私の学生時代からの友人で、卒業後、高校の教師を経験した人のブログに、都議会の野次問題についての以下の様な記述を見かけました。
私自身が、その頃、彼女が指摘しているような価値観を黙認ないしは共有していたことを思い出し、ただ一方的に彼らを責めたり、犯人探しにのみ関心を持つのでは決定的に不十分であることを自覚させられました。
以下彼女の記述です。
「(前略)都議会で行われた胸が悪くなるような、暴言とその幕引き劇を、見せられて、自分の若い頃の、教員時代の数々の差別的な扱いや、暴言を思い出してしまった。
教員の世界は、とても古臭い体質があって、女性教員は、みな苦労していた。
朝、職員室の全員のお茶を入れたり、職員旅行や飲食を伴う場所では、男性職員に、酒類をお酌することが、無言の圧力で、求められた。
父にも兄にも、そんなことをした経験のない私は、いつもボーっとしていたので、気の利かぬ奴、と疎んじられていた。新任の教員なのに、サービス精神皆無。そのうち早々と、結婚。卑猥な言葉を浴びせかけられた。
人権意識など無いに等しい人たちが、教壇に立つのだから、生徒たちにも、女性蔑視が、体の中に沁みこんでゆく。
差別だとは、思っていない男たちが、教師なのだから、弊害は限りなく大きい。
今回の、都議会の事件を見ていても、表面的には、男女共同参画だの、女性の力を活用して、だのと掲げながら、意識は半世紀前とちっとも変っていないみたい。
さっさと幕引きをしようとしている自民党に、限りない憎しみを感じる。(後略)」
改行などに少し手を加えましたが、原文のままです。
なお、そのブログのアドレスは以下です。
http://blogs.yahoo.co.jp/chieko_39/archive/2014/6/26
以下はそれに対して付けた私のコメントです。
「おばママさんの教員時代の話、身につまされました。たしかにそういう時代でしたね。私自身も、当時会社員で、女性社員が男性より早く出社し、お茶を出す、 昼は昼でやはりお茶を出す、あるいは休憩時間にもといった習慣を黙認していたばかりか、『◯◯さん、そろそろお茶を・・・』と請求したこともあったかもしれません。慰安旅行などでも、女子社員からの酌を普通に受けていたように思います。その他、セクハラまがいの言動もあったかも知れません。
その意味では、同じ価値観のようなものを共有していたのだと思います。
今回、汚い野次を飛ばしたのは、そうした価値観をもっていた私のような世代が育てた次世代ということになります。その意味では、大きな顔をして彼らを責めるだけではダメなのだということを、おばママの上記の記事で改めて自覚し、反省させられました。
ありがとうございました。」(一部加筆)
若い人たちには信じられないかもしれませんが、当時はそれが「当たり前」だったのです。そして今、世の中の中枢で活動している人たちはそうした私たちの世代が育ててきた人たちなのです。
当時とは職場の状況などは改善されているとは思いますが、そうした私たちの世代の価値観が、抜いても抜いても生えてくる雑草のように、しぶとく生き延びているのではと懸念しています。
もちろん、私がすでにそうした地点から卒業したと強弁するつもりはありません。
曖昧な幕引きを許さず、犯人を探し、しかるべく決着を着けることも必要でしょうが、同時に、そうした価値観そのものをきちんと捉え返し、それと向き合ってゆくことが世代を超えた課題であるように思った次第です。
私自身が、その頃、彼女が指摘しているような価値観を黙認ないしは共有していたことを思い出し、ただ一方的に彼らを責めたり、犯人探しにのみ関心を持つのでは決定的に不十分であることを自覚させられました。
以下彼女の記述です。
「(前略)都議会で行われた胸が悪くなるような、暴言とその幕引き劇を、見せられて、自分の若い頃の、教員時代の数々の差別的な扱いや、暴言を思い出してしまった。
教員の世界は、とても古臭い体質があって、女性教員は、みな苦労していた。
朝、職員室の全員のお茶を入れたり、職員旅行や飲食を伴う場所では、男性職員に、酒類をお酌することが、無言の圧力で、求められた。
父にも兄にも、そんなことをした経験のない私は、いつもボーっとしていたので、気の利かぬ奴、と疎んじられていた。新任の教員なのに、サービス精神皆無。そのうち早々と、結婚。卑猥な言葉を浴びせかけられた。
人権意識など無いに等しい人たちが、教壇に立つのだから、生徒たちにも、女性蔑視が、体の中に沁みこんでゆく。
差別だとは、思っていない男たちが、教師なのだから、弊害は限りなく大きい。
今回の、都議会の事件を見ていても、表面的には、男女共同参画だの、女性の力を活用して、だのと掲げながら、意識は半世紀前とちっとも変っていないみたい。
