みと微熱が数日つづいてふせっております。これから寒さの中勇気を出して病院へ行ってまいります。みなさまもくれぐれも気をつけておすごしくださいね。

 小春日和のつづいた先週末の連休は、紅葉狩りへお出かけの方も多かったことでしょう。わが家は主人の里でのんびりとすごしました。義父母の畑にだいこん、ねぎ、ほうれんそう、しも菜などがなっていて、お土産にたくさんいただいて帰りました。だいこんは泥を水で洗い流しますと目の覚めるようなまっ白い肌を現し、ねぎは清々しい香を放って食欲をさそいます。

 ふるさとの土の香りや大根引く (雪月花)

 体を温めてくれる冬野菜は、火を通してたっぷりといただきたいものですね。


 今回の消しゴムはんこの文様印は「松喰い鶴」です。前回の「姫小松」から、おめでたい松の文様がつづきます。
 彫刻刀の扱いにもだいぶ慣れて、鶴のような細かな図案もきれいに彫れるようになりました。上の左の画像は、「瑞雲(ずいうん)」のはんこと合わせて「雲鶴(うんかく)」という文様にしたもの。京都の二条城に、この雲鶴模様の唐紙に仕切られた「雲鶴の間」というのがあるそうです。右の箸袋の折形には金銀のスタンプインクで「寿」の文字はんこと「松喰い鶴」をおして、ちょっと豪華にしてみました。もちろん、これはお正月用です。

 でも、「松喰い鶴」って不思議な取り合わせですよね。なぜ鶴が松の枝をくわえて飛ぶのでしょう。─この疑問に対する答えのようなことを、先日放映されたNHK教育テレビの番組「新日曜美術館」で紹介していました。「松喰い鶴」のルーツをたどりますと、古代ギリシャ、ローマ時代までさかのぼるそうです。

 紀元前から平和の象徴とされてきた「鳩」と「オリーブ」が、キリスト教旧約聖書の「ノアの箱舟」のお話に「オリーブの葉をくわえた鳩」となって登場します。のちに、それが吉報をもたらす象徴として図案化されるのですが、この図案、日本の「PEACE(ピース)」というたばこの箱のデザインにあったのですね。ご存知でしたか。


「PEACE」 のデザイン

 やがて中国に伝わり、中国では鳳凰が花をくわえた「花喰い鳥」に変化します。「花喰い鳥」は正倉院御物の文様に見られますし、現代のきものの模様にも残っています。


「花喰い鳥」

 「花喰い鳥」が日本に入りますと、日本人に親しみのある松と鶴に変化してゆくのですね。西洋の平和のシンボル・鳩とオリーブ、中国の瑞鳥・鳳凰、長寿をもたらす日本の鶴と松。どれもみな吉祥文様です。

 「唐草」の文様印をご紹介した折にも、古い西洋の文様が中国を経て日本に輸入されたというお話をしましたけれども、西洋のデザインが中国において複雑かつ荘重な意匠に変化し、さらに日本に入りますとぐっと単純化されて、身近なものに取り入れやすいかたちになっていることでは共通していますね。


 「松喰い鶴」のはんこは、お祝いの熨斗(のし)や紙幣包みにも重宝しそうです ^^

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ごはんは、たいせつ。 その二

2007年11月21日 | くらしの和
 
 今年の紅葉前線の動きは遅いと聞いていましたけれども、木枯らし一号が吹いてからすすんでいるようです。毎年、わたしは桜並木の葉の色づきからその年の紅葉のようすを予想します。桜の葉が黄に変色した状態で落葉してしまう年は期待薄で、紅く染まるまで落葉しない年は、桜に限らずどの木の色づきも美しいようです。根拠のない経験則にすぎませんけれども、これが案外当たるのですね。今年の桜並木はたいへんきれいな紅に染まっております ^^


● お米に宿る神さまのこと
 昨年の秋に秋田の新米をいただきながら「ごはんは、たいせつ。」を書いてから一年が過ぎました。今年は新潟の新米をいただいております。この季節になりますと、祖父母への思いがつのります。愛媛で精米業を営んでいた祖父母が元気だったころは、毎年新米を送ってもらっていたのですけど、祖父が亡くなり祖母も介護施設にお世話になっているいまでは、田畑はすっかり荒れてしまいました。祖母はちいさな体で10Kgの重さの米袋を担いで軽トラックに乗せ、自分で運転して配達をしていましたのです。

