さいふうさいブログ

けんちくのこと、日々のこと、いろんなこと。長野県の建築設計事務所 栖風采プランニングのブログです。

苦渋の決断・・・

2011年07月19日 | ◆海野宿での暮らし

昨年末からもうじき90歳になる私の祖母を

北海道から私達の暮らす海野宿へ呼び寄せ

一緒に生活をはじめ

7ヶ月が経ちました。

  

ちょうど1年前の今頃だったでしょうか

父が病気を発症したのをきっかけに

家業の廃業を決め

それならば、

少ない家族、ばらばらに暮らすより

近い所で暮らしましょう

私は父と祖母を海野宿へ呼び寄せる決意をしました。

    

実家の家業の廃業に伴って

会社の整理に追われていた父には取り急ぎ

骨折で退院したばかりの祖母だけを先に

私の元へ連れてきてもらいました。

そうすれば、父にとっては

祖母の介護に煩わされることもなく、

会社の整理を集中して出来ると

私は考えたからです。

  

こちらへ来る直前に 

祖母が軽い認知症だと

父から知らされたのですが、

  

(今となれば、

この認知症が私の想像を超えたものでした)

   

祖母の足のリハビリが終わり、

足がすっかり良くなってきた頃から

なんだか変だな、と思うことが続きました。

(それが、認知症の典型的な症状だったと後でわかりました)

  

それは、家庭内で日々起こる些細なことではあったのですが、

      

6歳息子は小学校に入って、だんだんとやんちゃになってきて

家庭では、躾として正しいことをきちんと教えなければなりませんし、

また息子はそれを、どんどん学んで覚えていく時期でもあります。

  

一方、

  

祖母は、認知症であるがゆえの 

物忘れ、新しいことが覚えられない、

間違い、筋道のたった思考が全く出来ない、

そして、理解できない部分を妄想によって話を作り思い込む、

  

ということが目立つようになり、

 

認知症の祖母と、6歳息子とでは

ベクトルの向っている方向が全く逆なのですから、

どうやっても折り合いがつかなくなってきたのです。

  

例えば、ゴミの分別。

東御市は非常にゴミの分別が細かく難しいので、

息子にも常に、ゴミ分別の習慣がしっかり身に付くように

口うるさく教えているのですが、

  

一方で、

 

祖母はゴミの分別が出来ない。

というか、そもそも素材がわかっていない。

(プラがどんなものかもわかっていない)

  

そういう日常的な場面で、

祖母に間違いを指摘しようものなら

ぷいっ となって

よくわからない行動にでます。

  

(実はこれがきっかけで函館まで

家出をしたのですが、

祖母はその因果関係など

全く覚えていません。)

  

こうして日々の生活の中で

祖母の様子がどんどんおかしくなってきて、

   

私も仕事と子育てと慌ただしい中で

祖母に対してフォロー出来ず、

(フォローどころか、逆効果なことばかりだったかも)

私達の家庭が ぎくしゃくし出しました。

  

祖母の妄想が激しくなり、

私はかなり早い段階で「泥棒扱い」され、

可愛いはずの曾孫に対しても

いじめるだの、と被害妄想。

 

とにかく、

そうではないのよ、

と説明するのも疲れる日々。

   

内科の主治医の先生に相談しましたら、

息子とは離すべきだし、

とにかく早く父に来てもらうこと、

そして、祖母の言動に対しては、「聞き流す」ようにと

アドバイスをもらいました。

  

そこで、5月には近所の借家へ祖母を引っ越させ

(本人も借家へ行きたいと何度も申し出るので)

そして、父が来るのを待っておりました。

  

しかし、父はなかなか来ることが出来ず、

事態はもっと悪化しました。

  

借家へ移ってから、

更に妄想がひどくなり

祖母の頭の中は、

すごいことになってしまっていたようでした。

  

ゴミの分別の出来ない祖母の代わりに

私は、借家のゴミを持ってきて

分別し直して捨てていたのですが

そこから出てきたゴミには

私に対する怨念?のような醜い文言の書かれた

紙が出てきました。

その他に、寒い信州で少しでも暖かく過ごせるようにと

祖母のために買ったものまでも捨てられていました。

  

祖母にとってはたった一人の孫だった私。

本当に幼いころから可愛がってもらっていたので、

その祖母からのあまりにひどい文言(特に金銭の執着)をゴミから見つけた時には

何度も何度も泣きました。

私が祖母のお金をだまし取ってウハウハだろう

とか

私にかけてきたお金を返してもらうために残りの人生を生きるだろう

などど書いてあるのです。

どうやったら、そんな話になるのか

私には考えもつかないような話。  

    

認知症だから、病気だから、

ということで片付けるには

まだ私自身の心の整理がつかず、

しかし、

日に日に私達との関係は悪くなり

今や、私だけでなく、

主人や主人の実家にも妄想の矛先が向かい、

もう、手の施しようもなくなり、

  

私も、このままでは祖母に引きずられ

仕事に支障も出てきてので

SOSを父に出しました。

  

そこで、父は

祖母を北海道へ戻す

という苦渋の決断をし、

この16、17、18日の連休を使って

祖母を迎えにきました。

  

引っ越しの荷造りを終え、

今日の朝、北海道へ祖母は帰ります。

  

父が、私に

「心に深く傷を負わせてしまって、すまなかった」

と何度も言ってくれました。

  

いや、私がまだまだ人間として未熟なんだと

まだ子供一人も育て上げたわけでもなく、

こんな私が介護を引き受けられるような

そんな甘いものではなかったと

思うのです。

 

また、これから祖母の介護をする父のことを思うと

役に立たない娘であることに申し訳ない気持ちで

一杯になります。

  

長い人生で、人との関わりが

認知症という病気で

あっけなく、崩れ去ってしまうなんて

あまりにも悲しすぎます。

祖母は疑心暗鬼に満ちたあんな醜い妄想に駆られて

天国へ行かねばならないのでしょうか。

  

私の人生観は今回のことで随分変わりました。

  

87歳まで会社の経理をやっていた祖母を見て

私も、生涯現役で頑張りたいと

思っていました。

  

でも、今は違います。

  

能力や判断に低下が見られるような歳になったら

(周囲の人から様々な意見を言われるようになったら)

潔く身を引くことの出来る大人に

ならないといけない

と、思うようになりましたし、

他人に迷惑をかけずに生きる

ということが

いかに難しいか

ということが

わかったような気がします。

(お金さえあれば、迷惑を掛けないと思うのも

思い上がりのような気がします)

迷惑を掛けないように生きる

のではなく

迷惑を掛けるかもしれないから、今をどう生きるか

の方がいいのかな

 

なんて

ぼんやりと

考えています。

  

今日はとりとめもなく

こうして書き綴ってしまいました。

  

最後に、

  

私に出来ることは全てした

  

自分への慰めの言葉にして

明日(いやもう日が変わったので今日)から、

気持ちを切り替えて頑張りたいと思います。

  

頑張れワタシ

  

  

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