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やぁ、みんな。サカタだよ。

老女優だよ

2024年02月01日 | サカタだよ

心のスイッチが切り替わると、ぼくは老女優になる。舞台で脚光を浴び、芝居に魂を込めるのは正直なところ、千客の喝采が欲しいから……ではない。客席のどこか隅の方や、あるいはチケットが安い桟敷席などにいるかもしれない、見る目のある観客がわたしの細やかな演技をすべて受けとめてくれてる。そう信じるから怠りなく、全身全霊で演じる。老女優とは、そういうもの。

万来のお客さんの中に1人でも具眼者がいるかも。そう思えばこそ慢心せずに、昨日より今日、今日より明日と、齢を重ねて日々なお最高の輝きを放つ。そうでなければ老女優は舞台を降りる。わたしがカーテンコールで正面のお客さん、右のお客さん、左のお客さん、後方のお客さん……あますところなく深々とお辞儀するのは、どこに理解者がいても感謝の気持ちが伝わるように。

老女優は新聞も読むしテレビもラジオもネットも見聞きする。メディアの評判をいまさら気にしても仕方ないのだけれど。ついでながら目に入る、要人の発言やそれらに言及するコメントは迎合ばかり。できるだけ多くの人を取り込もうと安い芝居をして恥じない。どこかで見識のある人が笑ってるというのに、三文役者やその取り巻きは気にならないのかしら。わたしなら耐えられない。

老女優は街を歩いても目立たない。誰にも老女優だとバレない。常にオーラとやらを発して面が割れるのはスイッチのON/OFFができない下等な部類よ。近頃は評判の店となると、たいしたことがない食べ物を求める人で長蛇の列ができる。あれは店のほうでも行列ができるように演出してるのね。味のわからない客を並ばせて、味のわかる客を遠ざけることに何か意味があるのかしら?

観客はわたしに多くのことを教えてくれる。わたしがつまらない演技をすれば、観客はいなくなってしまう……駆け出しの頃はそんなふうに考えたこともあるけど間違いだった。要人の発言や取り巻きのコメントや行列のできる店の食べ物と同じことで、つまらないものを出したほうが良し悪しの分からない客は喜ぶ。本当のものを出して喜ぶのはごく稀にいる、控えめなお客さん。

 

心のスイッチが切り替わると、ぼくは老女優ではなくなり、どこにでもいるただの人に戻る。

 

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