雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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吹き寄せ

2005年10月29日 | 京都 ‥こころのふるさと
 京都東山のふもと知恩院の山門前から北に伸びる神宮道(平安神宮の参道です)を、友人とふたりで歩いていて見つけた小さなお干菓子屋さん。わたしはしばしばこちらのお菓子をお土産にしたものです。写真は晩秋の京都を訪れたときに買いもとめたもの。吹き寄せは、凩の吹きすさぶ季節の贈りものですね。

 あかきいろ紅葉木の実をこきまぜて 君におくらむ里の山づと

 旬の季節を象ったたくさんの小さなお干菓子の中から、お店の人に頼んで好みの組合せで包んでもらうこともできました。ある年の暮れ、お正月用に「白と橙の水仙と、白と薄紅色の椿、それに千両を入れてください」(すみません、わがままな客で‥)とお願いしました。すると、お店の方が水仙、椿、千両のお干菓子の傍らに、名残の紅葉のお菓子をひとつ、おまけしてくれたりして。
 そんなふうに「どれを組合せよう?」と、お土産のゆく先の好みなどを考えながらあれこれ思案するひとときって、とっても楽しい♪(お店の方はいつも辛抱強く、わたしが注文するまで待っていてくれた) 古都の景をいくつかずつ切り取って集めた小さな包みをひらいたとき、よろこんでもらえたらうれしいな‥ と思いつつ。

 もみぢ葉は袖にこき入れてもていでなん 秋はかぎりと見んひとのため
 (『古今集』 素性法師)

 もみぢ葉を袖に入れてもってゆこう。
 今年の秋はもうおしまいだと思っている、あの人のために‥


 紅 茜 黄 金 橙 栗色 柿色 朽葉色 枯色
 手にあまるほど色とりどりの秋。 あなたはだれと分け合いますか。
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柿のはなし

2005年10月22日 | 季節を感じて ‥一期一会
 はや霜降の候。関東地方の長雨もようやく去り、雨上がりの清々しい空気を胸いっぱいに吸いこみ、秋空を仰ぎました。今月、日本中の神さまが出雲に出かけて留守だけれど、出雲では重要な会議を開催中。神々は出雲大社に参集し、来年の人間たちの縁結びの相談をしているのです(!) 想い人のいらっしゃる方は、神妙に‥ (もう遅い?)


 実りの秋、今日は柿のお話をいたしましょう。
 正岡子規と親交のあった天田愚庵という禅僧がいました。愚庵は、かつて松尾芭蕉の弟子の去来の住居だった京都嵯峨野の落柿舎に住み、毎年庭で収穫した柿の実を、柿が大好物だった子規に送っていたのだそうです。ある年、子規は愚庵から届いた柿の礼状に、次のような歌をしたためました。

 柿の実の渋きもありぬ 柿の実の甘きもありぬ 渋きぞうまき

 さて、なぜ「渋きぞうまき」なのでしょう。子規は柿に目がなかったけれど、いくら好物とはいえ渋柿ばかり食していたとは思えません。

 晩年の子規は胸を患い、余命いくばくもないことを自覚していました。それを知った愚庵は、「(息のあるうちに)すこしでも早く好物の柿を届けてやりたい」と思ったのでしょう、つい待ちきれずに渋みの抜けきらない柿の実を送ってしまったのです。そんな愚庵の気持ちを、口に入れた柿の渋みからとっさに察した子規。「‥渋きぞうまき」。この歌の、たった三十一文字にこめられた友人への深い感謝の情が、みなさまにも伝わってきましたでしょうか。(※)

 消息は一行にしてことたらむ 思いは文字にかきがたきかな
 (吉井 勇)

 ちなみに、「鐘が鳴るなり法隆寺」の句は、子規が“東大寺の鐘の音”を聞いた翌日、法隆寺の門前の茶店で柿をほおばりながら思いついたものだとか。ご存知でしたか。


 この時期、ふるさとから秋の実りがいっぱいに詰まった小包を受け取る方もいらっしゃることでしょう。秋の実りは自然の恵み、そして、それを大切に守り育ててきた人たちの気持ちの結実。感謝のこころでいただきましょう。

 ‥実はこの「柿のはなし」、つづきがあります。ご覧になりたい方はコメント欄へどうぞ。


※ 歌の解釈は、長年お世話になっていますサイトの作者さまから教えていただいたものです。多謝。
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立待の月

2005年10月19日 | 季節を感じて ‥一期一会
 雨後の月によめる

 うらみこしのちこそおもひまさりけれ 立待月の影のつれなさ


 十二夜以来、ようやくその麗容と相まみえることに‥
 良月の月もそろそろ見納め。待たされた分、ゆっくりとお月見をいたしましょう。
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十三夜

2005年10月15日 | 季節を感じて ‥一期一会

 秋の夜の月かも君は雲がくり しましも見ねばここだ恋しき
 (『万葉集』 巻十より)

 読みかけの随筆集に、今宵の十三夜にふさわしい文章がありましたのでご紹介します。原文は花曇りの夜の状景(※)なのですが、こんなふうに読みかえて─


  巳(すで)にして雨はらはらと降り来ぬ。やがてまた止みぬ。
  秋雲(しゅううん)月を籠(こ)めて、夜ほの白く、
  秋風 (しゅうふう)澹(たん)として無からむとす。
  虫の声いと静かなり。


