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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

身辺報告と「応答可能性」について

2015-03-26 01:10:05 | よしなしごと
 私のような老人は、三日も何かを書かないと、「あいつもとうとうくたばったか」ということにされそうだ。
 特別に忙しかったわけでもないが、怠けていたわけでもない。
 そこそこ何かをしていた。

          

 ひとつは同人誌発刊後の整理だ。いろいろな人から感想などをいただいている。
 それを頂きっぱなしにしないために、記録にとどめたりする。
 必要なものは同人一同に回覧する。

 感想に添えて、私があと生き延びても数年だろうと書いたことにつき、「そうはいわずにせめて十数年は生きろ」との励ましをいただく。ありがたいことだ。
 十数年といえば九〇歳を超える。私の先達で九〇歳を超えても別の同人誌で頑張っている方もいらっしゃるから一般的にいえば不可能でもあるまいが、若い頃からかなりでたらめな生活をしてきたから、やはり無理だろうと思う。
 まあ、できるかぎり頑張るつもりだが。

          

 もうひとつは、やはり同人誌の縁で、四月に、あるサークルのようなところで、レポーターとして話をさせてもらうことになったが、学者でも専門家でもない私としては、出来合いの既成の知識のなかからなにがしかをヒョイとつまみ出して話すという芸当はできない。
 そこで、それなりの勉強にとりかかった。これがまた、始めるといろいろな枝道が現れて、あちこち参照していてなかなか本題が進まない。
 でも、集中できる課題があることはいいことだ。それに人様に話すためとはいえ、結局は自分の身につくのだから。

          

 いろいろあってしばらく音信が途絶えていた若い友人から久々にメールが来る。
 とてもホッとしている。
 しかし、メールの内容は真剣勝負のような話だから、儀礼的な応答では済まない。それなりに考え、言葉を選んで返信する。
 これもまた、翻って私自身の勉強になることだ。

 寿命があと何年かはさておき、周辺からの刺激に対して応答可能であり続けたい。
 その間は自分が進化できると単純に思い込んでいる。
 実態はといえば、若いころの不勉強を今頃になって埋め合わせているだけなのだが。
 

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