古い町の路地に迷いこんだような細道を大型バスがゆき、狭い三叉路の手前で停まりました。バスを降り、三叉路を左に折れてすこし行ったところに秋篠寺はあります。そこだけ時の流れにとり残されているようであり、寺をめざしているのでなければ気づかずに通りすぎてしまいそうな場所です。紅葉した楓の葉がわずかな風にもしきりに降り、ささやかな山門は紅く染まっていました。参道をすすみますと、翠緑の苔庭の奥に本堂が見えてき、そこにお目当ての仏さまがいらっしゃる‥と、胸をときめかせながらうす暗いお堂の中に足を踏み入れました。眼前に、わが国唯一の天女像のうるわしいお姿。そのようすは、堀辰雄の文章にゆずりましょう。
このミュウズの像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけてもお慕わしい。朱(あか)い髪をし、おおどかな御顔だけすっかり香にお灼けになって、右手を胸のあたりにもちあげて軽く印を結ばれながら、すこし伏せ目にこちらを見下ろされ、いまにも何かおっしゃられそうな様子をなすってお立ちになっていられた。‥
(堀辰雄著 『大和路・信濃路』 より) |
秋篠の伎芸天女の印むすぶゆび細々と空(くう)に定まる
(鈴木光子)
散紅葉み堂に無二の天女あり (雪月花)
千古の歴史を秘めてたたずむ仏像の数々をめぐる旅は、この鄙びた古寺から始まりました。
たび重なる兵火や廃仏毀釈により荒廃した奈良の寺々に、広大な寺域と大伽藍を誇ったかつての面影はもうありません。でも、「
世界じゅうの国々で、千年、五百年単位の古さの木造建築が、奈良ほど密集して保存されているところはない」と司馬遼太郎氏が書いたように、奈良そのものが奇蹟といってよいのでしょう。雲にそびえる五重塔や東大寺の大仏殿、盧遮那仏(大仏)など見れば、奈良の都は鎮護国家のみならず大国・中国を意識して造営されたことが実感されます。
かつて友人と奈良を歩きましたとき、奈良の魅力は「滅びの美」だと語り合ったものですが、いまもその思いはあまり変わりません。古人はみなもうすっかり成仏してしまって、三山にかこまれた大地や点在する八百八池の水にとけこみ、大和全体を安寧せしめているようです。『万葉集』の歌いぶりにふれますと、当時はまだあの世とこの世の境目のない時代だったのだろうと思えてきます。そうでなければ、あのようなにのびやかで健やかな歌は生まれなかったのではないかと。
その点、京都にはいまだ成仏しきれず、この世に未練を残したままの霊がうようよしているようで、町を歩いていますと、そんなかれらとすれちがったりぶつかったりするのを感じるのですね。『古今集』以降、歌人たちが季節のうつろいに思いを重ね直接的にものを言わなくなったのは、かれらの中に芽生え始めた見えないものへの畏れからくる現実逃避といえないでしょうか。京都を旅する人たちが「癒される」と言うのをよく聞きますけれども、ほんとうにそうかしらと疑いたくなります。すくなくとも、わたしはそうは思わないから。京都は古いものと新しいもの、死んでしまったものと生きているものとが激しくぶつかり合う、良くも悪くもエキサイティングで刺激的な町だからです。ほんとうに癒されたいのなら、どうぞ奈良へお出かけください‥とおすすめしたいのです。
たくさんの仏さまに守られている奈良の町そのものが、広大な寺社の境内の一部のように存在します。千数百年の風雪に耐え、いまも生きつづける草木や建造物の中に、息をひそめてひっそりと人がくらしているところ。奈良の人々は、大いなるものにつつまれ生かされていることをよく知っているのではないかしら。頭上には行雲流水さながらの大空が広がっていて、身もこころもすっかりゆだねることができます。奈良町には興福寺五重塔や東大寺の大伽藍をおびやかすマンションなんて建っていないし(人口密度が低いという理由もあるのだろうけれど)、出逢う人はみな親切で、お寺はすこしも威張っていない。京都はそんな奈良をすこし見習ってほしいな‥なんて、余計なお世話までしたくなるのでした。
そんなわけで、主人もわたしもすっかり奈良の魅力にとりつかれてしまいました。今回は西ノ京~斑鳩~奈良町界隈の古寺巡礼の旅でしたので、次回は山寺まで足を伸ばすか、あるいは平城宮跡や飛鳥といった「滅びの美」をまさに全身で感じられそうな場所に立ち、両の手をいっぱいに広げて大空を仰ぎつつ深呼吸をしてみたいなぁと思うのです ^^
一筆箋 ‥季節のおたより、当ブログへのご意見・ご感想をお待ちしています