今回のプチ旅は赤兎馬を操りの陸路。行先はまだ書かない
ウチより少し北へ行く為、何より心配なのは路面状況だが幸いドライコンディションでスタートだ。
レガシィたるもの悪路には強いのだがそれでもムジナ命令で念の為のスコップと毛布を積載している。
っうかその準備指示は怖いwww
一応一泊二日の慰安○×旅行なのだが慰安になるのだろうか・・・フアンダ
***
ムジナ系イベント晴天率は異常
実は当初のプランは中央高速須玉から国道を北上予定だったが
どうも雪面らしいという噂で一般道を嫌い高速で大きく迂回するルートを構築。
当然降雪の少ない右周りをチョイスして圏央道から関越~そして上信越道へ侵攻する。
これにて旅程は逆になったが特に問題はない。
まずはそのルート上にあり旅の目的の一つであるココからスタート
***
地元富士山が世界文化遺産に登録されたのは2013/6。
その登録までへの道のりを目の前で見ていたので感慨深い決定でしたが
実は私の認識ではコレは自然遺産。幾つもの構成要素はオマケ程度にしか思ってない。
もちろん重要なのは知ってるけど山そのものの存在感が圧倒的ですからね。樹海も含めて。
何の話か?と言えばそれはココにつながる。
さてここはドコでしょうか?
***
この新聞は布で出来ているのだ
富士山の1年後にこの富岡製糸場が世界文化遺産に登録となった。
その存在だけは昔から知っていて特に興味もなくスルーしていたがワールドヘリテイジに
なれば扱いは違う。せっかく近くを通るんだからどんなモンか見てみたいでしょ?
では潜入調査開始
***
まずは概要を知る為に無料ガイドツアーに紛れ込みそのルーツから。
見てるだけじゃワカラナイからお富さんに聞くぞ
私はイエロー組に編入
各20名程度かな?
製糸・・・つまり蚕から絹糸を取り出す事だ
時は明治初期。日本近代化黎明期。
要石には明治5年と
鎖国を終え諸外国との貿易をする様になった日本が輸出する主なモノは絹糸であった。
しかし低い質と生産性を嘆いた政府は国を揚げてその産業発達に力を注ぐ事となり
外国から最先端の機械と技術者を国賓並みの待遇で招きここ富岡に官営工場を設立した。
そして当時は世界一を誇る規模の工場として稼働し、そこで女工達は製糸技術を習得して
おのおの各地に戻った際に更に地場産業への技術転嫁をはかったとかなんとか。
ウチの街の富士吉田市も古くは織物で栄えた土地で今でも撚糸や機織りや染物など規模は
小さくなったとはいえ市内にはまだまだ沢山あるからもしかして何らかの影響があったでしょう。
この建物自体にも価値がありますがそうゆう日本の人絹産業発展の要としての意でも
もの凄い価値があるものだと説明を受けたからこそ理解できました。
ガイドツアーは絶対必聴ッス!
ここは繭を乾燥させる倉庫で多くの窓は風通しの為
当然木造で超立派
では心臓部である繰糸工場へ突入!
さぁイクざます
造りがモダンだわハイカラだわ
理路整然と並ぶ機械類
機械萌え♪
これも木造だぜ?凄い構造だ
実は1987年まで操業していたらしく今ある機械類は新しいもの。
古いのはレプリカが1台あるだけでしたそれは完全なる手作業って感じのもの。
これは作業のイメージ写真
煮た繭から生糸を取り出すのが繰糸
繭1ケは1300m程度の糸で出来ているらしく茹でて糸の切れ端を探しそれを約10本
拠って最初の糸状にする・・・って面倒そのもので私なら3日で逃げ出すよwww
とにかく気の遠くなる作業だが、当時の女工さん達は士族等の割と身分の高い女性達で
選ばれたエリート?として待遇もそれなりに良かったみたいです。
あーある意味・・・
アパレル関係?
