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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

嗚呼! 柳ヶ瀬哀歌!

2018-07-03 01:32:58 | 想い出を掘り起こす
 久々に岐阜の中心街に出る。
 街は静かだ。
 平日ということもあって、私のようなジジババがちらほら。
 かつて、休日ともなれば、ひとと肩触れ合わずして歩くことが困難だった日々を回想してみる。
 あれは私の10代の頃だたから、もう60年前か。
 美川憲一が「柳ヶ瀬ブルース」をヒットさせたのは1966年だからそれからももう半世紀以上になる。
 古き良き思い出をもつ者にとって、時は残酷に振る舞うことがある。

             

 明治の初めの生まれだから、生きていれば140歳ぐらいになるハイカラ好きの父方の祖父と、藤山一郎とのデュエットで「青い山脈」を歌った奈良光枝の実演(当時はライブをこう呼んでいた)を観に行ったのは1950年代のはじめだった。
 彼女が歌った「赤い靴のタンゴ」は、しっとりとして、子どもながらもほれぼれと聴き入ったものである(その前に、近江俊郎とのデュエットで歌った「悲しき竹笛」も好きだった)。

          
 
 その会場が当時、岐阜一番の「岐阜劇場」。
 しかし、その跡地は、今や岐阜で唯一の百貨店、高島屋岐阜店になっている。
 市街地が広がる写真は、その上階から岐阜駅方面を見渡したものである。
 ちなみに現在の私の住まいは、この写真のずっと先になる。

          

 かつて、各都市の商店街や繁華街は、デパートやスーパーなどとある種の棲み分けを行っていた。しかし、高度成長期を境に、裸の資本対決のような様相を呈して今日に至っている。その間、大型店にあった規制もすべて緩和された。
 小資本の集合体である地方の商店街はよほどのことがない限り、これら大型店舗の戦略に対抗できない。

              

 柳ヶ瀬は哀しい。
 そこへ行く度に、私の古い記憶にあるものたちが確実に減少してゆく。私は、古いものがいいと言っているわけではない。問題はそれらがなくなるのに見合った新しいものが生み出されず、ただ商店街が廃墟と化してゆくのが哀しいのだ。

              

 相変わらずの年寄りの回顧談だが、地方都市の各地に、しだいに廃墟化しつつある商店街があるというのは事実なのだ。



*奈良光枝 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%85%89%E6%9E%9D

*「赤い靴のタンゴ」
">https://www.youtube.com/watch?v=y5VBOrG4LXo

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2 コメント

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Unknown (花てぼ)
2018-07-07 17:55:19
岐阜の方でさらに厳しい大雨警報がでたようですが、そちらは被害はありませんでしたでしょうか。
返信する
ありがとう。 (六文銭)
2018-07-07 23:31:11
>花てぼさん
 お心遣いありがとうございます。
 今回の岐阜県の被害は飛騨川筋、長良川の上流域などで水害、土砂崩れ等の形で出ているようです。
 私の住むのは岐阜県でも南部ですから、いまのとこと断続的に激しい雨や雷がといった程度で危険はありません。
 ただし、そうした上流部での増水がしだいに南下してくるので、ここしばらくは油断できません。長良川の右岸に異変があれば、この辺まで水が来る可能性があります。
 わが家の具体的被害といえば、名古屋の学童保育に勤務している娘が、東海道線の運転見合わせで、週末だというのに未だに帰宅できていないことぐらいです。
 そちらは地震があったようですね。
 また、こちらで雨を振らせた雨雲が、そちらへ行く可能性もありますよ。
 宇宙を制覇したかのようにのたまう人類が、身近な自然の前では脆いものだという自覚が、ある種の謙虚さをもたらすといいのですが。
返信する

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