 祖母老いて新米遠くなりにけり (雪月花)

 子どものころは、ごはんを残したり、お米をとぐときに米粒を水に流してしまったりしますと、母から「お米ひと粒に七つの神さまがいるのよ(だから粗末にしてはいけない)」と叱られました。「米」という字は「八十八」と書きますから、お米ができるまで八十八の手間がかかっているともいいますね。そうした言い伝えから、日本人はお米をたいせつにし、農家の人たちのたいへんな苦労を忘れないようこころがけてきました。お米に神さまが宿るなら、わたしたちは毎日自分のお茶碗いっぱいに神さまを盛っている‥ということ。水・火・土・山・月の神さまに風神雷神さま‥ 日本の八百万の神をいただいているのかもしれません。
 小記事「美の源流 かたち」にも、茶碗やうつわは何も入っていない「空」の状態がたいせつで、むかしの人はそれらに神の影向(ようごう、神の現れる気配のようなもの)を予祝する装飾をほどこした─と書きました。古来、お茶碗は神さまをお招きするものなのですね。

 新聞の読者の声の欄に、ある小学校教諭のおたよりが掲載されていました。ある日の給食時間中の子どもたちの会話です。─「おばあちゃんから、『お米の粒を残したら、いかん』って言われるんよね」「ぼくのお父さんも言ってた。『米粒には神様がいる』って」「(神様は)何人いるのかな?」「お米を大事にせないかんね」─そう言いながらみんながおかわりをして、あっという間に食缶が空っぽになりました‥という微笑ましいお話。お茶碗一杯のごはんから、あるいはひと粒のお米から、神さまや農家の人たちのご苦労を想像すること。いまの大人たちが失いかけているこのたいせつな“想像力”を、子どもたちは持っていることを知って、うれしい気持ちになりますと同時に、次代を担う子どもたちのために残すべきものを問われていると思われてなりません。


● 尽きない消費者の欲望
 ところが、米の輸入自由化を拡大しようといういまの農政に対し、農家の人たちが国土保全や自給率確保等を訴えて自由化拡大に反対しているさ中、消費者が口々に「自由化に賛成、消費者の選択の自由を奪わないでほしい」とか「もっともっとおいしいお米を作って外国米に負けないようにすればいい」と言うのを耳にして、とても驚きました。「もっともっとおいしいお米」って、いったいどんなお米なのでしょう? 農家の長年の努力のおかげで、いまの日本においしくないお米なんて無いのではないでしょうか。選択の自由や食の安全を要求しながら、消費者の欲望はいったいどこまで増長するのでしょうか。とうもろこしや大豆などの穀物が金融商品化している現実も恐ろしいです。これまでの日本の食を支えてきた農業というものに思いをいたせない人たちの何と多いことでしょうか。みんな、日本のお米を食べて育ったはずなのに‥ そう思いますと、とても哀しい気持ちになります。毎日ごはんをいただきながら神を思い、食べものに感謝し農家の人たちを敬った時代は、すでに遠いむかしのことなのでしょうか。


● お米と日本人のこころ
 最近、『日本的霊性』(鈴木大拙著 ※)という宗教について書かれた本と、『百年の食』(渡部忠世著 ※)という現代の日本の食(とくに稲作と米)の問題を取り上げた本をつづけて読みましたところ、ある共通点に気づきました。それは、人が土を耕して食を得るという、大地に根ざした行為や暮らしから日本の宗教というものが形成されてきた、ということでした。宗教といいますと堅苦しくなってしまいますけれども、農業が日本人のこころの問題と直結していると考えれば、農業をないがしろにすれば、日本人のこころは失われるということになりましょう。また、日本の歳時記をみますと、この国は農耕の暮らしを基礎にして成り立ってきたことは明白です。食料自給率を確保するための最後の砦であるお米まで不安定な輸入に頼るようになれば、国土はますます荒れる一方でしょうし、それは、わたしたちの祖先が長年かけて培ってきた誇り高き日本のこころを日本人みずから捨てるということになりはしないでしょうか。


 「近江の百姓菩薩」と呼ばれ、小農でありながら一生を農夫として生きた松井浄蓮という人物の、こんな言葉があります。

 東洋的無の精神が根底にならなければ、如何に人文が表面的に発展進歩しても安心というものは永久に来ないこと、‥この無に裏づけられた有の積極面が必要というよりも、自然に存在するものが我が農であり、これが有の豊かさを健康に把握する第一義である。‥ここで何れの日かはこの二つを土台にした思想と生活が救いになるであろうし、それはまた我が日本の農村、或いは農業形態の中に最も鮮やかに、素材的に含まれているとしたい。‥
 眼を国内だけに限りましても、自然から浮き上がり、農を素通りしてつくられたもののみじめさ、騒々しさの愈々(いよいよ)度を超えようとして居ります。‥‥今、人みな口を開けば政治の善し悪しを語り、経済を問題にします。そうしてそれを地球的規模で考えるまでになりました。然しその政治は、何を願い且つ求めて動いているのでしょうか。どうもお互い人類は、また民族は、それ自体いちばん大切なものを忘れて大きな戸惑いをしているように思えてなりません。
 (『百年の食』「浄蓮のことば」 より)

 日本の美しい風景を育んできた稲作とお米をたいせつに思っている消費者や米の仲買人さんはけしてすくなくないと思うのです。明るい展望もなく、厳しい状況にありながらも稲作をつづけようと努力している農家の人たちには、そんな人たちを味方にしてがんばってほしいと切に願います。 

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折形を遊ぶ

2007年11月14日 | くらしの和
 
 霜月も中旬となりまして、朝晩の冷えこみがきつくなってまいりました。この冬はインフルエンザの流行が例年より一ヶ月以上も早く始まったそうですから、みなさまもお気をつけておすごしください。
 13日の亥の日、わが家はようやくこたつに火を入れました。それまでは主人ともどもフリースにくるまって朝晩の寒さに耐えておりましたので、おこたのぬくもりがとても有難く感じられます ^^


 松竹梅や鶴などの消しゴムはんこを使って箸袋や紙幣包みをつくろうと思いたちましてから、折形(おりがた)の本(『半紙で折る折形歳時記』、折形デザイン研究所編 ※)を読み、折形を学ぶ一日講座にも参加してまいりました。室町時代に確立した武家礼法のひとつ、折形は、江戸時代になりますと町人文化の発展と和紙の普及により一般化しました。一日講座では、書家の先生から折形の基本をひととおり学んだ後、お墨と筆を使って折形を楽しむ方法を教えていただきました。

 まず筆に墨をたっぷりと含ませて、半紙いっぱいに自由に文字や絵を書きます。(筆先でちょこちょこと書くのではなく、腕の下半分を使って大胆に筆を動かします) それを折形に仕上げますと、書いた文字や絵の一部が表に出るわけですけれども、墨の濃淡やかすれなど、じつに表情ゆたかな水茎の跡が現れます。表に出るのはどの部分なのかは折形を完成させるまで分かりませんから、その偶然性が面白いのですね。わたしは箸袋三種と紙幣包み二種を折ってみました。(写真はその一部です) この方法ですと、ふだんから書画に親しみのない方でも、折形の本とお墨、筆、半紙があればできますし、書き損じの半紙を再利用できることに気づきました。

 完成した折形には「におい」という紅色の和紙をはさみこみ、アクセントをつけています。「におい」というのは「かさねの色目」のこと。色和紙や書き損じの紙を細長く切ったもので、折形に帯を巻いてもすてきです。また、質や色のちがう半紙で折ったり、「におい」や帯の色を変えますと、まったくちがった印象に仕上がります。新年を寿ぐものは白い半紙に紅や金銀を合わせるのがよいのでしょうけれど、折々の季節の色、あるいは包む贈りものの色に合わせてみても。慶事は濃墨で右前に、弔事は薄墨で左前に折る‥等々の基本をおさえておけば、贈り主のセンスで自由にアレンジしてよいようです。
 ただし、正式な折形にはたくさんのきまりごとがありますし、本来は折形によって贈る品が何かを相手に伝えるように折るため、半紙にはいっさい書画等は書かないそうです。上記の方法について、先生いわく「折形としては邪道かも‥」とのことですけれども、親しい人への贈りものなら問題ないのではないでしょうか。半紙を折るときの和紙のやわらかな手ざわりや、お墨と折形のコラボレーションを楽しみましょう。