う~ん大満足!一聞は百見より凄いゾ
ウチより少し北へ行く為、何より心配なのは路面状況だが幸いドライコンディションでスタートだ。
レガシィたるもの悪路には強いのだがそれでもムジナ命令で念の為のスコップと毛布を積載している。
っうかその準備指示は怖いwww
一応一泊二日の慰安○×旅行なのだが慰安になるのだろうか・・・フアンダ
***
ムジナ系イベント晴天率は異常
実は当初のプランは中央高速須玉から国道を北上予定だったが
どうも雪面らしいという噂で一般道を嫌い高速で大きく迂回するルートを構築。
当然降雪の少ない右周りをチョイスして圏央道から関越~そして上信越道へ侵攻する。
これにて旅程は逆になったが特に問題はない。
まずはそのルート上にあり旅の目的の一つであるココからスタート
***
地元富士山が世界文化遺産に登録されたのは2013/6。
その登録までへの道のりを目の前で見ていたので感慨深い決定でしたが
実は私の認識ではコレは自然遺産。幾つもの構成要素はオマケ程度にしか思ってない。
もちろん重要なのは知ってるけど山そのものの存在感が圧倒的ですからね。樹海も含めて。
何の話か?と言えばそれはココにつながる。
さてここはドコでしょうか?
***
この新聞は布で出来ているのだ
富士山の1年後にこの富岡製糸場が世界文化遺産に登録となった。
その存在だけは昔から知っていて特に興味もなくスルーしていたがワールドヘリテイジに
なれば扱いは違う。せっかく近くを通るんだからどんなモンか見てみたいでしょ?
では潜入調査開始
***
まずは概要を知る為に無料ガイドツアーに紛れ込みそのルーツから。
見てるだけじゃワカラナイからお富さんに聞くぞ
私はイエロー組に編入
各20名程度かな?
製糸・・・つまり蚕から絹糸を取り出す事だ
時は明治初期。日本近代化黎明期。
要石には明治5年と
鎖国を終え諸外国との貿易をする様になった日本が輸出する主なモノは絹糸であった。
しかし低い質と生産性を嘆いた政府は国を揚げてその産業発達に力を注ぐ事となり
外国から最先端の機械と技術者を国賓並みの待遇で招きここ富岡に官営工場を設立した。
そして当時は世界一を誇る規模の工場として稼働し、そこで女工達は製糸技術を習得して
おのおの各地に戻った際に更に地場産業への技術転嫁をはかったとかなんとか。
ウチの街の富士吉田市も古くは織物で栄えた土地で今でも撚糸や機織りや染物など規模は
小さくなったとはいえ市内にはまだまだ沢山あるからもしかして何らかの影響があったでしょう。
この建物自体にも価値がありますがそうゆう日本の人絹産業発展の要としての意でも
もの凄い価値があるものだと説明を受けたからこそ理解できました。
ガイドツアーは絶対必聴ッス!
ここは繭を乾燥させる倉庫で多くの窓は風通しの為
当然木造で超立派
では心臓部である繰糸工場へ突入!
さぁイクざます
造りがモダンだわハイカラだわ
理路整然と並ぶ機械類
機械萌え♪
これも木造だぜ?凄い構造だ
実は1987年まで操業していたらしく今ある機械類は新しいもの。
古いのはレプリカが1台あるだけでしたそれは完全なる手作業って感じのもの。
これは作業のイメージ写真
煮た繭から生糸を取り出すのが繰糸
繭1ケは1300m程度の糸で出来ているらしく茹でて糸の切れ端を探しそれを約10本
拠って最初の糸状にする・・・って面倒そのもので私なら3日で逃げ出すよwww
とにかく気の遠くなる作業だが、当時の女工さん達は士族等の割と身分の高い女性達で
選ばれたエリート?として待遇もそれなりに良かったみたいです。
あーある意味・・・
アパレル関係?
う~ん大満足!一聞は百見より凄いゾ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます