雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
2019年~Instagramへ移行しました 

花の父母

2006年02月24日 | 季節を感じて ‥一期一会
 雨水をすぎ、ひと雨ごとにあたたかくなる春の雨はやさしく、こころ楽しい。雨上がり、不要になった傘をかたむけてみると、小枝の露に光る春を見つけることもあります。

 草木(そうもく)は雨露(うろ)の恵み
 養ひ得ては花の父母たり

 (謡曲「熊野(ゆや)」より)

 ふりつづく雨をいとわず、草木の根を潤し花芽を育てる雨に父母の恩を思う。森羅万象はあまねく創造主の恵みであると、いにしえ人は考えました。「父母」は古くは「かぞいろは」と読んだそうです。

 わが家に近い白梅の林の花は遅く、白くちいさな坊主頭がいくつか見えるものの、花はいまだ。白梅は万葉の花、この花にたくされた親子の恩愛もありました。娘の早すぎる縁談に躊躇した父親の歌と、お相手の男性の父親の返歌です。

 春の雨はいやしきふるに 梅の花いまだ咲かなく いと若みかも
 (『万葉集』 大伴家持)

 春雨を待つとにしあらし わが宿の若木の梅もいまだ含めり
 (『万葉集』 藤原楠麿)

 「春の雨がしきりにふるのに、梅の花はまだ咲きません。まだまだ若すぎるのでしょうか」。「春雨を待っておられるのですね。わが家の庭の梅もまだつぼみのままです」。(※) ─それぞれの花(ここでは家持と楠麿の子たち)をいつくしむ気持ちが春の雨にゆれています。のちに、家持の娘と楠麿の息子はめでたく結ばれたそうです。


 今日もまた雨‥ もしかすると、春の雪に変わるかもしれません。

 待ちわびて林のくろきぬかるみに傘さし入りて梅の花追う

 つぼみのほころぶまで、あと幾日。


※ 古くは「春の雨」と「春雨」は区別されて使われたそうです。「春の雨」は早春の雨(または、早春から晩春の雨の総称とも)を、「春雨」は春の霖雨、菜種梅雨のころの雨をいいました。俳句ではいまでも区別されて使われるようです。
コメント (7)

クレー、茶と出会う

2006年02月17日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 うららかな春日、日本橋まで「パウル・クレー展」(東京の会期/ 2006年2月9日~28日、大阪の会期/ 2006年3月5日~21日)を見に出かけました。昨年の6月、クレーの生まれ故郷にほど近いスイスの首都ベルンに「パウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)」が開館し、今回の展示は開館記念行事の一環です。

 クレーの線画は時折ピカソを思わせるけれど、色彩はまったく異なります。情熱的なピカソと内向的なクレー。言い換えれば、ピカソの色から強烈なメッセージを感じるのに対し、クレーは内へ内へと見る者を誘う。そして、クレーの魅力はアース・カラーを基調としたそのあたたかな色のみならず、線と色彩の質感にあります。土のにおい、天然の繊維、綿や麻のような肌触り。これが、日本人がクレーを愛する理由のひとつではないでしょうか。
 そこで、こんな遊びをしてみました。(上の写真) クレーの「閏日の植物」に、同じ時代を生きた北大路魯山人の「備前旅枕花入」を茶室の床にあわせる。なげ入れたみずみずしい一輪の玉椿は砂漠のオアシスでしょうか。花入の焼きしめられた土の肌あいと色、道具と造形美との均衡を保つぎりぎりの線が、クレーの線と色と共鳴しあい、障子紙から射し入るかすかな光は絵と土の色に吸収されて、床の陰翳はなお深まり奥ゆきを増します。この静けさはまったく新鮮ではないでしょうか。
 と、まるでわたしが新発見をしたような口ぶりだけれど、この斬新な取りあわせはとうに誰かがしていることで、その誰かとは、何必館・京都現代美術館館長の梶川芳友氏です。十数年前に手にした図録『魯山人の世界』(新潮社)に、梶川氏がクレーの「舵手」と魯山人の「於里辺(おりべ)籠花入」を自邸の茶室の床に取りあわせているのを見て衝撃を受け、以来わたしは魯山人もさることながらクレーという芸術家に魅せられてしまったのです。その秘密はいったい何だろう‥ と、今回のクレー展をきっかけに、再度『魯山人の世界』の中の、梶川氏の随筆を読みなおしてみると、こんな一文に再会し、見る間に謎が解けていったのです。

