雪月花 季節を感じて

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伝統工芸との距離

2007年09月27日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 今年も東京の日本橋三越で「日本伝統工芸展」が開催されています。(2007年9月30日まで。その後、全国に巡回予定) 同じ時期に芭蕉布の重要無形文化財保持者(人間国宝)の平良敏子さんの作品展が東銀座の時事通信ホールで行われており(こちらも2007年9月30日まで)、楽しみが二倍にふくらんでいます。
 数千点におよぶ日本工芸会会員および一般作家の入選作と人間国宝の最新作がずらりと並ぶ会場をめぐりますと、日本の匠は健在であること、そして作家のたゆみない努力によってその匠は年々磨かれていることを実感します。

 「新日曜美術館」(NHK教育テレビの番組)でも工芸展のことが取り上げられました。番組の冒頭で、美術品と工芸品のちがいは、飾るものでなく実際に使うもの、実用を兼ね備えたものが工芸品であると説明され、なるほどそうかと聞き流してしまえばよかったのですけど、ふと考えますと、実際に会場を訪れる数多くの人の中に、いったいこれらの工芸品を「いかに自分の暮らしに生かすか」と真剣に考える人が何人いるでしょうか。あるいは、展示品を買うつもりで見る人はどのくらいいるのでしょうか。わたし自身は、毎年会場で美しい工芸品の数々を目の前にしながら、ある程度の距離感をもって眺めていることがほとんどです。
 専門家による厳しい審査を通過した作品と人間国宝の作品ですから、作家がその技術を誇示する意図がなくても、それは作品からおのずと立ち上ってくるもので、隠すことはできません。それに、実用に堪えるというなら、どうしてそれが伝わるように展示を工夫しないのか不思議ですし、実際にわたしのような庶民の暮らしに役立っているものは、もっと単純で、よく見るとどうしてこのようなものを十年も好んで使っているのかしらと思えるようなものです。伝統工芸展はやはり日本の匠の殿堂であって、現代の暮らしと直接に結びついているとは思えませんし、いわゆる「用の美」というものともちがう気がします。

 作家や職人さんたちの努力が足りないというのではありません。受賞経験などなくても、良いものづくりをめざしている職人さんはたくさんいらっしゃるでしょう。江戸小紋染師の小宮康孝さん(重要無形文化財保持者)が、あるインタビューで「伝統を守る改良」ということを言われていましたけれども、伝統を守ることと改良を加えることは矛盾しないのです。「使う人のためを思って、いい物をなるべく安く作れるように、今のやり方を改良すること。それが物を作る人間の使命だ。伝統産業ってのは、改良の連続で生き残ってきた。古い物をただ守ってきたんじゃない。その時その時の最先端産業だったから生き残れたんだ」という小宮氏の言葉が印象的です。ただし、改良もゆきすぎるとただの美術品になってしまい実用から離れてしまう、それは顧客との距離感に原因がある、と指摘されており、古いものと新しいもの、職人と顧客の関係といった点に、すぐれたバランス感覚をお持ちです。
 さらに小宮氏は、ともすると手仕事の重要性ばかりが強調されるいま、機械化や「機械が手を追い越す」可能性を否定しません。それについての小宮氏の言葉を下記に載せますが、わたしには今後の伝統工芸を考える上での警告のように聞こえます。
 