 中天に無月のこころ閑かなり‥
 ほのかににほふ月を感じていただけましたら幸いです。


※ 徳富蘆花の『良夜・花月の夜』の一節。原文は「巳にして雨はらはらと降り来ぬ。やがてまた止みぬ。春雲(しゅんうん)月を籠(こ)めて、夜ほの白く、桜花(おうか)澹として無からむとす。蛙(かはづ)の声いと静かなり」。
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菅公の月

2005年10月14日 | 季節を感じて ‥一期一会
 十五日の夜は旧暦の九月十三夜。仲秋の名月を楽しまれた方は片見月にならぬよう、明日のお月さまも‥ と言いたいところなのですが、どうやら週末の天気は下り坂のようですね。
 
 後の月は豆名月、栗名月とも。母からいただきものの栗を分けてもらったので、さっそく栗飯を作りました。キッチンは炊飯中から秋の実りの香でいっぱい。あたたかなお味噌汁と季節のごはん、それに、ささやかなおかずが二菜もあれば幸せ‥♪になれる、秋の食卓です。

 飯椀に名月盛りて十三夜


 さて、観月の宴の事始めは十世紀初頭の秋までさかのぼります。
 学問の神さま、天神さまで知られる菅原道真(すがわらみちざね、八四五~九〇三年)は、名だたる儒家の出身で詩才に秀で、宇多天皇に重用されましたが、天皇が醍醐天皇に譲位されてまもなく、当時同じく官僚だった藤原時平に讒訴されて大宰府に追放され、失意のうちに短い生涯を閉じます。時平が亡くなった九〇九年の八月十五日、宇多法皇は親しい文人たちのみを召され、道真を偲んで個人的な観月の宴を開いたそうです。その十年後の九月十三日、やはり宇多上皇が十三夜の歌会を催され、そのときの季題が「月」。上皇はその夜の月を「無双」(これ以上のものはない)と讃えられました。

 いにしへもあらじとぞおもふ 秋の夜の月のためしはこよひなりけり
 (『新勅撰和歌集』 源公忠朝臣)

 道真ときけば梅、「東風吹かば‥」の歌と飛び梅伝説(※)がまず思い出されますが、秋の月と道真との結びつきは意外でした。少々季節は外れるけれど、十三夜に寄せて、梅をこよなく愛した道真公に、「雪月花」の歌をせめてもの霊鎮めとして捧げましょうか。

 雪の上に照れる月夜に梅の花 折りて贈らむ愛しき子もがも
 (『万葉集』 巻十八より)


 もし十三夜の月を拝めなかったら、ある作家が月に寄せた随筆の一文をご紹介したいと思っています。 それでは‥


※ 東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ (菅原道真)
大宰府に配流が決まった折、道真が「紅梅殿」ともいわれた自邸の庭の梅に別れを惜しんで詠んだ歌です。梅は道真を慕って太宰府まで飛び、そこに根を下ろしたという逸話(飛び梅伝説)があります。
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秋霖

2005年10月07日 | 季節を感じて ‥一期一会
秋霖(しゅうりん)

美しい雨の名まえです
霖(ながあめ)は季節の変わり目
ひと雨ごとに 秋が深まります

 木の葉木の実を野に山に 色さまざまにそめなして
 おりおりそそぐ 秋の雨‥ (文部省唱歌 「四季の雨」(※)より)


一年に四度 長雨の季節がおとずれます
菜の花が咲く季節の 菜種梅雨
梅の実が熟れるころの 梅雨
秋草に月の雫の吹きむすぶ 秋霖
山茶花(さざんか)をうるおす さざんか梅雨

日本ほど たくさんの美しい雨の名をもつ国は
ほかにないのではないでしょうか


しとしと しとしと‥
やわらかな雨のふりそそぐ部屋で
ぽろぽろと鳴る ピアノの音を聴きながら
読みかけの本をひらく

 家の窓 ただひとところ あけおきて
        けふの時雨に もの読み始む (若山牧水)

一葉一葉 ページを繰るうちに
すぎゆくときを 忘れてしまう‥

露を抱く叢のもとに すだくこほろぎ
その音色は わたしをやすらかな眠りへ誘います
 ・
 ・
 ・
こんな静かな 雨ごもりの休日が
わたしは好きです


雨のふる日のひととき
みなさまは いかがおすごしですか



春の雨は「水に輪をかく波なくば けぶるとばかり思わせて 降るとも見えじ春の雨」
夏の雨は「物干し竿に白露を なごりとばかり走らせて 俄かにすぐる夏の雨」
冬の雨は「窓の小笹にさやさやと 更けゆく夜半をおとずれて 聞くだに寒き冬の雨」
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白秋

2005年10月01日 | 季節を感じて ‥一期一会
秋色‥ と聞くと
あなたはどんな色を思いますか

紅 黄 黄金色 茜色 柿色 朽葉色
野山や木々の紅葉や黄葉
錦秋の色を思い浮かべるでしょうか


「古代の中国人は、人生を四つの季節にたとえたという。
 <青春>、<朱夏>、<白秋>、そして <玄冬>」
 (五木寛之 著 『朱夏の女たち』 より)

白秋
さがしもとめていた秋色に
ようやく出会いました

何色にも染まる色 そして
何色にも 染まらぬ秋の色

 立ちよれば そでになびきて
       白萩の花の香ゆらぐ 月の下かげ


ひとつの季節を一生のうちの二十年とすると
いま わたしは朱夏の終わり

朱夏を精一杯生きたならば
このように清らかで 閑かで 気品ある秋(とき)を
迎えることができるのでしょうか
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