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ハロプロメンバーを応援してアイドル音楽を愛するエッセイブログ

酷使の果てに

2011-07-30 22:21:19 | ハロプロ(娘。)

 以前まだ沖縄県の高校が高校野球の甲子園大会で優勝をした事がなかった時代の話。ある高校が決勝まで進出した。エース投手は一人でチームを支えて投げ続けた。
 高校野球は投手の優劣がチームの強さに大きく影響する。そのエースの実力はかなりのレベルであったから、沖縄県勢初の優勝も手に届くところにあった。
 しかし、決勝までチームのために肉体を酷使してきたエースには、もはや余力は残っていなかった。真夏の酷暑の甲子園のマウンドは四十度を超す気温になるそうだ。そこで毎試合百球以上を投げてきたのだから体力を削られるだけでなく、弱った体は異変をきたしても不思議ではない。
 決勝で打ち込まれ敗戦したチームは閉会式に臨んだ。準優勝の表彰式に臨んだエースの右腕を見て、スタンド観戦をしていたエースの母親は絶句して号泣した。「あの子の右肘が曲がっている…」

 甲子園大会が終わり診察を受けたエースの右腕は、もう投手をする事は絶望である事が医師から告げられた。

 その後エースは福岡県にある大学に進学、そこでは外野手として活躍し、卒業後は福岡ダイエーホークスに入団するまでに至ったのであった。
 彼が若い右腕を酷使した結果、腕が元の状態には戻らなかった事実は消えない形として残った。だが、彼は投手は断念したものの、プロ野球に行けたのだからまだ良かったとも言えるかもしれない。多くの高校野球投手が酷使によって野球生命を奪われてきた。中には二度と草野球すら出来ない腕になってしまった人もいる。
 地元の名誉、母校の名誉のため、限界を越えて投手はマウンドに立ち、そして野球人生に幕を閉じていった。本来はそれを止める立場である筈の指導者がそれを煽り、選手も苦しい練習をしてきた末の晴れ舞台ゆえに全力で限界に挑む事を選択する。逃げて後悔をしたくないという心理。

 高校野球に限らず、未成年を預かり指導して晴れ舞台に送り出すという事は、これは立派な教育現場なのであり、例えそこに収入というプロフェッショナルなステイタスが未成年に付くとしても、限界を越えないようコントロールしていく事は周りの大人の義務である。
 高校野球が選手にとっての人生のゴールではないように、今この時のステージが未成年アイドルのゴールではありません。大人達は義務と責任という事にもう少し敏感であるべきだと思います。プロフェッショナルであれば尚更に。

コメント (6)
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