2006年に生誕120周年を迎えた陶芸家・富本憲吉(1886-1963年、重要無形文化財保持者)。昨年の秋に松下電工汐留ミュージアムの「富本憲吉のデザイン空間」展を、そして現在世田谷美術館で開催中の「生誕120年 富本憲吉」展(2007年3月11日まで)を観ました。どちらも、人間国宝の仕事というより富本の美意識に焦点をあてた展観で、整斉とした空間でじっくり作品と向き合うことができました。観賞後のくつろいだ気分を表そうとしましたら、久しぶりに水彩画になりました。
見どころのひとつは、やはり富本の斬新なデザイン。「模様から模様をつくる可からず」という有名な富本の言葉は、「伝統から伝統をつくる可からず」と言い換えられるでしょう。以前ご紹介した刺繍の人間国宝・福田喜重氏も同じことをいっています。伝統の形骸化をもっともおそれる人の仕事には、かならずこころを打つものがあります。
もうひとつは、建築と室内装飾を学んだのち英国留学し、帰国後、バーナード・リーチと出会って作陶を始め、故郷の安堵村(奈良県)~東京~京都と、およそ五十年の作陶活動を行った富本ならではの美意識です。富本は国宝級の陶芸を創作するかたわら、生活空間を美しくするための作陶を忘れませんでした。
世田谷美術館の展示に、富本の家族がそろって居間でお茶を楽しんでいる一葉の写真がありました。茶器や菓子器はもちろん富本のものなのですが、それらはよく見なければ気づかないほど家族のだんらんにとけこんでいます。これこそ、富本の原点でしょう。かれは、飾り壷や陶板以外に、ブローチや陶印、タイル、煎茶器セット、灰皿、コンセントカバー、照明灯の把手を作陶し、椅子をつくり本の装丁まで手がけて、暮らしをゆたかにするためのものをできるだけ安価に大量につくろうと努めた人でもあったのです。汐留の展示を見逃した方は、世田谷でそのことを感じてほしいと思います。
さて、富本憲吉といえば金彩の羊歯(しだ)模様、あるいは定家葛の花を意匠化した「四弁花模様」がまず想起され、色も古色に近い沈むような赤色と鈍い光を放つ金銀彩の大壷が思い浮かびます。ところが、世田谷で目をひいたのはその赤でも金でもなく、あたたかでとろんとした肌の白磁や瑠璃釉の小壷、「粟田色絵」という名の黄草と青の菱模様の香炉などで、どれもみな小品にもかかわらず、赤色の勝った壷や陶板の中にあってもその存在を無言で主張していてまったく新鮮でした。また、同じかたちをした三つの四弁花模様の飾り壷は、模様がもっとも細かく描かれたものに惹かれました。富本は小ぶりのもの、模様の繊細なものに佳品が多いのでしょうか。色絵金銀彩にも派手さはなく、赤と金と銀は同じ面に交錯しながら互いの個性を消し合うように配列されています。京焼の雅びでもなく、江戸の粋でもない。余白がないのに観る者の感懐を受け入れる余裕がある。この感覚は、異国に学び、奈良・東京・京都をみごとに融合させた富本だけのものでしょう。
ただし、どんなに好きでも、それらが美術館のケースの中にあるうちはほんとうのところは分かりません。そこが暮らしの道具の面白いところであり、そのことはみなさまも十分すぎるほど経験から学んでいるはずです。惚れこんで買って、使うほど愛着がわき、料理のアイデアまで教えてくれるうつわもあれば、しばらく使ううちに見るのも嫌になってしまううつわもあります。ほんとうに不思議です。
最近よく思いますのは、出合いがどのようなものであれ、つきあううちにいつのまにかこころがしずまるもの─それがわたしの用の美のようだ、ということです。美との出合いの瞬間は、はっとしたり、言葉にならなかったり、思わず手にとってみたくなるという本能的なものだけれど、やがてその気持ちがところを得て“ストンと落ちる”といった感じ‥ そうそう、「落ち着く」とはよい言葉です、まさにそんな気持ちです。うつわなんて、所詮は道具。そう思えば、いつまでも揺さぶられては疲れてしまいますし、作家の感情や大望がそのまま凝結したモノなんてまっぴらです。
そうはいいましても、落ち着いたこころの状態を保つことはむつかしい。未熟なわたしにとって、自らが招いた“不用”なモノが悩みのタネです。
暮らしの道具に限りません。絵画、音楽、書画などの芸術においても、わたしはその“落ち着きどころ”をこれからも探ってゆくことでしょう。
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一筆箋
◆◆ 雪月花のおすすめ 用の美の壷 ◆◆◆
「柳宗理 生活のなかのデザイン」展 @東京国立近代美術館(~3/4/2007)
「志野と織部 風流なるうつわ」展 @出光美術館(~4/22/2007)
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