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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

黒沢 清『トウキョウソナタ』を観る

2008-10-04 15:30:49 | 映画評論
 ネタバレは最小限に留めました。 

 いわゆる家庭崩壊と再生の物語であるが、黒沢作品としては結構端正にまとまっている。これは脚本や監督の技量に対する評価であるとともに、いささかの疑念でもある。
 あんなに端正にまとまるものであろうか?
 まとまるとしたら何がそうさせたのだろうか?

 そう考えてゆくと、どうも一筋縄ではゆかないものの介在がほの見える。
 それは「死ないしは死との直面」ではあるまいか。

  

 母(小泉今日子)は、あの海岸に浮かぶシーンで一度、死に至ったのではなかったか。
 父(香川照之)は、車にはねられて一度死んだのではあるまいか。
 それは再生のための必要条件ではなかったのだろうか。
 兄の考え方においての転回もそうである。彼はイラクで一度死んだのかも知れないのだ。
 そうなると、最終局面に至るシーンはいささかホラーじみてくるのだが、考えてみれば、黒沢監督はホラーの第一人者でもあった。

 だとすると、ピアノを弾き終えた次男を囲んで父母が会場を去るシーンは、一見、ハッピィなエンドのように見えながら、いささか現実離れをしたフェイドアウトにも見える。
 要するに最終シーンは、彼らの「死」の中で夢見られた再生願望の虚像かも知れないのである。
 映画の中で二つの自死が描かれているのもその伏線とも思える。

 
 
 香川照之、小泉今日子は相変わらず巧い。とりわけ小泉今日子は、自身が主演をした05年の佳作『空中庭園』(豊田利晃・監督)の主婦との繋がりをおもわせる演技が印象的である。
 脇も良くて、黒須役の津田寛治も好演。家族内では次男の井之脇 海の表情がよい。

 黒沢映画の常連、役所広司も顔を見せるが、この映画ではいささか芝居をしすぎた感じで、映画全体の流れの中で幾分違和感のある場面もあった。

 最後のピアノシーンでは、私の好きなドビュシーの「月の光」がみっちり聴けたのがおまけのようで得をした気分になれた。

 この間、観てきた、『ぐるりのこと』、『あるいてもあるいても』などと共々、日本映画の成果といえる作品であろう。


『空中庭園』の豊田利晃監督は、上記作品の後、麻薬使用の疑いで逮捕され、懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。
 そろそろ執行猶予の期限も切れる頃、才能のある人だけに新しい作品に取り組んで欲しいもの。



  



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2 コメント

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Unknown (白樺)
2008-10-17 18:27:03
六文錢さん こんにちは!
「白樺」と言いますが、お初にお目にかかります。
この映画、最後はこうなって欲しい、ようになるのですが、我が家はもう危険な時期は過ぎてしまいましたが?(まだヤバイかしら?)多分どこの家庭も色々あるのかもしれませんね!
リンクさせて下さいね^^
返信する
Unknown (六文錢)
2008-10-17 23:42:52
白樺さん
 コメントありがとうございました。
 貴ページも拝見させていただきました。
 映画をよくご覧になっていらっしゃいますね。
 リンクの件、もちろん了承させていただきます。
 今後ともよろしくお願いいたします。
返信する

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