「変わりたい」「変わらなければ」と、よく聞くことばである。「変わりたい」「変わらなければ」と発している者も、そのことばを聞いている者にも、色が付けられているのだ。自分の願いが込められているのである。たいていは、困っているようなときに、発せられることばであるからして。ところが、両者は「色」が疑問にならないままだ。聞いてもらったつもり聞かせてもらったつもり、になってしまうのである。「色」を言い換えるならば、「自分がなりたい状態・自分の都合」ともいえそう。そこに気づけないのでは、来談者のお手伝いにはなれないと、私には言える。
いのちはそのような水準のところでは、救われていけないようになっている。いのちは、厳かであり人間の都合・不都合の入り込む余地はないのだと。不都合なものを取り除き、なりたいものになれる、と人間は考える(思う)。この考えでは、突破できない、変われないのである。いのちは、ノーと伝え続けてくれていたのだ。開かれていける道は、ちゃんと用意されていたのだ。これまでの道程に、ようやくこのように言わせていただけている。
いのちはそのような水準のところでは、救われていけないようになっている。いのちは、厳かであり人間の都合・不都合の入り込む余地はないのだと。不都合なものを取り除き、なりたいものになれる、と人間は考える(思う)。この考えでは、突破できない、変われないのである。いのちは、ノーと伝え続けてくれていたのだ。開かれていける道は、ちゃんと用意されていたのだ。これまでの道程に、ようやくこのように言わせていただけている。
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