 あたしは近代文明で使えるものは使えばいい、という考えでね、機械を使う仕事にお客さんのためを思う誠意があれば、手仕事を追い越せると思ってる。誠意と努力は時も国境も超えて通用するものだ。だからね、もしこのあたしが機械染めをやったら、必ず型染めを追い越せる自信があるよ。‥‥
 ただ、本当にそうなった時には、あたかも手間ひまかけた職人仕事であるようなふりをしないで、正直に値段を安くして、機械だからこれだけのものがこの値段でできるんだって言ってほしいね。高く売ってもうけようっていうんだったら、それは使う人や品物のためを思ってのことじゃない。自分の欲のための効率化だ‥‥欲のための合理化は文化の質を落とすよ。
 でも、不思議だねぇ。‥‥今の段階では、人の彫った型とコンピューターで正確に穴の位置を決めた型を比べたら、人の肌にしっくりくるのは手仕事のほうなんだ。心に響くものがあるのは人のやった仕事。
 まぁ、もしかするとこれからコンピューターが発達したら、こういう美しさを機械でも作れるようになるかもしれないね。(その結果、型染めがなくなってしまっても)仕方がないね、機械が手を追い越した、ということだから。今までと同じ物を安くたくさん作れるようになったというなら、それはそれでいいと、あたしは思ってるよ。
(朝日新聞夕刊「人生の贈り物」より)

 小宮氏の言葉を、みなさまはどう受けとめますか。
 「お客さんを裏切る仕事はしない」と言いきる小宮氏は、今後ますます進むであろう合理化も、つくり手と使い手との関係や距離感を念頭に置いて考えていることがよく分かります。伝統を守り抜くため、職人さんは自信をもってここまで語れるだけの努力と工夫を日々積み重ねている。暮らしと暮らしの道具との乖離がすすむ時代、顧客であるわたしたちも、もっと真剣に伝統工芸や職人さんたちとつきあわなければいけないでしょう。つくり手が勉強することだけを期待するのでなく、使い手であるわたしたち素人はもっともっと勉強しなければいけないわけで、そこから後世に残ってゆくものや適正価格というものも見えてくるのではないでしょうか。

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文様印(五) 月うさぎと露芝

2007年09月20日 | 和楽印 めだか工房
 
 シルバーウィークはいかがおすごしですか。関東地方もきびしい残暑がぶりかえしています。20日から彼岸の入りですけれども、いつも彼岸花が咲く場所に今年はまだ花が見えません。それでも、萩や秋桜の花に聞けば秋風を見つけることはできますし、金色のすすきの穂は順調に伸びて、栗や柿の実はすこしずつ色づいています。
 集中豪雨による被害の大きかった東北地方のみなさまへ、この場からお見舞いを申し上げます。
 

 25日は旧暦の八月十五日、中秋の名月です。先週末から夕空にきれいなお月さまがかかるようになり、日ごとに輝きを増しています。昨年の東京の十五夜はあいにくの無月でしたけれども、今年はどうでしょう。わたしは、散歩の道すがらにあるすすき数本に目を付けています ^^ゞ

 「月うさぎ」と「露芝(つゆしば)」の消しゴムはんこを使って、お月見用の菓子敷き(ティーマット)とはがきをつくってみました。菓子敷きは A5サイズで、はがきの約二倍の大きさです。月に「露芝」ですから、露は月のしずくでしょうか。月には若返りの水があるといいますから、草の露を口に含めば若返るかも‥

 白露に風の吹き敷く秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける
 (『後撰集』 文屋朝康)

 この和歌のとおり、「露芝」は秋の野に結ぶ露を意匠化したもの。細く眉を引いたような曲線をランダムに配して、その上に露玉をのせただけの模様ですが、草上の無数の露が風に吹かれてはらはらとこぼれ落ちるようすが見えるようです。和歌ではただ「露」でなく「白露」ですから、きらきらと光を放ちながらこぼれる玉の美しさは格別でしょう。このような、直接表現されていなくても風や雨を感じる詩歌、絵、意匠などが、わたしはとても好きです。
 また、露ははかなさの象徴ですね。天下人となって栄華をきわめた豊臣秀吉でさえ、草露の身にすぎませんでした。秀吉の辞世はあまりにも有名です。

