お盆のころから天気が安定して、ようやく夏らしくなりました。蝉たちも元気いっぱい、朝顔や百日紅の花は、「夏はこうでなくっちゃ!」といわんばかりに咲きほこっています。でも、夕風のはこんでくる虫の声は、まるで鈴の音のように軽やか。夏と秋の同居を感じます。
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お手伝い仕事で時おりうかがう会社に気の合う女性がいて、先日ある話のきっかけから「よかったら、読んでみてください」とB5版三枚分にコピーされた短い文章を手渡されました。それは、劇作家で俳優の戌井昭人(いぬいあきと)さんが書かれたエッセイで、タイトルはひらがなで『てんかいそうろう』(※)とあります。漢字にすると「天下居候」なのだけど、このエッセイを読めば、なんとなくひらがながぴったりくる感じがして、おもわずほほえんでしまいます。
文章を読まなくても、タイトルから何が書かれてあるかだいたい想像できたのだけど、読んでみるとやっぱり予想どおりで、たとえばこんな文があります。
天下居候‥‥眺めていると、人間なんて宇宙から見たら地球に天下居候なわけで、生きていれば死ぬまで天下居候なのだと、「でも、だからどうした、いいじゃないか、居候をまっとうしな」そんなふうに言われている気がしてきました。そして氏名なんてものは、ただの記号や数字みたいなもので、電話番号や住所と同じなのではないかとさえ思えてきました。
で、その戌井さんはというと、しばしば名まえを「成井(なるい)」さんと間違えられるそうで、ときに面倒になって「ハイ、ナルイです」とそのまま名のってしまうらしいのです。すると、
何かがスーッと抜けていくような気がして、少し心地よかったのです。たぶんそれは、社会生活の上で自分にまとわりついた色んな記号みたいなもの、生年月日とか住所とか身長とか体重とかメールアドレスとか電話番号とか、もちろん氏名とか、そういうものだったのではないかと思います。‥‥(略)‥‥そうだ、今ここにいる自分は、ただの天下居候なわけで、氏名なんてどうでもいいのだ、と思えてきたのでした。
そんなおもいにいたったナルイさんは‥ いえ、イヌイさんは、まったく自由気ままな気分になって、誰にともなく「
天下居候させて頂いております」とちょこんと頭をさげました、というところで、このエッセイは終わっています。
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いつだったか、生まれたときはまっさらだった赤ちゃんが、名まえをもらったとたんに不自由な存在になり、そして成長しながら、住所や電話番号、メールアドレス、出身校に学位や資格、地位や名誉などなど、それこそいろいろなものにがんじがらめになって、まことに不自由な暮らしをしているのがわたしたち人間である、と教えていただいたことがあります。
なるほど、そういったもろもろのものを、すべて自分を自分たらしめるために必要なもの、あるいは付加価値と考えている人は多いのではないでしょうか。でもそれは、父なる天と、母なる大地のあわいに、わずかの間だけ間借りさせていただいているちっぽけな人間の、勝手なおもいこみであり、たいそう傲慢な考えなのかもしれません。足場をかためて安住しているつもりが、じつはたくさんの足かせをして生きているということ。そして、そういったものへの執着が、さまざまな軋轢を生むということも。
イヌイさんのエッセイを読んで、そうおもえてなりませんでした。
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すてきなエッセイをすすめてくれたお礼を述べると、彼女はこう言いました。「イヌイさんは、名まえにこだわるより、摩擦をさけることを選んだんですよね」。
わたしは、まるで説法を聞かせていただいたような、有難いきもちになって、「天下居候させていただいております」とおもいながら、ちょこんと頭を下げました ^^
おしまい
※ 『てんかいそうろう』 は、光村図書出版・日本文藝家協会編の 『父娘の銀座 ベスト・エッセイ 2009』 に収録されています。5ページ余りの短いエッセイです。