3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

災害国日本

2012-03-12 11:15:27 | 現代社会論
関東大震災、阪神淡路、東日本大震災、そのほかの震災、そしてそれに付随する津波、台風などをいれるといつも災害にあいダメージを受け揺らいでいる日本である。
加えて、東京大空襲、広島、長崎の被爆など戦争にともなう大量の死傷者や被害をいれるとそのたびに多くの悲しみが日本中を覆っていたはずなのである。
いつも死と隣り合わせの生き方をしてきたのだ。また、公害と健康被害という視点でみても、四大公害、ミナマタをはじめとしておおきな取り返しのつかない公害被害がある。今回のフクシマもまた、健康不安が長期的に続く、環境汚染によって健康不安にさらされることを考えると大変な公害問題、環境汚染問題である。

災害国日本、公害立国日本。

日本人は忘れやすい。
高度経済成長による繁栄で、われわれはその富と栄誉に酔い、家族や地域の紐帯から逃れ、必ずやってくる死さえもどこかへ追いやり、浮かれすぎてきた。

東京大空襲後の焦土と化した東京から立ちあがったことなどなにもなかったかのように、高層ビルは立ち並び、人々が行き交う。
広島長崎でどれだけの人々が苦しんだか、すっかりわすれてその体験を語る人も少なくなり次第に風化していっている。

3代目が財産を使い果たすように、過去の栄光の貯金で食べてきただけの日本なのかもしれない。一から裸一貫で働きつづけ、繁栄を築いてきた人々が今、どんどん高齢になり社会から引退している。




震災の復興だけでなく、生活保障、グリーフケア、健康被害への対応などやらなければならないことがたくさんあるが、こんなにも災害や環境汚染の経験をもっているにもかかわらず、政策的には、前の教訓が生かされず、いつも一からつみあげているような、それでいて結局とりたてて革新的な対策を出せずにいる。

技術力もあり勤勉な日本人だったはずなのに、どこへいってしまったのか。なにもできない日本、劣化する日本の人材の貧しさ、政治の貧しさは今に始まったことではないのだが、マスコミの劣化も考えると絶望的な気分である。

フクシマの報告書を全部読まずに新聞記事にしているような記者がいるとか。




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