雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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ゆっくりと

2007年12月26日 | くらしの和
 
 街のクリスマスの装飾がとれると、お店にお正月のお飾りや鏡餅、おせち料理の食材などが所狭しと並べられて、客を呼びこむ威勢のよいかけ声に追い立てられるような気がします。大掃除も、年迎えの準備もほぼ済ませたはずなのに、まだ何かし残したことがあるようで落ち着きません。

 師走に入ってまもなく、時折うかがう銀座のお店から「旧暦ダイアリー販売」のお知らせが届きました。手紙に「古来より、日本人が千年以上に渡って使われた旧暦。このダイアリーは、脈々と受け継がれてきた日本の心を感じていただけることと思います」とあるのですけど、この文章、明らかにヘンです。正しくは「古来より、日本人が千年以上に渡って使ってきた旧暦。このダイアリーから、脈々と受け継がれてきた日本の心を感じていただけることと思います」よね? ‥なんて思いつつ、旧暦ダイアリーそのものには興味をもちましたので、取り寄せました。

 A5版のダイアリーのタイトルは「旧暦日々是好日」(※)。鳥の子色のシンプルな表紙を開きますと、四季折々の絵図やコラムが満載で、ダイアリーというより図録にちかい。和歌に俳句に、全国の祭事まで載っています。日記を書きこむスペースはほとんどないので、旧暦、六曜、月の満ち欠け、二十四節気七十二候、歳時記‥などをチェックするのに役立ちそうです。

 このダイアリーを手にして気づいたことなのですけど─


─旧暦の元旦って、新暦平成二十年の二月七日なのですね。それなら、旧暦でゆけばお正月までまだひと月以上も(!)あるではないですか。ひと月の猶予をもらったら、なんだか気持ちにゆとりが生まれました ^^

 ためしに、来年は新歴よりおよそひと月遅れのこのダイアリーを参照しつつくらしてみようかしら。もしも新歴新年の踏み出しに失敗したら、旧暦の新年にやりなおそう‥と悠長にかまえて。年も押し迫り、猛進あるのみのイノシシに背後から脅されても、世の中がどんなにせわしく動いても、なおゆっくりと生きてゆけたい‥と思う年の瀬です。


 * * * * * * *

 この一年、「雪月花」にお越しいただきまして有難うございました。みなさまもどうぞお健やかに、よいお年をお迎えください。 (「小魚庵だより」はひきつづき更新いたします)

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※ 旧暦ダイアリー「旧暦日々是好日」は、こちら で販売しています。
 

年用意(としようい)

2007年12月20日 | くらしの和
 
 朝はうすく白粉をはいたように霜が降り、日中は乾燥した冬晴れがつづいています。奈良の旅からもどりましたら、街路樹はすっかり葉を落として冬木立になっていました。野山はすこしずつ眠りに入ってゆくようです。凍てつく夜空にオリオン座が輝いています。

 煤払い、年賀状書き、春着のしたく、お正月の準備。そうして師走をすごすうちに、冬至とクリスマスがいっぺんにやってきて、あっという間に今年も終わりですね。仕事をお持ちの方なら忘年会のお誘いも多く、師走はくつろぐ時間などほとんどないでしょう。お子さまのいらっしゃるご家庭はなおさらのことと思います。それでも、忘年会の帰り道やお茶のひととき、大掃除の手を休めるときなどに、この一年をふとふり返ったり、新たな年への期待をこめたり‥ そんな、くらしの大切な節目をたいせつに思います。


 俳画の先生からどんな賀状をいただけるのかしらと期待していましたのに、「わたしは賀状は書きませんから」とおっしゃるのでがっかり。その代わり‥ではないのでしょうけれど、ぽってりとした愛らしいサンタクロース人形のお手本をいただきました。さっそく自宅で書写しまして(上の画像です)、喪中はがきの届いた友人に送ることにしました。
 喪中はがきが届いたら、賀状を出せないからそのまま‥という方が案外多いようですけれども、相手は賀状の届かない淋しい新年を迎えるのだから、喪中はがきを受けとったら、できるだけ早くお悔やみとともに何らかの返事をすべきだ─ という指摘があり、なるほどと思いました。わたしは、これまで三が日が明けてから寒中見舞いのはがきを送っていたのですけど、それでは遅すぎるというのですね。相手を思いやる気持ちが足りませんでした‥と反省。


 時おり、どこからともなく母の声が聞こえてきます。「大掃除は上から下へする」「年末はあちこち出歩かない」「お正月三日までは、他人さまのお宅にむやみに伺ったり電話をしてはいけません」「三が日は屋外に洗濯物を干さない」云々。こうして並べますと、「~しなさい」「~してはいけません」というお小言ばかり。子どもごころには少々きゅうくつでした。
 でも、新年には何もかもが新しくなるというよろこびがありました。母と一緒に暮れの買物に出ますと、(高価なものではないけれど)ちいさなパールやビーズ使いのきれいな色のニット、ベルベットの帽子や下着にいたるまで、春着を新調してもらえましたし、くらしのこまごまとしたもの─お湯呑み、お箸、歯ブラシ、石鹸、タオル等々─もことごとく新品になって、浄められた家の中に新しいものの放つ香がみちていました。お正月は、家族そろって“お出かけ服”を着て新鮮な気持ちで初詣へ出かけます。「ちょっとそこまでだから」といって、三が日に部屋着姿で外に出ようものなら、その場でひきとめられました。

