Nonsection Radical

撮影と本の空間

9月7日 商業的価値

2022年09月07日 | Weblog
自分の事とは関係なく、美術をつらつらと見続けている素人なんですけど、ふと脈絡もなく売れない美術について頭に浮かんだ事柄を今日は記録。
売れる美術に関しては決まったお作法があって、それに沿ってこそ”市場”に乗る事ができるようだ。
で、「アーティスト」を目指す人はその作法を身につけてスタートラインにつくわけなんだけど、ほとんどの人って”売れない”じゃないですか。
そもそも売れる事など考えていない人だっている。
そんな人らの事を考えていて、以前大学教育で”美術家育成”している人のsnsにそんな人らがいる前提で少し呟いたら「なんだコイツ」という振る舞いが返ってきて、まあそういうのは想定内なので”だよね”と思ったんだけど、今でも考えている事に変わりはない。
今じゃ巨匠となった千住先生が芸大の学生だった時に銀座で学生同士のグループ展をした事があって、その時のDMを持ってるんだけど、今の画風とは似てもいない絵が印刷されているんだよね。
それが時を経て美術界の巨匠になるんだから「基本」は大切なんだとは知ってるけど、街場の貸しギャラリーで誰もがそれこそ”絵に描いたような”作法の展示をしているのを見ると、そんなのこだわらなくてもいんじゃない?って思うんだよね。
こだわらないことで自由にできることもあるじゃないですか。
そういう自由が今は必要なんじゃないのかな閉塞した世の中には。
これも以前、NYに住む巨匠が日本の貸しギャラリー制度について商業的価値から否定した事があって、「楽しいからいいんじゃないですか?」と擁護発言したんだけど、業界では市場的価値がない美術品など素人の手慰みだというのはわかってるんですよ。
わかってるんだけど、それも十分楽しい世界なんですよね、世界が違うだけで。
で、どっちも両立するんじゃないのかなと思い続ける理由がやはりsnsだったりするんだね。
日本人の、それも知り合いの画像だけ眺めていてはわからないけど、世界中には腐るほど自分の”作品”の画像をアップしている人がいて、それが結構イカシてて、ネットの特徴として偉い人も普通の人も等価で並べられるとカネじゃない好き嫌いの世界が存在するのがわかるんだよね。
そんなどこの誰かわからない人のお気に入りの画像をバンバンPCにダウンロードしてるんだけど、幸せです。感謝です。
一方で買えはしないけど、社会的に認められた芸術家の作品をギャラリーで鑑賞するのも好きなんですよ。
どちらも両立するけど、提供する側は両立しないようで、買う人の事を考える人とそうでない人がいたりするわけだな。
そういう立場はわかってるけどさ、あたしが欲しいのはワクワクする心なんで関係ない。

扇風機を当てて寝ているからか身体がだるい。
熱はないのだが熱っぽい感じがする。
6日で4日24時間勤務じゃ仕方あるまい。
本当なら実家に帰って遺品整理しているはずだったのに。
これからしばらく雨模様だとか。蒸し暑い。
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