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「黄金のアデーレ」は何を見てきたのだろうか?

2016-03-31 15:35:22 | 映画評論
 過日、遅ればせながら二番館で『黄金のアデーレ 名画の帰還』(監督:サイモン・カーティス 2015)を観た。
 映画としてもとても良く出来ている。
 無駄なカットがなくテンポよく進むなかで、テオ・アンゲロプロスばりの時空を超えた異次元映像への滑り込みが挿入され、名画返還活動の現在と、それが奪われたナチス時代のウィーンとが往還する。

               

 後半は映画からはいささか離れるが、これを手がかりに考えたこともあるのでそれを書いてみたい。
 
 映画はクリムトの名画、「黄金のアデーレ」のモデル、アデーレの姪・マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)がナチスに奪われ、今やオーストリアの美術館にあるその絵画の返還運動の過程を描いているが、その依頼を受け、最初は副次的に関わる若き熱血弁護士・ランドル・シェーンベルグ(ライアン・レイノルズ)が次第にのめり込みを見せ、終盤に至ってはもはや諦めの境地にあるマリアを逆に牽引することともなる。

             

 なお、マリアがナチスの迫害を逃れてアメリカへ亡命した折の冒険譚もちゃんと挿入されているし、またコンビを組む弁護士のランドルは、やはりナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命した無調音楽や十二音階の始祖ともいわれるアルノルト(アーノルド)・シェーンベルグの孫なのである。
 ちなみにA・シェーンベルグは、ユダヤ人であること、加えてナチスのいう退廃芸術に相当する作曲家だとして二重に迫害された。

              

 なおクリムトはユダヤ人ではなかったが、その絵画に漂う官能的なエロティシズムから退廃芸術扱いを受けそうになったが、その具象性と絵そのものの美しさなどにより焼却などを免れたと思われる。ただし、彼のパトロンであった多くのユダヤ人たちが迫害を受け、財産を没収されたり、命を落としたりした。この映画もそうした事情をバックにしている。

              

 ここに出てきた名前、クリムト、シェーンベルグ、さらにセリフとして登場するフロイト博士(精神分析の祖)、の他に、絵画ではエゴン・シーレ、音楽ではグスタフ・マーラーなどを数え上げると、二〇世紀に多大な影響を与えたいわゆる「世紀末ウィーン」の芸術や学問の概要が見えてくる。

 返還訴訟の相手はオーストリア政府なのだが、彼らもなかなかそれを認めない。「『アデーレ』はオーストリアにとって『モナリザ』なのだ」という映画の中でのセリフがそれを示している。

             
 
 ここで、ナチス時代のオーストリーについて見てみよう。
 現在オーストリアは独立した国家として、「ドイツではなかった」「ナチスではなかった」と口をつぐんでいるが、1938年のドイツによる併合は、それ以前のオーストリア国内でのナチスの暗躍とドイツ語を話す勢力の統一という大ドイツ主義のもと、無血の明け渡しで、しかも映画でも見られるように、各地で群衆の大歓迎を受けての併合であった。
 この意味では軍事的敗北の結果として作られたフランスのヴィシー政権などとも性格を異にする。
 オーストリアそのもののナチス化は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』の後半が、迫り来るオーストリア・ナチスとの闘争であったことからも明らかである。

              

 だいたい、ヒトラーそのものがオーストリアのリンツ郊外で生れ、リンツの工科学校へ入学している(哲学者のヴィトゲンシュタインと同級生でいっしょに写っている写真もある)。ドイツへ出て政治家になった後も、大ドイツ主義に基づくオーストリア併合は彼のまず手始めの夢だったのだ。
 このくだりは、彼の著『わが闘争』の書き出しが大ドイツ主義への宣言であることからも確かめられる。

              

 したがってこの絵画返還の運動は、反面、オーストリアのナチズムがなんであったのかへの問であり、オーストリア自身がしてきたユダヤ人への迫害、抹殺への協力に関する告発でもある。
 それは、ナチスが奪ったものを、国のものとして手放さない行為の中に象徴されている。オーストリアが、今日、ドイツ以上にネオ・ナチが跳梁し、「自由党」と称する極右政党が国会のなかでもジリジリと勢力を拡大しつつあることとの関連もあろうと思われる。

              

 とはいえ、オーストリアは私の好きな国である。ザルツブルグやインスブルッグの旧市街の佇まい、私の好きなトラムカーが縦横に走るグラーツ、そしてオーストリー・ハンガリー帝国の栄光を、そしてモーツァルトを含む音楽家たちの栄光を今日に伝える首都ウィーン・・・。
 私の数少ない海外旅行のうちで、ウィーンは唯一、二度訪れた都市である。
 映画を観ていても、見慣れた風景、見慣れた建造物が登場し、ただただ懐かしかった。
 この都市たちが、そしてこの国が、かつてのあの醜さを再び身に纏わないことを祈るほかない。

 例によって映画からは大きく逸れたが、いずれもこの映画に触発されたものではある。歴史は、二〇世紀後半以来、大きな変動を迎え、その着地点も見えてはいない。この不確定な中、私たちの参照すべきは過去の歴史的事実であり、その背後にある思想的立場のようなものである。
 この間、他者の抹殺や迫害を辞さない偏狭な立場が世界にも、そしてこの国にも満ちている。
 それらを形にしたり、勢力にしてはならない。
 歴史はそれが地獄への道であることを教えている。


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