 魯山人のやきものの魅力に、もう一つ、他の一級品との取り合わせの
 良さがある。 ‥魯山人の陶器は、相手が一流であればあるほど、
 存在感が増していく。

そして、梶川氏はその非凡な造形美と絵付けから魯山人を“線の行者”と言っています。それを言うなら線に始まり線に回帰したクレーこそ“線の行者”であり、このふたりはとうの昔に彼らの自在な線描で結ばれていたのでしょう。


 茶道をさして「美的趣味総合大学」と魯山人はいったけれど、日本でも広く読まれているクレーの『日記』に愉快な一文があるので紹介します。「不思議な夢を見た。夢のなかでわたしは日本の芸者に茶を所望した」というのです。日本=芸者、茶の湯、という外国人のもつ画一的な日本のイメージであることは否めないけれど、すくなくともクレーは、五感を駆使した稀にみる実験的な創作活動の中で、すでに日本の茶と出会っていたようです。

 『魯山人の世界』に、ピカソと魯山人が一枚の写真におさまっています。クレーと魯山人もどこかで出会っていたら、たちどころに朋友の契りを交わしたに違いない。そんな想像を楽しんだ春の展示会でした。
コメント (18)

春を食す

2006年02月03日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 
 摘んで煮て少しばかりや春の蕗 (草間時彦)

 立春のころになると思い出す料理店があります。四年前に出かけた料理店「懐石 立原」。店のご主人は作家の故・立原正秋氏のご長男、立原潮(たちはらうしお)氏で、美食家でもあった父親の影響を受けて28歳で料理界に入り、摘草料理で知られる京都の美山荘、東京の白紙庵、イタリアなどで料理を学んだ後、1991年に「立原」を開店されました。大理石のテーブルに革張りの椅子というインテリアから、イタリアでの修行を生かしたオリジナル料理かしらと思いきや、その期待は裏切られ、供されたのはご主人の美意識により厳選された和食器と旬の野菜を十二分に生かした料理のみごとなコラボレーション、「春苦み」を合点するお料理の数々でした。

 青もの(うるい)とほたての貝柱にキウイソースをかけた“ぬた”ふうの小鉢の、その意外な取合せと爽快な色と味にまず驚き、お刺身、炊き合わせ、焼きもの、お椀、漬けもの、温かな雑炊‥ と、歯ごたえといい風味といい、まるですべてが生きて語りかけてくるようでした。「野菜って、こんなに歯ごたえがあって味の深いものだったの‥」と、いまでは失われた多くのものに思いをはせ、野山をつばめの舞う姿を描いた器にさっと盛られた春野菜(筍、ふき、わかめ)の炊き合わせからは、雪水の流れとこんな歌が聞こえてくるようでした。

 花をのみ待つらん人に 山里の雪間の草の春を見せばや
 (『新古今集』 藤原家隆)

 わさびのつんとした風味を封じ込めたアイスクリームにいたると、体内をさわやかな緑風さえ吹き始めて。お料理の合間には、ほうじ茶、お煎茶、玉露‥、日本茶のコースもいただけるという贅沢でした。
 体だけでなく精神のすみずみまできれいになる料理。「おいしいものに出合うと、五感をフルに使って、この料理は、味は、香は、いったい何だろう‥、と考えながら食べるから、頭がすごく冴えてくる」とは、同席したわたしの友人の感想。もしかすると、この言葉は日本料理の原点を言い当てていないでしょうか。

 そのころ、お能を題材にした立原氏の小説『舞いの家』を読んでいたわたしは、不躾にも文庫本を差し出し「一筆いただけないでしょうか」とご主人にお願いしましたら、快く、

 春なればいまひととせを生きんとて ふるきみどう(御堂)に心あづけぬ
 立原潮

と書いてくださいました。あとで調べましたら、歌は父・立原正秋氏のものでした。


 早春にいのちの糧をいただき、こころをみ仏にあずけてこの一年をまた生きてゆく─。都心のビルの谷間で里山の春野に遊んだ至福のひとときでした。「立原」が現在も営業しているかどうか、不明です。
コメント (8)