Nonsection Radical

撮影と本の空間

視点の違い

2018年12月25日 | Weblog
2011年以降、自分にできる事として消えてしまう、あるいは変わって行く街並みを記録していこうと活動を始めたのだけど、遊中部で一般公開しているので、それを見た人がどのように感じるのかはそれぞれとしておまかせしてはいる。
映像とはこちらの想いとは違う形でとらえられるのは当然な事なので、それをどのように見ろとは言わないし、逆に新たな視点を示されて面白がることもあるわけだ。

最近来たコメントが相反する反応であったのが興味深かった。
ちなみに、近頃機嫌が悪いので、気にいらないことがあると瞬間爆発するので、多少頭を冷やしてから書いているんだけど、さてどこに気にいらないところがあったのやら・・・
satoboの動画は、動画に対する技術や手法を知らないことから、単純にできる限りのものを記録して垂れ流しているだけなのだが、自分では記録とはそうあるべきものだと思っているので、いわゆる”ドキュメンタリー”ではない。
海外からコメントをくれる人は、それを「環境映像」のように見ているようなのだ。
音声も絞ってあるし、”変な”ナレーションもないし、カット割りもしていないし、知らない日本の街並みをそこにいるような視点で興味を持って見ているらしい。
一方で、日本からのコメントでは、音声も絞ってあるし、”効果的な”ナレーションもないし、カット割りもしていないので、知らない日本の街並みなど興味ないのでつまらないと言う。
もっとテレビでの放送のようにしないとダメなんだと”ありがたい”ご忠告までいただける。
当然無視するのは、悪口雑言罵詈讒謗浴びせればキリがないくらい最近は機嫌が悪いからだ。

様々な手法が存在し、様々な視点で映像を作る人たちがいて、それが効果的であるかという点での評価をするならまだしも、個人的には使い古されてつまらないテレビでの手法をこうも世間の人たちが”基準”としているというのは、例えば映画制作者なんか辛いだろうなぁと思うよ。
他の制作者も、むしろテレビでの制作者も、例えば「笑いは吉本」的な人しかいないところへ送り届けるのはつまらないだろうなぁ。
もっともsatoboは、先に記したように記録として撮っているので”関係ない”んだけどね。

これからも別の撮り方が効果的と思えるまでは同じように垂れ流していきます。
楽しむのはそれぞれで・・・
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