やんごともなく

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いつか来るかもしれない新世紀と見続けた長く儚い夢の25年目の覚醒とは如何に?

2021-03-11 16:37:23 | アニメ部
エヴァの呪縛なる設定がある。


それはエヴァ搭乗者に降り注ぐ一つの大きな厄災と思われるが恐らくとあるトリガー(覚醒?)により肉体的に加齢しなくなるようだ。
この設定は新劇Qで破の14年後の世界を描く際にアスカが当時のままの姿になっている事を肯定している。
若き日のゲンドウやユイを知っている風であるマリも恐らくそうなのだろう。何時から何故呪縛されているのかはワカラヌが。


だが良く考えてくれ。


我々こそ

25年前にエヴァの呪縛に囚われた者
なのだ。


遂に時は来た


***


1995年にTVシリーズとして放送された新世紀エヴァンゲリオン。それからもう25年。四半世紀だ。
かのNHKで「ナディア」と言う大作を完遂させた庵野監督がその脳内で次に創り上げた摩訶不思議なストーリーと
難解すぎる設定に本来の子供相手ではなく大人が夢中になった。


それから幾つものリビルトを繰り返してついについに完結編(と言われている作品を)が公開になりました。
話によると初日は平日月曜日にも関わらず50万人動員したらしいです。つまりそれぐらい待ち望まれていたのでしょう。
言うまでもなく私もその1人であり、観に行く算段をつけたら嬉しくて前夜はうまく寝付けなかったくらいでありますw


そんなワクワク一杯の~



ハズでした。


公開3日目平日朝の座席状況

オマケには厨二ワード全開


***


なんですかコレ



スマイルデビル滝先生のセリフではありませんが長い長い150分を終えてまず出た感想がコレ。
そしてまさかまさかのマリエンド。これは本当にあのエヴァ?一体なんなんだ?


ネタバレまでは書かないけど一応25年間バラ撒いた数々の伏線回収は行っていた(たぶん)
それに重ねて新設定が幾つもありその中には驚くべきものもあった。ありまくった。


多くの疑問符がエヴァインフィニティの如く脳内を駆け巡ったがその答えは独りでは見つからず
初日を観にいった友人に打診すれば「私は理解出来た」と宣う。おぉマヂなら凄げぇ。


欲しいぞコレ


でもこう考えればどうだろうか?


例えばTV版も旧劇も観ないで(それらの設定は忘れて)4本の新劇だけで考えたら曲がりなりにもアリなのかもしれないと。
前作Qが元来あったはずのストーリーから大きく逸脱して誰もが混乱した。「あれは違う!」と従来のエヴァファンは声高に叫ぶ。
だがそもそもを知らなければ案外受け入れられるのではないだろうか?もしかしたら最後尾から来た新参者が一番理解出来るとすら思う。


確かにQは不親切極まりない世界だったがそのQの補完を今回の:ll(以降シンエヴァと書く)で行われたのだ。


そうゆうのを含めこれから考察班がシンエヴァを徹底解析をしてくれるでしょうが
実は鑑賞後に読んだコラムが私的にかなり的確だったのでそちらを引用しつつ字数を稼いでみたい。


***


正直私は考察するのが得意ではない。かなり浅い知恵者なので相当に私見が薄い。


そのストーリーが面白いか面白くないかの二元的なジャッジをするならば、正直面白くない方に堕ちるかと(この程度の理解者)
でもそんな簡単な話でもない事は確か。


例えば単純な勧善懲悪のストーリーであれば敵が滅びてハッピーエンドを迎えるのだが
エヴァにでてくる人(敢えて人と書く)は皆それぞれ思惑で動いておりそれは善や惡に割り切れるものではない。


確かに人類を守るって立場は立派そうだがその守るべき人類すらない現状でその行為はどうも欺瞞が見え隠れする。
そして今まであれだけ恐れていた使徒は今回に限れば恐怖の象徴ですらない。


最終的に人と人のぶつかり合いであり極論すれば壮大な親子喧嘩になってしまっている。人類が滅ぶくらいの。
まぁそりゃ言い過ぎか。


とにかく幾つかの決して戻せない過ちを経過して現在のボロボロ地球がある筈なのに、それを神の力でどうにかしたろ!って話だろコレ。
でもその力を使った代償を誰が支払うのかなる大々問題は残った。まぁそもそも神の力ってなんなんだろうか?
※幾つものヤリの話は意味不明


と、まぁそんな浅知恵者の文章はともかくここからが私が大いに納得したコラムの引用となります。
ちなみの元ネタのリンク先はコチラ→シン・エヴァと視線の物語
氏はシンエヴァは「視線」の物語だったと解く。


Qが「大人がシンジと目をあわせない断絶の物語」だったのに対し
シン・エヴァの序盤は「シンジが他者と目を合わせない断絶の物語
中盤以降が「シンジが他者と目をあわせようとすることで交流が蘇る物語
として大きく物語を括る。


確かにそうゆう描写が多い事に気が付く。


Qではミサトさんはバイザーをつけ決して直視しなかったしゲンドウに至ってはそもそもの眼すら無かったかもしれん。
そんな訳で大人はシンジを徹底的に無視し相手にしてくれたのはカヲル君だけだった。


だがシンエヴァはそうではない。


昔の馴染みだったとしてもトウジもケンスケも大人になり孤独を纏うシンジを救おうとその目を覗き込む。
皆はこの小さきコミューンでなんとか生きてゆかなければと意思がありそれには人と人が繋がれていないとならないと感じているのだろう。
そうゆう優しさに触れたシンジは逆説的に自分こそが意思疎通や対話を拒否していた事に気が付いた。
それを氏は「シンジ主観での身勝手な被害者意識」と書く。


その後に起こる戦闘シーンモドキのせいで根底にある心理的なテーマを忘れそうになるが心の壁を対峙する際のATフィールドで表現し
それこそ全てを超越したハズのゲンドウすら纏う(結局誰しもが纏う)モノだったと描写する。


それらを全て取り除く事(これが人類補完計画)は出来ないのかもしれないが、お互い会話をし歩み寄る事は出来るのだ。
恐れ拒絶する事なく一歩一歩近寄る事は可能。そしてそして人と人は全てを理解出来なくて当たり前なんだと。


でもこれもやはり新劇だけでは補完出来なかった。TVシリーズがあり旧劇があったからこそ。
あの砂浜でのアスカとの邂逅や繰り返すカヲル君との記憶・・・


と、随分抜粋してかつ私訳意訳なので詳しくはコラム本編を読んで欲しいです。
私もこうゆう視点で世界を見れたらまた違うものが見えるんでしょうか?
いいなぁその才能・・・つくづくワラクシはアホじゃの。


でも解釈は人それぞれでしょうがまぁこれにて一応の終わりを遂げたし、多くの人がエヴァの呪縛から解かれるでしょうよ。


さて最後になりましたが我等凡人共を四半世紀も楽しませてくれた庵野監督にはありがとうございましたと感謝の意を。
そして完結編完成お疲れ様でしたと伝えたいのであります。


私達は批判や批評はするけれど創造は出来ない。もしくはその批判力を駆使して1を2にブラッシュアップ出来るかもしれないけど
0から1を産みだせない。そうゆう人種ではない。どうやっても。だからそうゆうクリエイティブな方に最大限の敬意を表します。マヂ凄いッス。


んでその四半世紀も誰一人欠ける事なかった中の人にも大きな称賛と感謝を。ありがとうございました。


そんな訳で全ての終わりに相応しい言葉で締めましょう。


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