3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

どうした?学大附属

2016-11-30 13:16:39 | 日記
学大附属いわゆる附高の卒業生は知人に多い。職場にも結構いる。
栄光の附高である。しかし、先日の東大生の女子学生性的暴行事件や今回の高校のいじめなど、最近は決していいニュースばかりでない。

附高(フコウ)は東京学芸大附属高校で、幼稚園小学校中学がある。
大学はあるけれど、みな高校までである。大学に行く人は少ないと思う。東大か国立医学部に行き、官僚か医師か学者になる人が多いと思われる。
共学なので、筑波大学附属と同じである。

最近の状況は分からないが、私の個人的な経験からすると
昔はすごくよかった。

しかし、このところ、中学受験の構図がかわってからというか、学大付属中のレベルはそれほどでもなくなったというのが率直な印象である。

中学受験のなかで、トップは当然男子なら2月1日は筑駒開成を狙う。塾の宣伝のために慶応中等部を受けるが、当然受かるが、誰もいかない。
それはそれとして、筑駒開成を失敗すると城北とか、巣鴨とかそういうことになる。男子校か男女共学かという趣味の問題だが、そこでこぼれると筑波附属か学大附属ということになる。
筑波か学大かとなり、筑波のほうが中学から高校に行きやすいので、大半は筑波にする。

学芸大学付属は中学、竹早、大泉、小金井など、で入っても、高校受験の際、それぞれの中学から優秀なものが集まり定員が限られているので、成績が悪ければ外の高校に行くことを勧められる。都立高校にいくのはリスクが高いから、というか、ここまでやってきて、今更都立に行きたくないということになる。
だから、中学受験の結果の選択としては、学大附属竹早にはせずに筑波か一貫の私立中に行くということになるのである。偏った見方かもしれないが。

高校からの連中も開成高校組、筑波高校などにくらべると出来は今一つか?そんなことはないと思うが、どちらにしても印象は弱弱しく、できる女子に抑圧されている感じである。
附高の女子はめっぽうできるし、強いからね。筑波も同じだが。

いくつもの高いハードルを越え、幸運にも高校に入ることができ、有頂天になるのだろうが、だからといって性格がよいとは限らない。
IQが低いものを見下し、高ければ何でも許されるというように錯覚し、親も周りももてはやす。こういう環境で、限られたサークルの中だけの価値観が凝縮されていき、息が詰まる。
先生も学大関係者の悪いところ(教育学部の悪いところ)が出て、保身と隠蔽体質であり、ゆがんだ教育環境となるのではないかと思うがどうだろうか。

学大附属に限らず、どうも最近の教育現場では序列をつけるやり方が横行し、偏差値がたかければえらくて何でも許されるという雰囲気があって、そんななかで子供たちは自然とゆがむ。まともな子供は嫌気がさしているのではないか。
ゆがんだ子供により、さらに弱いものをいじめるとかということが起きているように思う。

で東大に入っても弱弱しい学生はやることなくて、女子に性的暴行を加えるなどと言う不届きものになるわけで、全員がそうとはいわないが、かなり構造的な問題性を感じる。

子供のころからいくつもの高いハードルと小学校と中学校には抽選もあるので、幸運も手伝って、やっとはいった高校、その後、東大に入っても、本来、弱弱しいやつばかりのような気がする。ハードルを越えるたびに人間力は欠如していく。むしろ力のある学生は、東大ではなく、東工大とか一橋や早稲田なんかにいるように思えてくる。


初めて会った人に高校はどちらですか?と聞きにくいが、だんだん知り合って、高校がわかると面白い。
子供のころからがりがり親から言われて勉強してきた優等生はだいたいつまらないやつが多い。
地方の出身で、遊んでいるのにできて、地元のトップ高にさらって入った奴は地頭がよく、柔軟に見えるし、勘がよいので使える。で、つい「あんたよくできるね」って言って登用したくなるんだが。



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シューマン 女の愛と人生 聞き比べ2

2016-11-30 10:22:55 | 音楽ノート
昨日、シューマンの女の愛と人生の聞き比べについて書いた。
今日は、さらに2人を追加して聞き比べてみたので記しておきたい。

ナタリー・シュッツトマンとアンネ・ゾフィー・オッターである。

シュッツトマンはアルトでオッターはメゾ。

オッターの第1曲は白井さんに通じる問わず語りのような作りであり、素晴らしいの一言
高音がややヒステリックなところもあるが、非常に丁寧に歌っていて、ああ、女の人生をしみじみと感じるのである。

シュッツトマンのは低音が特に美しい。たくましい女の愛、そして私の人生!って感じの歌である。
むしろ、私の人生のほうに力がはいっている。夫と死別しても悲しみに沈んでいるだけでない。そのあとひとりでも強く生きている女の強さを感じる。

それぞれの生まれた年をみると次の通りである。

1952(昭和27)年 白井光子、鮫島有美子(日本)
1955(昭和30)年 アンネ・ゾフィー・オッター(スウエーデン)
1956(昭和31)年バーバラボニー(米)
1965年(昭和40)年 ナタリーシュッツトマン(仏)

ポスト団塊の世代の女の愛と人生ということなのか。
1975年国際婦人年の時何歳だったか、で、女の愛と人生は変わるというもの、という仮説に立つと・・・。

23歳
20歳、19歳
10歳

すでに大人だった白井さんと鮫島さん。
将来の仕事をどうするか悩む年齢だったボニーとオッター
そして、多感な少女時代で、男女平等が当たり前だったナタリー。

日本、アメリカ、スウエーデン、フランスと国が違うから、比較は難しい。
男女平等の先進国であるスウエーデンのオッターとフランスのナタリーは自立型の女性の女の愛と人生かもしれないと思ったりする。

5枚の女の愛と人生を聞き比べていろいろな視点でみると面白い。
で、結局どれが好きかというと、ボニーのがいいと思ったり、白井さんのを聞いて涙ぐんでみたり、いやいやさらっと歌っているようで細部にうまさが光るオッターもいいよなあ、鮫島さんのソプラノの声も美しく伴奏もいいよね、と思ったり・・・。
シュッツトマンの個性的な女の愛と人生は21世紀型なのだと思ったりして、ますます聞いてみたりしている。

それぞれが自らの愛と人生を生き、それらを重ねながら特別な思いを込めてこの8曲を歌っていることは確かなのである。



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