 折形と消しゴムはんこでつくるつもりがこんなことになってしまいました。新年用に家族分をそろえるつもりなので、足りない分は消しゴムはんこでつくろうと思います ^^ゞ

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※ 『半紙で折る折形歳時記』 は さくら書房 で紹介しています。
  折形デザイン研究所のホームページは こちら です。

 

洛北の秋

2007年11月07日 | 筆すさび ‥俳画
 
 日中は気温20℃を越えるあたたかな日がつづいています。色とりどりの菊花の美しい季節ですね。天気のよい菊日和には、花の清らかな香と霊力をいただいて身を清めましょう。


 先月の俳画の画題は「光悦寺垣」でした。

 裏を見せ表を見せて散る紅葉 (良寛)

 良寛さんの辞世の句を思いつつ散る紅葉を描きました。


 京の町から市バスに乗り鷹ケ峰街道を北上しますと、わたしの好きなお寺のひとつ、光悦寺があります。そこは、江戸初期に琳派の祖・本阿弥光悦が江戸幕府から鷹ケ峰の地を拝領して芸術村を起こし、世俗を離れて書や作陶などに全身全霊を打ちこんだ場所。繊細な楓並木につつまれた瀟洒な参道を、石畳をひとつひとつ踏みしめつつすすみますと、三巴庵、了寂庵、大虚庵など茶席の点在する広い境内にゆきあたります。大虚庵の前庭に「光悦寺垣」とよばれる菱格子模様に組まれた竹垣がありまして、半月形の垣の両端が土に埋めこんであるため、その形から「臥牛(ねうし)垣」という異名も。垣そのものは力強い造形なのですが、楓や萩、尾花などの秋草がやさしさを添えています。俳画のほうは省筆で垣と落葉のみを描いています。

 寺の境内は楓につつまれており、紅葉する秋はまるで紅糸と金糸の織りなす茶屋辻模様のよう。楓の紅葉、萩の黄葉に染まるころの光悦垣は、「臥牛」でなく、金襴緞子を纏った女性の横臥した姿と化します。また、参道の両脇はビロードのごとく美しい苔緑におおわれおり、苔上にこぼれた無数の楓の紅葉は、緑漆に無為に配された螺鈿細工に見えます。市街からそう遠くないところにこのような清逸な場所のあることは、京都の特徴のひとつでしょう。

 茶席の濡れ縁に憩い、苔むした光悦の墓石の前にたたずみなどしながら、しゅんと沁みる洛北の晩秋の気に身を浸しつつ、「語るより先に手ぇ動(いの)かせ」を合い言葉に数々の美しい工芸品が生み出されたこの地で、光悦や宗達が思う存分才能を発揮したことを思うのは楽しい。美の求道者としての光悦、宗達、角倉素庵を描いた辻邦生の『嵯峨野明月記』(※)に、こんな一節があります。

 ‥なみなみと溢れてくる情感の波に、自ずから圧倒されるような感じがした。私には、この為体の知れぬ、たえず湧き上がり、溢れてくるものこそが、書画なり能なり歌なりの心ではないかと思えてならなかった。‥
 まさしくこの生は太虚にはじまり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命をとり戻すのだ。 ‥私はいずれ<死>に委ねられ、藤の花のようにこぼれ落ち、消え去るであろう。私の墓のうえを落葉が覆うであろう。紙屋川を吹きあがってくる風が音をたてて過ぎてゆくであろう。墓石の文字も見えぬほど苔むしてゆくであろう。そのときもなお私は生きている。あのささやかな美しい書物とともに、和歌巻とともに、宗達や与一(角倉素庵)や宗二の誓いや友情や誇りや苦悩を織りこみながら、生きつづける。おそらくそのようにしてすべてはいまなお生きているのだ。花々や空の青さが、なお人々に甘美な情感を与えつづけている以上は、それらのなかに、私たちの思いは生きつづけるのだ。‥

 四百年の時を経てなお今に生きる琳派の工芸品に触れるたび、わたしはこの作中の光悦の言葉を思い出すのです。

 古(いにしへ)の人うつくしき紅葉かな (雪月花)


 時雨が街路樹の葉を黄に紅に染めてゆく季節。今年の木々の色づきはきれいです。これから師走の落紅葉まで、自然が繰り広げる錦絵を存分に楽しみましょう。

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※ 『嵯峨野明月記』 は さくら書房 で紹介しています。