ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ウィーン 雑感 (ウィーン旅行記 その7)

2006-05-03 | その他
ウィーンは、やはり街中がモーツァルト一色。
街のいたるところに「MOZART」の文字が踊り、各種のイベントが開催されていました。
メモリアルイヤーには、大きく「生誕○○年」と「没後○○年」の2通りありますが、モーツァルトの場合は、やっぱりお誕生日を皆でお祝いするという意味で、生誕記念のメモリアルイヤーのほうがよりふさわしいですね。

フィガロハウスとして長年親しまれていた建物も、今年のメモリアルイヤーに合わせて「モーツァルトハウス・ウィーン」として立派に建て替えられたそうです。
この場所でモーツァルトは1784年から1787年までの4年間を過ごしました。
入口でチケットを購入すると、オーディオガイド用の小さな機械を手渡されて4階から見学するように指示されます。
2階ではモーツァルトが住んでいた住居そのものを見ることができました。
この場所で「フィガロの結婚」が作曲されたんですねぇ。
一階上の3階には初演時のフィガロのプログラムも展示されていました。
今から200年前の時代に思いをはせると、やはり感慨もひとしおです。
そして、モーツァルトハウスを見学したその日の午後に、リッカルド・ムーティが指揮する素晴らしいフィガロを聴けたわけですから、何か繫がっていたような気がしてなりません。
<モーツァルトハウスの入口>↓

          

美術館にも足を運びました。
美術史博物館は、10年前も一応行くには行ったのですが、閉館間際だったので落ち着いて見れませんでした。
今回は、団体客もいなくて本当にゆっくり見て回ることができました。
ルーベンスやブリューゲルをはじめ、これだけの名作を間近でみることができるなんて、日本では考えられませんよね。
時間がゆったりと流れていくのを感じました。

また、レオポルド美術館では、クリムトも素晴らしかったけど、私は夭折の画家、エゴン・シーレに強く惹かれました。彼の絵はどこか屈折している。そして、もの哀しい。
「死」「母」「町の風景」といったテーマが多かったように思いますが、死の年1918年の作品では、なぜかゴーギャン風の作風に・・・。
どの作品も、訴えかけてくる力、オーラを強く感じました。
絵画をじっくり観たのは本当に何年ぶりだろう。
さきほども書きましたが、時間がゆったりと流れていくなかで、心が不思議に落ち着きました。

市民公園も端から端までのんびりと歩きましたが、天気に恵まれていたこともあり、春ののどかな雰囲気を思う存分楽しむことが出来ました。
観光客の多くは、ヨハン・シュトラウス像の前では記念写真を撮ったりしていましたが、ほかの作曲家たちにはあまり関心がないのかなあ。ほとんど素通り状態。
ブルックナーの像をみたときに、「この作曲家もウィーンの人に愛されているんだなぁ」とあらためて感じ、妙に嬉しい気持ちになりました。

           

今回のウィーン旅行は、すべての面で恵まれていました。
私たちが到着する前日までは、当地の天気も悪くとても寒かったとの由。
それが、ウィーンに滞在している間中、気候は温暖でずっと雨にも会わずに済みました。
おかげで、持参した冬用のコートやマフラーは、「お守り」だけが仕事で他にはまったく出番なし・・・。
そして、やや値段も少々高かったですが、宿泊したホテルもオペラ座のすぐ近くという大変便利な場所にあり、快適な生活を送ることができました。
テーマのひとつだったカフェ巡りもできたし、素晴らしい絵画にも出会えました。
あまり名所めぐりを欲張らなかったので、ウィーンの空気のようなものをじっくり味わうことができたと思います。
そして何よりも、ウィーンフィルの定期演奏会をムジークフェラインで聴けたこと、オペラ座でムーティの素晴らしいフィガロを観ることができたこと、この体験は生涯忘れることはないでしょう。

モーツァルト生誕250年の記念すべき年に、こんな素晴らしい経験ができて、本当に幸せでした。
まだ、いろいろ書きたいことはあるのですが、いったん今回の記事でウィーン旅行記の最終回にさせていただきます。
熱い気持ちがどうしても先にたってしまったので、読み返してみると恥ずかしいような表現もありますが、お許しください。
お付き合いいただいた読者の方に感謝します。


コメント (16)
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