3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

まんだらけの鉄人28号:万引きは犯罪なのにね どう防ぐか

2014-08-20 13:03:08 | 現代社会論
まんだらけという店の鉄人28号を盗んだものが逮捕されたとのことである。

盗んだすぐそのあとで、売ってしまって、6万円ぐらい手に入れている。

この転売先の店主も店主である。あれだけ騒がれていたのに自分のところの鉄人28号が盗品だとすぐ気づくはずなのに、ほっかむりだったのだろうか。

それにしても万引き犯、千葉に住む無職の50歳男、いつもこんなことして小金を稼いでいるのだろうか。
こまったものである。

転売して金を稼ぐ。無職なので、そういうことで生活費を稼いでいたのだろうか。
無職なのだが、どのようにして生活費をねん出していたのか。
生活保護でも受けていたか。


近くのコンビニなので、昼時になると大勢女子高校生や専門学校生みたいなのがわんさかいて、うるさいのだが、きっと万引きもあるのだろうなあと思う。
人ごみに紛れ、挙動不審な高校生3人組に遭遇することもある。だめだよっというオーラを送る。ふん、おばさん、うるさいんだよ、というようなそぶりで別の棚のところへ移動したりする。とりあえず、私の視線の入るところで万引きはするなよと思う。

ずっと前、バスに乗っていたら、上野駅の雑貨屋の前で、男が、かごに山積みになっている簡易カメラを手に取り、天に向かって40センチぐらい放り投げたかとおもったら、ポケットに入れていたのをみたことがあり、ドキドキしてしまった。こんな風に万引きって行われているのかと思ってびっくりした。
こっちはバスに乗っているのだから何にもできず、そのままになってしまった。もっともその場でみていても怖くて何も言えなかったと思うが。

天下の○○大の図書館で、本を持ったままガードを乗り越えるようなのもいて、おいおい、それって盗みだぜ、と思ったこともある。
今や、日本全国老若男女、万引き社会になってしまったのだろうか。

コンビニなどでの万引き対策として、店内の情景を店外に映し出したらどうだろうか。
店内の店員では、店全体を把握するのは困難なことがおおい。
なので、店頭の画面に店内の様子を映し出す。なんか美味しそうなものが売っていて、買っている人などがなんとなくわかる。
あまり鮮明にすると個人情報保護に反するような気もするが、まあ、わかっていて買うのだからいいだろう。

店頭の画面に店内のようすが映し出されれば、信号待ちの人や道行く人がなんとなく見ているということになり、店内にいるお客が万引きする抑止になるのではと思うのである。

といってもあのおばさん、あんなにチョコレートかって、やっぱ太るわ、といわれそうであるが。

万引き防止キャンペーンで、全国のコンビニが一斉に厳しい取り締まりでもやれば、少しは心を入れ替える万引き常習犯もいるだろう。
今のように万引きされたほうが泣き寝入りで大して罪に問われない、見逃されているような現状では、ますます、不届きな輩がのさばる。
なさけない日本なのである。


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8月15日を知らない若者(ばかもの)たち2:教養格差の時代

2014-08-20 11:17:09 | 現代社会論
8月15日も広島、長崎も沖縄も、真珠湾も硫黄島もなにもかもしらない若者たち。
こういう若者たちは憲法9条もしらないのではないだろうか。
日清、日露、WW1、WW2も知らないし、坂の上の雲も読んだこともないだろうなあ。

大学入試も現代史は出ないし、結局、親が無知なら子どもたちはほっとかれ知らない人生を歩む。学校で教えない限り知る努力もしないから。
そして、いつしか、知らないままバカな親になり、そのまた子どもがバカな親となる。
負の連鎖である。そして戦争は風化していく。公教育の怠慢である。

べつに知っているから偉いということでもないだろうし、知らないからごはんが食べられないというわけではないから、あまりがたがた言わなくてもというような意見もあるだろう。
知らないのは不幸である。戦争がなぜどのようにして始まりどのように進んだのかについて知らないのは、これからの我が国の在り方を考え、世界の平和を考えるとき、それは不幸である。

若者が全員無知というわけではない。
上質な中高では、この手のテーマは、社会科や総合学習などで相当学んでいる。

東大に何十人も入るような屈指の難関中学に合格するには、憲法の前文ぐらいは暗記していないと合格できない。
中学入試の社会の問題を解くにはかなりのベースが必要である。

これは、教養格差である。

優秀な子どもたちは、深い教養を身に着けられるのに、そうでない子どもは戦争に関する知識や考え方を学ぶチャンスが与えられていないということ。

英語や数学ができなくても、8月15日がなんであり、平和をどうつくるのか、ということを肌で知っていることが必要だろう。
この30年の公教育の在り方がゆがんでいるのである。
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