Nonsection Radical

撮影と本の空間

ナツいアツやなぁ

2009年07月26日 | Weblog
某月某日
疲れが出たのか家でひねもすノタリノタリしていた。
しかし関東は暑い夏を迎えていて、先日の涼しい気候はどこかに行ってしまったようだ。
出来るだけクーラーをかけないようにして、扇風機で過ごすのだが、先日来チリチリしていた腕の日焼けが水泡を持ちむけてきてかゆい。
ただゴロゴロしているのも手持ち無沙汰なので、その辺に転がっている本を読んで過ごす。
「氷川丸物語」高橋茂著 かまくら春秋社 1978年刊

日本の軍隊は人命を軽視し玉砕などの無駄死にをしいていたが、一方で氷川丸を病院船に改装し、戦地からの傷病者を内地に送り届けるなどの「人道行為」も行なっていた。
その矛盾したおこないの理由は明らかでないのだが、病院船という特殊な空間では軍というこれまた特殊な空間とは違った世界観が働いていたようだ。
病院船というのは陸海軍それぞれが保持していたようで、氷川丸は海軍によって徴用されていたのだが、現在横浜に「停泊」する氷川丸が戦前、戦中、戦後と生き抜いてきた歴史の中にそのような時代があった事を記す本著は、日本の軍隊を考える中でも特別な位置にあるのではないかと感じた。

元が海外航路の豪華貨客船であった事で、操船業務は日本郵船の船員が行ない、船内業務も同様であったらしい。
元ボーイが高級士官の世話をし、厨房においても豪華な食べ物を提供していたという。
船医はもちろん軍医なのだが、操船側の郵船と医療側の軍部が物語を読む限りでは不思議な「民主的」均衡で折り合っていたのが興味深い。
軍医であってもあくまでも軍務は傷病者を治療する事であり、結果的には再び戦場に兵隊を送り出す事になるのだが、軍隊内の政治的動きとは別に生命に関しての倫理が「多少」は生きていたというのが新しい発見であった。
この辺のところをもう少し調査してみたい気がする。
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フィルム現像出し

2009年07月25日 | Weblog
某月某日
ヨドバシまでフィルム現像を出しに行ってきた。
ヨドバシの方が近所のお店より現像代が安いからだ。
総数16本。
ムスメの結婚式のものもある(汗;)
今回は経費節減のため現像のみ。
自分でスキャンする予定。
お金がないのでしばらく引き取りに行けない。
これがデジタルならとデジカメ売り場をツラツラ歩くが特に欲しいカメラもない。
ふと思ったのだが、今のフィルムカメラと同じ感じで撮影するにはフルサイズ機と呼ばれるカメラを買わないといけない。
しかしこれは「高級機」ということで値段も高いが重い。
いわゆるグラムあたりの単価の話になる。
そこそこの重さのカメラとなると、これまたいわゆるAPSサイズカメラとなる。
もっと軽いとコンデジサイズと呼ばれるものになる。
つまり現在ではフィルムに相当する部分のサイズがいくつもあって、それでカメラのサイズが変わるのだ。
コンパクトなフルサイズ機というのはないのだ。
フィルムカメラでは考えられない事である。
もちろんフィルムにもいろいろなサイズがあるのだが、「一般的な」35ミリ機と呼ばれるサイズのカメラではフィルムは共通である。
APSサイズというのはAPS規格のフィルムから来た呼び名なのだろうが、このAPSフィルムというのも結局は普及しなかった。
satoboもAPS一眼レフを買った事があったが、フィルムにあわせてボディサイズは小さく、写りもレンズが35ミリサイズのものを使うので結構良かった。
そのAPSカメラよりもAPSサイズデジカメが大きいのはどういうわけか知らない。
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オトナの楽しみ