 こうした家庭のささやかなきまりごとは、記録として残ることもなく、あらたまって伝えられるわけでもありません。でも、それは家庭の数だけ存在し、親から子へ、子から孫へと継いでゆくことで文化となってゆくのでしょう。そうしたことがおろそかにされ、急速に失われつつある現状を、とても淋しく思います。


 そうはいっても、冬至からクリスマス、大晦日、お正月、七草‥と、一年の中でも年末年始は歳時記をもっとも意識するときではないでしょうか。まずは、22日の冬至にかぼちゃやこんにゃくを煮いて食べ、柚子湯にゆっくりとつかってみませんか。

 大いなる年より年へ年用意 (赤星水竹居)

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奈良さんぽ

2007年12月14日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 
 古い町の路地に迷いこんだような細道を大型バスがゆき、狭い三叉路の手前で停まりました。バスを降り、三叉路を左に折れてすこし行ったところに秋篠寺はあります。そこだけ時の流れにとり残されているようであり、寺をめざしているのでなければ気づかずに通りすぎてしまいそうな場所です。紅葉した楓の葉がわずかな風にもしきりに降り、ささやかな山門は紅く染まっていました。参道をすすみますと、翠緑の苔庭の奥に本堂が見えてき、そこにお目当ての仏さまがいらっしゃる‥と、胸をときめかせながらうす暗いお堂の中に足を踏み入れました。眼前に、わが国唯一の天女像のうるわしいお姿。そのようすは、堀辰雄の文章にゆずりましょう。

このミュウズの像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけてもお慕わしい。朱(あか)い髪をし、おおどかな御顔だけすっかり香にお灼けになって、右手を胸のあたりにもちあげて軽く印を結ばれながら、すこし伏せ目にこちらを見下ろされ、いまにも何かおっしゃられそうな様子をなすってお立ちになっていられた。‥
(堀辰雄著 『大和路・信濃路』 より)

 秋篠の伎芸天女の印むすぶゆび細々と空(くう)に定まる
 (鈴木光子)

 散紅葉み堂に無二の天女あり (雪月花)

 千古の歴史を秘めてたたずむ仏像の数々をめぐる旅は、この鄙びた古寺から始まりました。


 たび重なる兵火や廃仏毀釈により荒廃した奈良の寺々に、広大な寺域と大伽藍を誇ったかつての面影はもうありません。でも、「世界じゅうの国々で、千年、五百年単位の古さの木造建築が、奈良ほど密集して保存されているところはない」と司馬遼太郎氏が書いたように、奈良そのものが奇蹟といってよいのでしょう。雲にそびえる五重塔や東大寺の大仏殿、盧遮那仏(大仏)など見れば、奈良の都は鎮護国家のみならず大国・中国を意識して造営されたことが実感されます。

 かつて友人と奈良を歩きましたとき、奈良の魅力は「滅びの美」だと語り合ったものですが、いまもその思いはあまり変わりません。古人はみなもうすっかり成仏してしまって、三山にかこまれた大地や点在する八百八池の水にとけこみ、大和全体を安寧せしめているようです。『万葉集』の歌いぶりにふれますと、当時はまだあの世とこの世の境目のない時代だったのだろうと思えてきます。そうでなければ、あのようなにのびやかで健やかな歌は生まれなかったのではないかと。
 その点、京都にはいまだ成仏しきれず、この世に未練を残したままの霊がうようよしているようで、町を歩いていますと、そんなかれらとすれちがったりぶつかったりするのを感じるのですね。『古今集』以降、歌人たちが季節のうつろいに思いを重ね直接的にものを言わなくなったのは、かれらの中に芽生え始めた見えないものへの畏れからくる現実逃避といえないでしょうか。京都を旅する人たちが「癒される」と言うのをよく聞きますけれども、ほんとうにそうかしらと疑いたくなります。すくなくとも、わたしはそうは思わないから。京都は古いものと新しいもの、死んでしまったものと生きているものとが激しくぶつかり合う、良くも悪くもエキサイティングで刺激的な町だからです。ほんとうに癒されたいのなら、どうぞ奈良へお出かけください‥とおすすめしたいのです。

 たくさんの仏さまに守られている奈良の町そのものが、広大な寺社の境内の一部のように存在します。千数百年の風雪に耐え、いまも生きつづける草木や建造物の中に、息をひそめてひっそりと人がくらしているところ。奈良の人々は、大いなるものにつつまれ生かされていることをよく知っているのではないかしら。頭上には行雲流水さながらの大空が広がっていて、身もこころもすっかりゆだねることができます。奈良町には興福寺五重塔や東大寺の大伽藍をおびやかすマンションなんて建っていないし(人口密度が低いという理由もあるのだろうけれど)、出逢う人はみな親切で、お寺はすこしも威張っていない。京都はそんな奈良をすこし見習ってほしいな‥なんて、余計なお世話までしたくなるのでした。


