大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

乃木坂学院高校演劇部物語・104『感情の記憶』

2020-01-22 05:56:38 | はるか 真田山学院高校演劇部物語
まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・104   



『感情の記憶』


 柚木先生が、慌てて稽古場にやってきた。

「たいへんよ、ハルサイの公演が早くなっちゃった!」
「「「「えーー、どういうことですか!?」」」」」
 四人は声をそろえて言った(むろん乃木坂さんの声は、柚木先生には聞こえない)
「会場のフェリペがね、設備の故障で五月には工事に入るんで一ヶ月前倒しだって!」
「ええ、そんなあ……」
「間に合うかなあ……?」
「……なんとかしょう!」
 乃木坂さんが言った。
「なんとかなる?」
「だれと、しゃべってんの?」
 うかつに乃木坂さんに言った言葉を先生に聞きとがめられた。
「あ、二人に言ったんです。里沙と夏鈴に。で、間をとって二人の真ん中に……はい」

 その日から稽古は百二十パーセントの力が入った。

 乃木坂さんの演出にも熱がこもってきた。
「君たちの演技は形にはなっているけど、真情がない。地上げの仕事への熱意が偽物だ。都婆ちゃんの子ども三人は、狡猾だけど、そうなってしまった人生の背景が感じられない。悪役は、ただ凄めばいいというものじゃないんだ。それに都婆ちゃんの孤独感というのはそんなものじゃない。他に迎合せず、孤高のうちにも孤独を貫き通す覚悟、そして、その覚悟をも超えてやってくる真の孤独の凄まじさ、それが出なくっちゃ!」
「はい……」
 乃木坂さんの指摘は的確だけどキビシイ。だてに何十年も幽霊やっていない。
 三人はうなだれる。
「君達の人生は、まだ浅い。理解しろと言う方が無理なのかもしれない」
「だって、無理だよ。分かんないものは、分かんないもの」
 夏鈴が正直に弱音を吐く。
「馬鹿、そんなことを言っていたら、殺される演技や殺す演技は誰も出来ないことになるじゃないか!」
「そう、それは……そうなんだけどね」
「……ごめん、つい感情的になってしまった。もっと分かり易く言わなくっちゃね」
 
 それから乃木坂さんは根気強く、かみ砕いて教えてくれた。
 
 たとえば、寂しさというのは、目の下の上顎洞という骨の空間から、暖かい液体が口、喉、胸、腹、脚を伝って地面に吸い込まれるイメージを持つこと。老人の腰は曲がるんじゃなくて、落ちる(後ろに傾く)ものなんだということ。で、そのバランスをとるために上半身が前傾し、膝が曲がる。そして、そのいくつかは、はるかちゃんがビデオチャットで教えてくれたことと同じだった。

 分からないことがもどかしかった。孤独を淋しさと置き換えてみた。
 ひいじいちゃんとのお別れ。これはガキンチョ過ぎて、分からない。
 中学の卒業……卒業してからもたびたび行ってたので、このイメージも希薄。
 忠クンとの空白の一年。いつでも、その気になれば会えるという、開き直ったお気楽さがあった。
 はるかちゃんの突然の引っ越し……これは心の底に残っているけど、去年のクリスマスで、再会。この傷は、完全に治ってしまった。
 
 感情の記憶は、その時の物理的な記憶を残しておかないともたないらしい。何を見て何を触って、なにが聞こえたか、その他モロモロ。
 マリ先生が学校を辞めて、乃木坂の演劇部がつぶれたのは記憶に新しいけど、これは、演劇部再建のバネになってしまって、思い出すと活力さえ湧いてくる。
 人間の感情って複雑だってことが分かる程度には成長しました……はい。
 潤香先輩……これも奇跡の復活で、痛みは遠くなってしまっている。

 われながら、痛いことはすぐに忘れるお気楽人間だ。
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