大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

乃木坂学院高校演劇部物語・91『十二名の犠牲者』

2020-01-09 06:20:53 | はるか 真田山学院高校演劇部物語
まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・91   
『十二名の犠牲者』          

 
 
 障害走路場の前で、西田さんは棒立ちになってしまった。

 十二三人の兵士が、障害物走に励んでいるいる声と音がする。しかし、降り積もった雪にはその痕跡はない。かけ声とリズムが、今の自衛隊のそれとは微妙に違う……これは、西田さんが入隊したころ教官だった旧軍時代からの叩き上げの人達のそれである。
 西田さんは、黙って直立不動の姿勢をとり、静かに敬礼をした。

 急に警笛(ホイッスル)が鳴り響いた。

 一人でいるのに耐えられなくなった、忠クンがやってきて、あまりの怖ろしさに警笛を吹いてしまったのだ。
 直ぐに、本職の不寝番や、当直の警務隊の人たちがやってきた。
「これは……」
「どうしたことだ……」
 みな、懐中電灯で、あちこち照らしてみるが降りしきる雪の中光は遠くまでは届かない。何人かが、奥の方まで見にいった。

 やがて中隊長がやってくると、声と物音……いや、気配そのものが消えて無くなってしまった。
「いったい、何があったんだ。当直責任者、状況報告!」
 みな、金魚のように口をパクパクさせるだけで、なにも言えなかった。
「自分が、ご説明いたしましょう」
 西田さんが前に出た。

 話しは連隊長まで知ることとなり、ぼんやりながら、事のあらましが推測された。
「あのかけ声、呼吸は自衛隊のものではありません。自分が現役であったころの旧軍出身の先輩たちのそれでありました」
 西田さんのこの証言が決め手になった。
 A駐屯地は、終戦まで陸軍の士官養成のための教育機関があった。終戦の四ヶ月前に、近くの軍需工場を爆撃した米軍の爆弾が外れてここに落ち十二名の犠牲者を出した。彼らはまだここに留まったままで、昼間の西田さんと教官ドノとの壮絶な障害走競争に触発されて現れたのではないかと考えられた。むろん西田さんの推測ではあるけれど、連隊長は納得し、同時に関係者には箝口令(口止め)がしかれ、簡単ではあるけれど慰霊祭がもたれることになった。
「そう言えば、昨日は建国記念の日でありましたな」
「いかにも、昔で言えば紀元節。因縁かもしれませんなあ……あ、自分らに不寝番を命じた……もとい。勧めた教官ドノにはご寛恕のほどを」
 ということで、教官ドノは中隊長からの譴責処分ということになった。

――だから、これは内緒だよ。まどか君。
――で、そこまで詳しいってことは、乃木坂さんもいっしょに遊んでたんじゃないの?
 乃木坂さんは、あいまいな笑顔を残して消えて、わたしは爆睡してしまった。

 朝は起床ラッパで目が覚めた。寝ぼけまなこで着替え終わると、ドアをノックして西田さんが入ってきた。
「あと五分で、日朝点呼。それまでにベッドメイキングを」
 三分で済ませ、西田さんのチェック。夕べはほとんど寝てないだろうに、元気なおじさん。
 朝食もいつもの倍ほど食べて、課業開始!
 営庭に集合しおえると、ラッパが鳴って『君が代』が流れた。

 みんな気を付けして日の丸に敬礼。わたしたちも不器用ながらそれに習った。昨日の五千メートル走のあとに『君が代』が鳴っていたような気がするんだけど、あの時はバテバテで、気づかなかった。西田さんを含め誰も強制しなかった。
 まだ一日足らずなんだけど、小さく言って仲間、大きく言って国というものをちょこっとだけ感じた。わたし達の前で乃木坂さんが、まるで班長のようにきれいな敬礼を決めていた。カッコイイと思った。その時点で国民意識なんかどこかへ行っちゃった。

 ま、女子高生ってこんなもんです。
 この時、わたしの横にいる忠クンに元気がないことに気づいた。そして乃木坂さんに向けた視線の延長線上にあの教官ドノが居たことには気づかなかった……。
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