ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





財務省。千代田区霞が関3-1
上:1986(昭和61)年8月17日
左:1987(昭和62)年1月1日

大蔵省が財務省に名称変更されたのは2001年(平成13年)1月6日。写真はその15年前で、大蔵省だった時のもの。この建物は近代建築としてはあまり注目されない。外観が地味で目を引く要素がこれといってないからだろう。『日本近代建築総覧』の記載は「大蔵省、千代田区霞ヶ関3-1、建築年=昭和14年、SRC8(SRC5地下1の間違い?)、設計=大蔵省営繕管財局、施行=大倉土木、○(おすすめ品)」。中庭が2つある日の字型平面の大きな建物だ。
大蔵省~財務省の庁舎こぼれ話あれこれ』には、建物の工事の経過、大蔵省が建物を使うようになるまでどこで業務していか、建物を利用した省庁、といったことが割と詳しく述べられている。以下、このサイトよって建物の沿革を概括してみる。

大手町にあった大蔵省の庁舎が関東大震災によって焼失した。大蔵省によって各省庁の庁舎がRC造で建て直されていくが、大蔵省は1940(昭和15)年まで仮設のバラックのままだったという。霞が関の現在地に建設が決定したのが1934(昭和9)年、翌年には土台工事を開始。日中戦争が始まって1939(昭和14)に工事は中止と決まるが、工事を進めて1940(昭和15)年6月に仮竣工した。ただちに仮庁舎から引っ越しが行われたが、内装工事は続けられた。1942(昭和17)年には防空対策として屋上に厚さ45cmの耐弾層を設けている。壁のタイル貼りや修飾部分を省略して建物が完成したのが1943(昭和18)年7月。
戦後はGHQに接収されて、解除されたのは1955(昭和30)年12月。その間、四谷第三小学校を借りていた。戻ってきた庁舎はGHQによって改造されていたので、復元して四谷庁舎から引っ越しできたのが1956(昭和31)年3月31日。
それ以降の主な改修は、1961(昭和36)年になって耐弾層を撤去。1962-63(昭和37-38)年に外壁をタイル張り(250万枚)に。1967(昭和42)年、設備棟新築、暖房設備設置。1968(昭和43)年、冷房設備設置。1978(昭和53)年、庁舎西側の 4階及び 5階部分に鉄骨造の事務室を増築。

高層ビルに建て替える計画が2007年に出たが、2011年の東日本大震災復興のための増税案もあり、国民感情を考慮して耐震改修で済ませている。一般には財務省=国税庁という認識だから、血税で贅沢な庁舎を造るとは! と言われたくないのだろう。それより、戦時中・戦後の大蔵省職員の苦労は大変なものだったに違いない。

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