「どうしていいか分からない」と言う言葉がやってくるときがある。決して快いものではない。この快くない「どうしていいか分からない」に迎えられたら、どうぞ大事になってほしい。なにごとも無いかのように、振舞ってしまったら元の木阿弥だ。自分を尋ねさせていただくチャンスが失われるのだ。「どうしていいか分からないの」と声にして聞いていただいてほしい。私に聞かせてほしい。眼の前に広く明るい道が開かれる。生活が能動的になれる。
学校に勤務して間もなく、いわゆる不登校の生徒に接して「どうしていいか分からなく」なって、カウンセリングに出会えた。声にして思いがけなく私の前に希望の道が開かれ続けられ、今日まで歩ませていただいてきている。「どうしていいか分からない」の言葉に、広く果てしない、そして奥深い人生を味わわせていただいてきている。
学校に勤務して間もなく、いわゆる不登校の生徒に接して「どうしていいか分からなく」なって、カウンセリングに出会えた。声にして思いがけなく私の前に希望の道が開かれ続けられ、今日まで歩ませていただいてきている。「どうしていいか分からない」の言葉に、広く果てしない、そして奥深い人生を味わわせていただいてきている。
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