 そんなわけで、主人もわたしもすっかり奈良の魅力にとりつかれてしまいました。今回は西ノ京~斑鳩~奈良町界隈の古寺巡礼の旅でしたので、次回は山寺まで足を伸ばすか、あるいは平城宮跡や飛鳥といった「滅びの美」をまさに全身で感じられそうな場所に立ち、両の手をいっぱいに広げて大空を仰ぎつつ深呼吸をしてみたいなぁと思うのです ^^

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笠地蔵

2007年12月07日 | 筆すさび ‥俳画
 
 風邪をひいたまま、ずるずると師走を迎えてしまいました。ようやく床上げをして、久しぶりに買いものに出ましたとき、木々の紅葉が見ごろであることに気づきました。四日間も床にふせっていた者にとりましては、照葉の鮮やかな色々はまぶしいばかりです。
 インフルエンザでなかったことは幸いでした。明治のころ、江戸の庶民の間でインフルエンザのことを「お染風(おそめかぜ)」と呼んでいたそうです。それは文字どおり「風に染まる」で、流感を意味したのでしょう。江戸っ子らしく「あら、あたしったら、お染風にあたってしまったわ」なんて表現すれば、風邪やインフルエンザにもいくらか親しみがわくような気がして不思議です。もちろん、あまり親しくなりたくはありませんけれども(笑


 昨年のちょうどいまごろの俳画教室で習った「笠地蔵」を、思い出しつつ復習しました。昨年と比べていくらか上達したのでしょう、よどみなくバランスよく筆がすすんでほっとしました。六体のお地蔵さまにハガキいっぱいのスペースを使いましたけれども、色紙などに余白をたっぷりとって描きますと、降り積もった雪の中にひっそりと立つお地蔵さまの姿になります。
 お地蔵さま信仰は、平安時代に中国から伝えられ、その後阿弥陀さまや道祖神信仰などと結びついて各地の町村に広まりました。

 日本の昔話のひとつ、「笠地蔵」。師走にこの物語を思い返しますと、自分の行いを省みるよい機会になります。この一年の間、お地蔵さまが米俵を運んで来てくれるような行いを、自分は積み重ねてきただろうか‥と。残念ながら、わたしは米俵が届くどころか、逆に米俵をあちこちに届けなければならないことばかり。師走は自省すべきときです。「♪ 村のはずれのお地蔵さんはいつもニコニコ見てござる」という童謡があるそうですけど、お地蔵さまはこんなわたしをいつもどこかで見ていたことでしょう。



 立松和平氏の長編大河小説『道元禅師』(※)を読んでいましたら、こんな一文がありました。

私たちのまわりは真理に満ち満ちているのです。お釈迦さまが四苦とおっしゃり、生老病死こそ人間の誰にでも訪れる真理だと今では誰でも知っているのですが、お釈迦さまがおっしゃる前からその苦しみはあったのですよ。しかし、お釈迦さまが四苦と明らかなお言葉でおっしゃったからこそ、私たちは生老病死をこの世の苦しみとして当たり前に受けとめているのです。このように私たちの身のまわりは真理ばかりなのですが、欲望がありとらわれがあって己を失っている私たちには、そのことがわからないのです。そのとらわれをなくし、この世の実相と向き合うことこそが、仏道修行ということです。‥‥
(『道元禅師』下巻 「深草安養院」より)

 たとえ出家僧とならなくても、「この世の実相と向き合うこと」がそのまま「仏道修行」だと、凡人のわたしは勝手に拡大解釈しています。禅語に「生死事大、無常迅速」があり、「生老病死」の真理とはその禅語にこそ隠されているのですね。本を読みながら、わたしは言葉は知っていても、じつはその真理にいっさい気づかずに生きているんだと痛感します。毎日、人と自分を比べたり、些細なことに一喜一憂したり、欲張ったり、人に何かを求めたり、情報にふりまわされたり‥。「生老病死」「生死事大、無常迅速」、このこととまっすぐ向き合えば、いま為すべきことは何かは自ずと見えてくるはずなのに、お前はなぜそれをしてこなかったかと、道元禅師に一喝された気分です。そう悔やんでみたところで、過ぎてしまった時はもどりません。

 道元禅師が開山した福井県の永平寺(曹洞宗大本山)では、修行僧が入門のため初めて寺の門をくぐります前に、根雪の残る門前で立ったまま三時間ほど待たされた後、先輩僧に促されて「生死事大、無常迅速」と書かれた板木を木槌で力いっぱい数回叩き、ようやく入門が許されます。その音は、雪に閉ざされた春まだ浅い永平寺の大道場のすみずみまで、修行僧の決意となって響きわたるのでしょう。その音が、み仏からのメッセージのごとく、わたしの中にも繰り返し響いています。

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※ 『道元禅師』 は さくら書房 で紹介しています。