2009年07月24日 | Weblog
某月某日
小説宝石を探して買ってきた。
表紙は梅佳代ちゃんの小池栄子である。
梅佳代チャンと小池栄子なら梅佳代チャンの方が好きなのである。
そんなことはどうでもいいのだ。
オール讀物と小説宝石をパラパラめくっていたのだが、読者層からしてヤング向けの話題はない。
これがまた楽しからずや。
即物的でないのだ。
ヤング向けの雑誌は、いかにもスポンサーの方を向いていますという記事作りで、金のないヤングにどうやってモノを買わせようかと苦心している。
まあカタログ雑誌なわけだ。
もちろん中高年向けにもその手の雑誌はあり、どこへ行け、何を喰え、これを持てと懇切丁寧なのだが、文芸誌や総合誌などではそこまでアカラサマに「指示」したりはしない。
何かの体験記を載せる場合でも、その体験自体が興味あるものに仕上げている。
そこがオトナ力(おとなちから)なのだろう。
だからすべてが「読み物」になっているのだ。
読むだけ読んで動こうとはしない。
これが最良なのだ。
帰宅途中の電車で夕刊紙のエロ記事を読んでも、けっして実行しに行かないのと同様である。
旅の話を読んで行った気分になり、ウマい食い物の話で満足し、官能小説特集を読んでヤッタ気分になる(笑)。
これがオトナの楽しみ方なのだ。
若いヤツはイイよな、カラダが動くからよぉ。
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月に一度のお楽しみ

2009年07月23日 | Weblog
某月某日
やっと雑誌の発売日である。
今頃がなぜか談合したように文芸雑誌の発売日なのだ。
satoboはオール讀物を読んでいるのだが、他に新聞広告で気になる雑誌を見つけた。
「小説宝石」である。
巻頭は「官能小説特集」(笑)。
でもそんなものには興味はない。
「名作アーカイブス」に注目。
取り上げられるのは宇能鴻一郎、川上宗薫、富島健夫の三巨根ではなく三巨人!
他に何が必要であろうか?
一時代を築いたエロ小説作家の名作が蘇ったのだ。
特に宇能鴻一郎の「花くらべ」。
題名だけでそそりますね。
これは買いだと書店に走ったのですが、残念な事にsatoboの住む田舎都市では配本が少ないのか、されていないのか見つかりません(涙)。
涙ながらにオール讀物だけ買って帰ってきました。
明日また探しにいきます。
早く「花くらべ」を読みたい。
コメント (3)
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やっとかめだなごや

2009年07月22日 | Weblog
某月某日
名古屋駅に降りたのは30年ぶりぐらいだった。
先に書いたが、ホームの立ち食いきしめんの汁の色が薄くなったのと、駅の様変わりに驚いた。
35年前に藤圭子に逢った(見かけただけ)場所などどこかわからない。
もっともその場所が現存してもどこかわからないのだろうが(笑)。
駅自体が豪華になり、バス乗り場がどこにあるかもわからないし、地下にあった「スガキヤ」はまだあるのかもわからない。
これで名古屋生まれであるとはハズカシい。
もっとも名古屋生まれというのはハズカシい気持ちがあるのだが・・・

駅をうろついていても「おみゃ~さん」とか「・・・だがね」とか「どえりゃぁ~」とかの名古屋弁は聞こえない。
少し気になったのは、名古屋ジョシの黒髪率が高いのではという事。
名古屋と言えば「名古屋巻き」とか「しゃちほこ」で有名なのだが、見たところそんな姿のジョシはいなかった。
もちろんしゃちほこも歩いていなかった。
ただ名鉄(名古屋鉄道だがね)に乗っていて、二人がけの椅子に寝そべって乗るジョシがいたのには驚いた。
これは知多バスの車内にもいたので名古屋(近辺)のジョーシキなのかもしれない。
そのジョシの姿は決まってTシャツとホットパンツ(死語)なので、目のやり場に困ってしまうのであった。
そんなネーチャンがヤンキーなのかと言うと、知多バスでの場合、降車時に定期券を運転手に見せた時にキチンと挨拶するのだから姿カタチで人を判断してはいけない。
かといって、股を開いて横座りしていい事にはならないのだが。

名古屋弁が飛び交わないと言ったが、やはり名鉄車中でジョシ軍団がキテレツな嬌声をあげた時には、近くにいたオッサンが「たわけか?」と言ったのを聞き、名古屋に来た実感がわいたのであった。

名古屋に来たからには「モーニング」をと思ったが、かような田舎者が駅周辺でモーニングをする喫茶店を探せるわけもなく、名鉄に乗って知多半島へ向かったのは残念至極であった。

ほんのわずかな時間での名古屋であったが、そのうちにまた行ってみようと思う。
なんかおもしろそうな街だから。

今思い出した。
10年ぐらい前に名古屋駅には降りたのだ。
ただそのまま乗り換えて稲沢まで行ったので駅の中での移動であったのだ。
コメント (2)
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