 露と落ち露と消えにしわが身かな なにはのことも夢のまた夢

 「月うさぎ」は、むかしのインドのお話から。ある日、みすぼらしい老人に身をやつした帝釈天さまが、食べものを乞いながら歩いていたところ、サルとキツネとウサギに出逢います。善行を積んで、来世はより良い姿に生まれ変わりたいと願う動物たちは、老人のために懸命に食物をもとめて野山をまわり、サルは木の実を、キツネは魚を老人に与えました。ところが、何も見つけられないウサギは困ったあげく「わたしには何もありません。どうぞわたしを食べてください」と、たき火に飛びこんで自らの身を捧げます。帝釈天は感動してウサギを甦らせますが、そのウサギのまる焦げの姿をお手本として月に祀りました。それで、月のうさぎは黒いのだとか。でも、かわいそうなお話ですよね。ワニに皮を剥がされてしまう因幡の白うさぎも‥。
 か弱く繊細な動物のように見えるうさぎも、武家社会ではそのすばしこい逃げ足が尊ばれて、一家の幟(のぼり)や甲冑の意匠に使われました。とくに、「波にうさぎ」文様は、荒波をものともせず飛び越えてゆくうさぎの姿が印象的です。こうしてみますと、うさぎは犠牲になったり、勇敢だったり、守ってあげたくなるほどおとなしかったりと、変幻自在なのですね。


 十五夜は、この菓子敷きにお菓子とお茶をのせて楽しむつもりです。お菓子は何にしましょうか♪ みなさまもよいお月見を‥ ^^

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虫の秋

2007年09月13日 | 筆すさび ‥俳画
 
 二百十日の風はおさまりましたものの、東京は降りみ降らずみの空模様がつづいています。時おり雲間から陽の光がさすとき、遠い記憶がふとよみがえるように法師蝉の声が聞こえてきます。夏の忘れものでしょうか。さらさら降る雨を抜ける風にうっすらと肌寒さを感じて、窓を閉めようとしましたら、眼下に広がる街が雨ににじんで見えました。秋霖の季節、みなさまはいかがおすごしですか。


 先月の俳画は「きりぎりす」と「虫籠」でした。どちらも細部にこだわらない絵で、草叢の“余白”とか虫の“気配”をたいせつにする俳画らしい俳画といえましょう。きりぎりすは「チョン、ギース」とゆっくりと鳴く秋の虫で、この鳴き声が布を織るときの機織りの音に似ているとされて、「機織虫(はたおりむし)」の異名があります。ところで、きりぎりすは夜でなく昼間に鳴くのだそうですね。ご存知でしたか。

 白露の候にふさわしい歌を二首。

 夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも
 (『万葉集』 湯原王)

 きりぎりすいたくな鳴きそ 秋の夜のながき思ひは我ぞまされる
 (『古今集』 藤原忠房)

 『万葉集』に詠われたこおろぎは、こおろぎにかぎらず秋に鳴く虫の総称でした。また、『古今集』のきりぎりすは、いまのこおろぎのこと。なんだかややこしいけれど、いずれもどの虫であろうと歌意に変わりなく、虫の音が誘うそぞろな寂しさがそのまま歌に反映しています。

 秋近き心の寄るや四畳半 (芭蕉)

 「きりぎりす」の絵に添えたのは、わたしの好きな芭蕉の句のひとつ。四畳半というちいさな空間で、芭蕉とその門人たちがしづかにすごしている初秋のひとときを想像します。この句の成るすこし前に、芭蕉はたいせつなひとを亡くしており、深い喪失感の中にいる師をなぐさめようと、門人たちはこころを尽くしたかもしれず、芭蕉のかれらへの温かなまなざしと感謝の気持ちが伝わってくるようです。この句の「四畳半」という空間がよいのであって、これがもし六畳や八畳間であったなら膝を寄せ合うには広すぎますし、三畳では句の味わいまで窮屈になってしまうでしょう。句の背景には、庵をつつむ虫の音がやさしく響いています。


 川風と書物と寝る夜虫の秋 (雪月花)

