フリージア工房 国道723号店

ハロプロメンバーを応援してアイドル音楽を愛するエッセイブログ

あの時に聴きたかった歌

2012-07-24 22:32:30 | ハロプロ(℃)

 2009年の晩秋、日が暮れ始めて肌寒くなってきたよみうりランドイーストで、私は新生第一弾を寒々とした想いで聴いていました。それはある意味、その直前に発表されたメンバーカラーの変更以上にSHOCK!であったかもしれません。

 私はこのグループを応援するにあたって三回も悲しい思いをした。一回目はただただ残念で悲しく、二回目はその一連の流れと対応に事務所に不信感を抱き、三回目は虚無感のような気持ちが心を支配した。それでも、残った五人のメンバーは前を向いて歩こうとしている。それならば、そんな五人を応援していきたい。そんな風に決心していた時に、その前を見て歩き始めた五人に与えられた歌は「フラれてSHOCK!だけれどメソメソしてはいられない」という歌。いや、前向きな歌。前向きな歌詞ではあるけれど、フラれたという設定が今グループが置かれている状況を置き換えたものであるという事は理解しているけれども。でも、私が聴きたいのはそういう歌じゃない。

 私があの時聴きたかった歌は、五人の心に風が吹いているけれど、その現実は現実として客観視した上で未来を見据える。そんな歌であってほしかった。アイドルという期間限定な儚いものに、少し強く少し明るく明日を語れる歌を聴きたかった。それを力強いメロディとリズムに乗せて。

 先週、遅まきながらひめキュンフルーツ缶の最新シングル「例えばのモンスター」のMV(前回の記事に貼った動画)を見た時に、私はあの肌寒かったよみうりランドイーストを思い出し、「ああ、あの時私が五人から聴きたかった歌をこの五人が歌っている」と思ったのでした。歌詞だけをそのまま抽出すれば所々はベタな歌詞かもしれない。でも、仲間を失ったメンバーが歌う「儚さと情熱の花束」は、決して平坦とは言えないアイドルというジャンルを直視して歌っている。
 そう、私が求めていたのは、メンバーを失うという事を失恋なんぞに置き換えたものではなく、その心とまっすぐ向き合った歌だったのだと思い出した。

 晩秋に発表された新生シングル、メンバーは険しい顔をして歌っていた。歌詞の内容を考えたらそれは仕方がない。でも本当はたとえ空元気でも、メンバーは笑っていて欲しかった。
 初夏に発売されたこのひめキュンの歌は、メンバーが何かに達観したかのような穏やかな笑顔で歌っている。その穏やかな笑顔が、一連の(メンバーが辞めていく)流れを見ていない私にでさえ心に突き刺さってくるもので、その穏やかさが悲しみを抱えながらも前に歩き始めたアイドルそのものだと理解出来る。

 こんな事を今更思い返すという事は、私の中ではまだ落とし前はついていないのかもしれない。愛理が穏やかな笑顔で前を見て歌ってくれるシングルが出れば、その時初めて次の季節を迎えられそうな気がするのだけれど。

コメント
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