雪月花 季節を感じて

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栗しごと

2011年09月29日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 主人の里から栗の実が3kgも(!)届きました。
 さっそく栗ごはんを炊きました ^^

 栗飯のまったき栗にめぐりあふ (日野草城)

 一昨年、昨年と栗の出来がよくなかったのですが、今年はまるまるした実がたくさん穫れたそうです。

 残りを甘露煮にするため、今日は終日栗しごとです。
 熱湯にしばらくつけてから、せっせと鬼皮と渋皮をむいて‥


鬼皮はまず底を落としてむきます

 栗名月の十三夜にはまた栗ごはんを炊くつもり。

 大きな被害をもたらした台風が去ると、ひといきに秋がやってきました。季節のうつろいを楽しめなかったけれど、ようやく‥の秋の稔りがひたひた身にしみます。

 栗一粒秋三界を蔵しけり (寺田寅彦)
 

夏をおくる

2011年09月16日 | きもの日和
 
 本来なら秋霖のころなのに、真夏なみの晴天つづきです。お気に入りのお単衣のきものになかなか袖がとおせません。

 じりじり照りつける太陽へ、早く秋を連れてきて‥と祈るおもいで、盛夏に活躍した二枚の麻のきものを手洗いしました。上の写真は濃紺地に麻の葉絣の小千谷縮です。

 友だちのアドバイスどおりに洗ってみると、すっきり、きれいに仕上がりました。速乾性の麻のお手入れって、ほんとうにラク。スグレモノです。大好きな麻だから、こうして自分でお手入れできるとうれしい ^^

 ぴしっと折り目正しく整えたきものを畳紙につつみ、「また来年ね」と夏をおくりました。
 

十六夜

2011年09月13日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
 (藤原道長)

 平安期の中秋に、道長が藤原家繁栄の絶頂をこう嘯いたのは、じつは十五夜でなく(月の欠けはじめの)十六夜であったと、永井路子著『この世をば』に記されていたと記憶しています。史実はともかく、盛者必衰は世の常。やがて平家の台頭とともに藤原家は衰退します。


 ことしの十五夜は望月とかさなり、無欠の月でした。煌煌とあまりに神々しく、つい目をそらせてしまうほどの輝きでしたけど、円相は悟りの境地といいますから、望月イコール仏さま、と解すならば、頭を垂れ手を合わせたくなります。

 仏さまとか、望月とか富士山のような、完全無欠の美の前に、人は対峙するにも“真正面をはずす”こころをこそあらまほしけれ‥と、そんな趣旨のことを白洲正子さんがどこかで述べていたとおもいます。

 そんなわけだから、望月の写真撮影は控えて、今宵虫の音をBGMに十六夜の月をこころゆくまで見上げています。

 ‥というのはいいわけで。
 昨夜はあまりに涼やかな良夜だったため、うかうかと○いおまんじゅうをほおばりながらすごしてしまったのでした ^^ゞ
 

りんどう忌

2011年09月09日 | 本の森
 
 九月七日は英治忌でした。
 さわやかな秋晴れとなったこの日、志野流(茶道)社中の方々の案内で東京の梅の郷・青梅にあります吉川英治記念館を訪ねました。山懐の緑に抱かれた記念館はひっそりとしたたたずまい。四季折々の訪問者をあたたかく迎えてくれます。

 英治忌にのみ公開される苑内の草思堂にてお仏壇に手を合わせ、お茶を一服いただきました。草思堂は吉川英治氏とご家族の疎開先で、一家は昭和19年からおよそ十年の歳月をすごし、青梅郷の人々と心安く親交しました。

 昭和25年にこの地で大作『新・平家物語』の執筆を始めます。古典の中でも平曲を愛するわたしは、来年のNHK大河ドラマ「平清盛」(主演:松山ケンイチ)をこころ待ちにしながら、友人の影響もあってすこし前から『新・平家物語』(講談社文庫全十六巻)に取り組んでいます。

 ようやく三巻目まで読みすすめ、ゆかりの地にて貴重なお道具や遺愛の品々を拝見する機会にめぐまれたことは望外のよろこびです。挿画を担当していた杉本健吉氏筆「(英治)涅槃図」、親交のあった白洲正子さん直筆の書簡等々から、英治氏の高潔で愛情深い人となりを偲びました。


 母おもいで子煩悩だった吉川英治は「‥ひっそりと野に咲く可憐な花、なかでも、りんどうは、その青紫の花弁の初々しさと、清楚なたたずまいを、ことのほか愛でていたようでございます。」(故・文子夫人談) 命日も、りんどうの花咲くころです。

記念館からすこし離れた、多摩川渓谷にかかる橋のそばに「紅梅苑」があります。故・文子夫人のお店だったそうで、青梅産の梅や柚子をつかったお菓子が美味。写真はカステラ饅頭「紅梅饅頭」と柚子饅頭の「柚子篭」。夏期はゼリーやシャーベットもおすすめです。


 菊一花天を載せたるたわわ哉 (英治)

 九月九日は「菊の節句」ですね。
 

叔母の手づくり その二

2011年09月06日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 叔母手製のいよかんとぽんかんの皮の砂糖漬けを使って、蒸しパンやパンケーキを焼いています ^o^

 みかんや柚子などの柑橘類は、その皮に本来の香りと味がつまっているそうなので、こうして皮までおいしくいただけるとうれしい。無農薬のものをさがすのは容易ではないですしね。

 母や叔母の里の愛媛といえばみかん。祖父母の思い出につながるくだものです。でも、温州みかんの生産量は現在では和歌山に負けているし、温暖化がすすめば遠くない未来に愛媛でみかんをつくれなくなり、東北地方で栽培するようになると聞きました。

 どうか、そんなことになりませんように。
 

京舞と一管の夕べ

2011年09月02日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 京都に魅せられ通いはじめたころのこと、春らんまんの祇園で「都をどり」を堪能しました。日本一の花街の華やかさ、艶やかさはいまも脳裡に焼きついていて、日本の春こそここに極まれりと感嘆したものです。

 あれから十数年。先週、国立劇場にて「京のみやび 京舞と一管の調べ」を鑑賞しました。井上八千代さん(京舞井上流五世お家元)と、藤舎名生さん(藤舎流笛方)による京舞と笛の競演は、かつての印象を引きずったままのわたしには意外なほどすっきりとした演出。舞台よりも、たくさんのきれいどころの埋めた一階観客席のほうが華やかに見えたくらいですが、地方と芸妓さんたちの、黒衣の裾にひと群れの秋草を白く染めたそろいの衣裳から涼風の立つのを感じながら、超一流の舞と笛に酔う晩夏の夕べを友人とともにすごしました。


 お能との関係も深い舞は、まさに型の美。驚くのは、動きが大きくなっても、おきものから手首や足首がのぞくことはないし、上前も跳ねないこと。演者と同化し、ただその形の美しさに酔えばよい‥とお能の美を説いた白洲正子さんのお言葉がよくよく実感されました。

 ごく細いひと筋の線が、ぶれない直線と優美な曲線を描き、時にそれがふと切れたとおもうと、絶妙の間をおいてふたたび線を描いてゆく‥ 芸の神髄でしょうか。舞台にひらいた時の花に、藤舎さんの笛がそっと都の山紫水明を添えていました。


 毎年東京都の主催する「伝統WA感動」で、数々の伝統芸能が披露されるのですが、どんなに東京が「東京から伝統の発信を」と息巻いたところで、千年の都にはとうていかなわないと、認識をあらたにした夜でした。