ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




慶応大学予防医学教室。新宿区大京町(だいきょうちょう)30。2017(平成29)年12月8日

JR総武線信濃町(しなのまち)駅前の慶応病院(慶応大学信濃町キャンパス)の裏に、通りを隔ててつい最近まで3棟の昭和初期に建てられた慶応大学医学部の建物が並んでいた。北から「予防医学教室」「北里記念医学図書館」「慶応大学病院別館」だが、別館は2009年に取り壊されて、「大学病院3号館(南棟)」に替わった。
予防医学教室(校舎)の建物は『日本近代建築総覧』では、「慶応大学予防医学教室、新宿区大京町30、建築年=昭和4年、構造=RC4階(地下1階)建、設計=曽禰・中条建築事務所、施行=清水組、備考=「曽禰・中条建築事務所作品集」による、一部鉄骨、塔屋」。
三田評論2014年2月号』によると、総工費39万9千円の大部分17万5千ドルがロックフェラー財団からの寄附による、という。
また、昭和20年5月24日未明の空襲で、木造だった病院の主要部分は全焼した。その際、学徒挺身隊80名と看護婦270名、医局員、学生の敢闘によって、入院患者180名全員を別館や国民学校に避難させ、予防医学教室、図書館、別館を焼失から守ったという。病院に焼夷弾を大量にばらまくとは、米軍はなにを考えていたのだろう。


慶応大学予防医学教室、南側面

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