 欧米人には雑音にしか聞こえないという秋の虫の音を古くから愛で、「歌合せ」にちなんだ「虫合せ」の遊びもあった日本には、機織虫(きりぎりす)のように鳴き声をそのままその虫の異名にした例がすくなくありません。ちちろ虫(こおろぎ)、つづれさせ(こおろぎ)、ちんちろ(松虫)、月鈴子(鈴虫)、すいっちょ(馬追)。風のよい夜は窓を開けて、テレビや音楽を消し、できれば部屋の灯りも落として、虫の声に耳をかたむける時間をもちましょう。わたしは、和室の片隅の行灯にのみ灯を入れて、読書を楽しんでいます。でも‥、あまりここち良いので、しばらくすると眠くなってしまうんですよね(笑

 そういえば、俳画のお稽古を始めて一年になります。来月からは俳句も本格的に学びます。がんばらなくては ^^

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文様印(四) 青海波と千鳥

2007年09月06日 | 和楽印 めだか工房
 
 遅まきの主人の夏休みで、先週末から奥日光へ行ってまいりました。群馬県側から峠を越えて中禅寺湖をめざすのですけど、山の入口からしばらくはりんご園が点在していて、この時季は頬を紅く染めたかわいいりんごたちが迎えてくれます。峠道の両際に萩や藤袴(フジバカマ)が咲き乱れ、末枯れた夏草の広がる戦場ヶ原には吾亦紅(ワレモコウ)や竜胆(リンドウ)がぽつぽつと顔を出していて、ひと足早い高原の秋を楽しみました。湖畔は晴天でも気温22℃でしたから、山を下りてから残暑が身にこたえます‥


 消しゴムはんこの文様印シリーズ四回目は「青海波(せいがいは)」と「千鳥」です。みなさまにも親しみのある図柄と思います。
 「青海波」の原型は世界各地に見られ、日本には「唐草」と同様に中国から伝わりました。一説には、中国青海地方の民族模様のひとつといわれ、もともと山岳文様だったそうなのですが、日本では鎌倉時代から波(水)の文様として普及しました。
 平安時代の『源氏物語』「紅葉賀」の帖に、光源氏と頭中将が桐壺帝の御前で舞曲「青海波」を舞う場面が描かれています。「源氏の中将はせいかいはをぞ舞ひ給ひける」‥ 夕日に映える紅葉がはらはらと散る中、藤壷女御への想いを胸に秘めつつ「青海波」を舞う源氏の君の姿は、この世のものとは思われない美しさであった‥とあり、この中国(唐)から渡来した舞曲「青海波」を舞うときに身につける装束(袍 ほう)や太刀は、「青海波」の地紋に「千鳥」の文様と決まっていました。また、『枕草子』にも裳の模様として登場するのですが、先に述べましたように、明確に波(水)の模様として認識されるようになったのは鎌倉時代になってからのようです。舞曲名のほうが先で、後世にこの曲名にちなんで「青海波」と名付けられた、というのが一般的な説です。

 魚のうろこのような、おだやかな半円の波形がどこまでも広がってゆくこの「青海波」も、吉祥文様のひとつ。波のひとつひとつが末広がりの扇の形をしていますことも、おめでたいしるしです。それに、水面近くを群れをなして飛び難を避けるという「千鳥」を合わせて「波に千鳥」となります。ご覧のとおりの愛らしい図柄ですから、和の雑貨を扱うお店をのぞけばたいてい見つかります。身近に取り入れやすい伝統文様ですね ^^ 京からかみには、「波につぼつぼ」「波に鱗鶴(ウロコヅル)」といった組合せ文様もみえています。

 淡海(あふみ)の海夕波千鳥汝(な)が鳴けば
                  心もしのにいにしへ思ほゆ

 (『万葉集』 柿本人麻呂)


 太平洋上を北上する台風9号の影響により、東京は昨日から断続的に雷をともなった激しい雨が降っています。週末まで雨がつづくようなので、数日分の食糧を買いだめしてまいりました ^^; 台風の進路予想範囲内にお住まいの方は、くれぐれもお気をつけておすごしください。

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