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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

♪あんたのお名前なんていうの♪

2009-03-13 04:10:05 | よしなしごと
 以下は、昨12日に関する記述です。

   ===============================

 朝一番の電話は妹からだった。
 入院中の母の容態が悪化して危ないかも知れないという。
 車に飛び乗り、妹を途中で拾い病院へ駆けつける。

 病人の様子などくどくど書いても始まらないから省略するが、確かに見た目にもあまり良くはなさそうだ。かといってとくにガクンと来ている様子も見えない。
 しかし説明を聞いて、呼びつけられた事情を納得した。

 母は今朝方、なんと41.6度の高熱を出し、血圧も一時、上で60を切ったというのだ。それと、血液中の赤血球の数値が異常に上昇したというのだ。最後の指標は、体内の炎症が広がっていることを示すらしい。

 41.6度!で私はのけぞった。
 こんな高熱は聞いたことがない。
 40度というのは聞いたことがある。私の実体験では、20代後半に経験した39.6度ほどだ。しかし、41.6度とは?それを94歳の母が体験したとは・・。

 
 
 額に手を当てる。
 「今は平熱です」と看護士。
 「血圧はどうですか」
 「やはり60を少し上回ったぐらいです」
 ようするに、高血圧の人の三分の一しかないのだ。

 まもなく医師が巡回先から病室へやって来る。
 数値データの説明とその事態の意味、今日を乗り越えてもまたこの事態が訪れることの通告、さらにはどこまでの延命措置をするかの再確認(これについては妹との協議の上でのこちらの要求は伝えてある)などを行う。

 最後の医師の言葉が印象的。
 「脳梗塞の原因であった血栓が少し緩んで、意識が回復するかのような様相があったのですが、肉体的な衰弱が進んでいますから・・」
 確かに皮肉な現象ではあるが、私にとってはなまじっか母の意識が回復しない方が良いように思われるのだ。

 

 前にも書いたが、母は自分がポックリ逝くものと信じ切っていた。そのために神仏はむろん、民間信仰からなにやら怪しげな小宗教にまで信心のバリアーを張り巡らし、それなりのお布施も支出してきた。
 その母が、なまじっか意識を取り戻し、自分が置かれた事態を明晰に突き付けられたとしたらどんなにか嘆くことだろう。

 だから私や家族の間では、母が意識を取り戻し、もう一度言葉を交わしたいという思いと、その折りに味わう深い絶望感に母が耐えうるだろうかという思いがいまも交差している。
 私たちが駆けつけて以降の症状や数値はしばらくしても安定していた。
 病院に詰めていても仕方がないので、しばし日常に戻る。
 
 食事などを済ませてまた、今度は単独で病院に戻る。
 病室の手前で、知らない患者の男性から「あんたの名前は?」と聞かれる。
 不意をつかれて黙っていると、「名無しの権兵衛か」と呟く声。
 「いいえ、私は○○です」と名乗ると、「ふ~ん。○○ねぇ」となにやら思案顔。
 そこへ通りかかった看護士さん
 「**さん、よその人困らせてはいかんよ」
 と、たしなめる。
 「あ、看護士さん、あんたの名前は?」
 「何いっとるの、もう何回もいっとるでしょう。山口だがね。下の名前?ほんなもん、山口といったら百恵に決まっとるがね」

 
 
 その会話をあとに母の病室へ。
 様子は私が先ほどここを去ったときからほとんど変化がないまま眠っている。
 これは入院してから一貫しているのだが、眠っている際には無呼吸症候群があり、40秒ほど無呼吸で、その後20秒ほど激しく呼吸をするという繰り返しである。
 はじめは呼吸をしない時間に驚いたものだが、今はもう慣れた。
 
 病状などを妹に報告する。
 妹の方からは、万一の場合について考えたことなどが話される。
1)「お兄ちゃんが喪主やってくれるね」 了解
2)「いっぺん自宅(入院前まで母が住んでいた家。今は妹が管理)へ連れて帰るよ」 了解
3)「葬儀場はどこそこが近いけど、あまり評判が良くないのであちらの方にしたい」 了解
4)「これから母さんが帰ってきた折りに布団の下に敷くカーペットを買いに行く」 了解

 

 話していて、小津の『東京物語』で杉村春子が演じた役回りを思い出し吹き出しそうになった。
 誤解されるといけないから言っておくが、妹は決して冷酷なのではない。彼女は私のようなウジウジした男の妹としては珍しくリアリストなのだ。そしてそれがゆえに、まさしくリアルなレベルで母をどうおくってやるのかに懸命に気を揉んでいるのだ。

 だから、私が妹の提言のすべてにウイといったのは決してシニックな意味を含むものではない。リアルなお膳立てはすべて彼女に任せて、その上で私は私なりの役割を果たそうと心からそう思ったのである。
 私も妹も、その日が近いことを望んでいるわけではない。

 13日は、親しい友人と山間部でいまなお盛んというしだれ梅の写真でも撮しにゆこうかという話があったが、この事態を受けて残念ながらキャンセルした。
 天気予報では、13日は雨だという。ホラ見ろ、やっぱり行かない方が良かったろうと思う私は、ブドウを酸っぱいと決めつけた狐の心境なのだろうか。


タイトルは、世界最初のラップ歌手、トニー谷の歌詞から採りました。







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2 コメント

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Unknown (さんこ)
2009-03-13 10:59:09
辛いでしょうが、見守ってあげて下さい。最後まで、聴覚は残るとか。どうぞ、いろいろ語ってあげて下さい。心残りの無いように。私達も、やがては、行く道ですから。先に行っててね、と。
わからないようでいて、届いているかもしれませんよ。貴方のほうが、身体をこわさないように、お気をつけて。
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Unknown (六文錢)
2009-03-14 14:24:40
>さんこさん
 ありがとうございます。
 おかげで少し持ち直しましたが、確実に衰弱は深まってゆくようです。
 とはいえ、先の展開やXデーについては全く分かりません。

 どんな状況になろうともそれはそのときと対応できるように、無手勝流で構えておこうと思います。

 ちょっと緊張した日でしたが、「お名前フェチ」のおじさんには少し癒やされました。
 
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