ライトノベルベスト はるか・10
工場に入った……機械が一つもなく、五つほどの机にパソコンが並び、知らない女の人が五人、パソコンとか電話に忙しげだった。
みんなチラッと一瞥(いちべつ)はくれるが、空気のように無視された。
わたしはシカトと無視の違いを体感した。
シカトには、反感や侮蔑といった人間的な感情が潜んでいる。
しかし無視はちがう。完全な無関心……。
「はるかちゃん!」
懐かしい声が段ボールの箱を抱えて下りてきた。
「シゲちゃん!」
工場で一番若かった茂田さんだ。
「いったいどうなっちゃったの? 森さんは? 田村さんは? 機械はどこへ行っちゃったの? この女の人たちはなんなの!?」
「そ、それはな……」
「……わたし、自分の部屋見てくる!」
「はるかちゃん!」
シゲちゃんの声を背中に、わたしは自分の部屋のドアを開けた……。
そこにはわたしの部屋だった痕跡は何もなかった。
部屋の三方の壁にはスチールのラック。そこに装身具や小間物がビッシリと区分けされて積まれていた。部屋の中央は段ボールに入った未整理の商品がいくつも……。
「はるかちゃん、覚えてる?」
「え……?」
その女の人は、メガネを外して慇懃にお辞儀をした。まるで社長秘書のように……。
「あ……!?」
「思い出してくれたようね」
古いのやら、新しいのやら、この人に関する記憶が、バグっていたパソコンが急に再起動したように思い出された。
高峯秀美さん…………………………!
前の会社で最後まで残って残務処理とかしてくれた、お父さんの秘書。
千住に来てからも、何度か会社の再建の話をしにきていた。
そして、いつのまにか、お父さんとお母さんの間に割り込んできた人。
「連絡してくれたら、迎えにいったのに」
転校した日に竹内先生が言ったのと同じ台詞を、お父さんが口にした。
笑顔の蔭に隠しきれない戸惑いが見えた。
アメチャンの代わりにシフォンケーキとミルクティーが出てきた。
「わたしの手作りだけど、シフォンケーキって、カロリー控えめでアレンジしやすいから、みんなのお八つ用につくってるの。お昼になったら三人でお蕎麦でも食べに行きましょ、A工高の近くに新しい蕎麦屋さんができたのよ」
「わたし、大阪の友だちといっしょにディズニーリゾートに行く途中だから」
「あら、お友だち待たせてるの。呼んでくりゃいいのに」
「図書館で待ってもらってます。昼前の電車に乗るから」
「ここもずいぶん変わっただろ」
「印刷屋はやめたんだね……レーズンがいいアクセントになってますね」
シフォンケーキで話題をそらす。
「お褒めいただいて、どうも……この六月から、お父さんといっしょにこんなこと始めたの」
出された名刺には、ネット通販「NOTION」vice-president高峯ヒデミとあった。
「あ、オレは……」
お父さんの名刺はpresident伍代英樹。
「森さんと田代さんは?」
「お引き留めはしたんだけどね、印刷のこと以外は分からないって、おっしゃって……」
身に付いた優雅さでミルクティーを飲む秀美さん。
「いや、シゲちゃん通して話はしてんだよ。なんたって、親父の代から働いてもらってるんだから」
なんで汗を拭くの……。
「視界没やったんだね」
東京のホンワカ顔で繕う。
「あ、あれは、風がよかったんでな。はるかも元気に自立したようだし……お父さんが自慢できることってこれくらいだからな。オレはオレでやってるって、あんなカタチでしか示せなくってな……もっと早く連絡とりゃよかったんだけど、いろいろあってな」
……わたしは、そんなふうには受け取らなかった。家族再生へのお父さんの意思表示だと思ったんだよ……わたしって、まるでダメダメのオバカ……。
「最近やっと落ち着いて、ね……」
にこやかにお父さんを見る秀美さんの目は、仕事仲間へのそれではなかった。
ぜんぜんの想定外だよ。
なんかわかんない、社交辞令みたいなことを言い合っているうちに、ホンワカが引きつりはじめた。
「じゃ、そろそろ時間だから」
「あら、そう」
「秀美さん、お父さんのことよろしく」
心にもないことを口走った。
「はい、まかせてちょうだい」
シゲさんや、仲鉄工のおじさんがかけてくれた声にもろくに返事もできないで図書館に戻った。
大橋先生の姿が見えない……こんなときに!
二階の児童図書のコーナーまで捜した。
念のため、一階の文化会館まで下りてみると、ちょうど先生が入ってくるのが目に入った。
「なんや、えらい早かったなあ」
「どこ行ってたんですか!」
「ちょっと人多いさかいに、隣の神社 散歩してた」
「ちょっと、いっしょに来て」
「お、おい、はるか……」
先生を引っ張るようにして表通りまで出た。運良くタクシーをつかまえられた。
「荒川の土手道、H駅の三百メートル手前のあたりまで」
それだけ言うと、わたしは無言になって、先生も無言につき合ってくれた。
着くやいなや、わたしは転げ出すように、タクシーを降り、道ばたで、シフォンケーキをもどしてしまった。
「大丈夫か、はるか?」
「……大丈夫、ちょっと車に酔っただけ」
「真由のネーチャンの車でも酔わへんかったのに……ま、これで口ゆすぎ」
目の前にスポーツドリンクが差し出された。
土手を下りた。先生はほどよい距離をとって付いてきてくれた。
写メと同じ景色。
青空の下に荒川、四ツ木橋と新四ツ木橋が重なって京成押上線が見える。
体が場所を覚えていた。
そして、急にこみ上げてきた……。
ウ、ウウ……ウワーン!!
四五歳の子どもにもどったように、爆発的に泣いた。
「こんなの、こんなのってないよ。ないよ……ウワーン!!」
先生は、おそるおそる。でも優しく後ろからヨシヨシしてくれた。
わたしが泣きやむまで、そっと、ずっと……。
『はるか 真田山学院高校演劇部物語・第16章』より