さっさと幕引きをしようとしている自民党に、限りない憎しみを感じる。(後略)」
改行などに少し手を加えましたが、原文のままです。
なお、そのブログのアドレスは以下です。
http://blogs.yahoo.co.jp/chieko_39/archive/2014/6/26
以下はそれに対して付けた私のコメントです。
「おばママさんの教員時代の話、身につまされました。たしかにそういう時代でしたね。私自身も、当時会社員で、女性社員が男性より早く出社し、お茶を出す、 昼は昼でやはりお茶を出す、あるいは休憩時間にもといった習慣を黙認していたばかりか、『◯◯さん、そろそろお茶を・・・』と請求したこともあったかもしれません。慰安旅行などでも、女子社員からの酌を普通に受けていたように思います。その他、セクハラまがいの言動もあったかも知れません。
その意味では、同じ価値観のようなものを共有していたのだと思います。
今回、汚い野次を飛ばしたのは、そうした価値観をもっていた私のような世代が育てた次世代ということになります。その意味では、大きな顔をして彼らを責めるだけではダメなのだということを、おばママの上記の記事で改めて自覚し、反省させられました。
ありがとうございました。」(一部加筆)
若い人たちには信じられないかもしれませんが、当時はそれが「当たり前」だったのです。そして今、世の中の中枢で活動している人たちはそうした私たちの世代が育ててきた人たちなのです。
当時とは職場の状況などは改善されているとは思いますが、そうした私たちの世代の価値観が、抜いても抜いても生えてくる雑草のように、しぶとく生き延びているのではと懸念しています。
もちろん、私がすでにそうした地点から卒業したと強弁するつもりはありません。
曖昧な幕引きを許さず、犯人を探し、しかるべく決着を着けることも必要でしょうが、同時に、そうした価値観そのものをきちんと捉え返し、それと向き合ってゆくことが世代を超えた課題であるように思った次第です。
良くなっているようにも感じられますが、
まだまだ、女性自身の中にも、甘えや
差別を社会通念だからと、よしとする意識が、残っています。
外国のメヂアの一人が、やじられて、本人の女性議員が微苦笑を浮かべたのなど、いかにも日本的だといい、アメリカの元ライス長官なら、その場でやじった男を張り飛ばしていただろう、と言ったのを、もれきいて、ああ、私たちの中にも、まだまだ払しょくしきれていないものが、有るなあと思いました。
それを活かすためには、それらを貫く基本的人権、つまり参政権、男女同権、表現の自由などなどが消極的にではなく、積極的に活用されねばならないと思います。
それがいわゆる民度、もろもろの侵害に対する感度と抵抗などで、その方面での私たち全体の意識は今なお高くはありません。
それが憲法全体のなし崩し的崩壊を許していることの要因でもあると思います。
今回の彼女の戸惑いや苦笑は、初質問で場馴れしていなかったこと、突然のことでどう対応していいか分からなかったことなど、同情される面が多々ありますが、その背景にはそうした民度や感度が育っていないということもあるように思います。
それにしても、そうしたものの欠片も見えないのが野次った連中であることは強調しても強調し足りないと思います。
在ったのは、嫁を意味する「婦人」と「女子」。
市川房枝の「婦人参政権運動」しかり、戦後の本山市長諮問機関の「婦人問題懇話会」に至るまで、「女性」は存在しませんでした。
「婦人少年室」これが政府に長年置かれた女性問題対策室でした。
「おんなこども」ひとくくりにされていたのです。
しかし、欧米諸国もかつてはそうで、その残滓はその言葉に見いだせます。
例えば英語のManは「人間」であると同時に「男」を意味します。「女」を示す言葉は違うのです。これはドイツ語やフランス語においても同じです。
もちろんそうした言語的な起源を持ちながらも、そうした諸国が少なくとも私たちの国よりマシな状況であることはいうまでもありません。
そこで、半世紀前にそうした状況下にあったハンナ・アーレントの言葉を思い出します。おおよその趣旨です。
「ひとは生まれながらに平等だというのは空疎な言い方にすぎない。実際にひとは、その環境や歴史的伝統のうちで不平等に生まれる。だからこそ、事後的、人為的に、可能な限り平等な制度、平等な意識を育まねばならないのだ」
岩上安身の実況中継を見てやってください。
昨夜から時々見ています。昨夜は23:00ごろ、警官隊が静止できなくなり、デモの流れが決壊し、道路一帯に人々が溢れました。