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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【定点観測】かくてパチンコ屋は消えてしまった。

2009-05-15 02:00:29 | 写真とおしゃべり
 定点観測のようなものが好きです。ものごとの変化が時間軸に沿って感じられるからです。
 これはすこし前に報告した閉店したパチンコ屋のドキュメントの続きです。
 私の家から自転車で10分足らずの場所です。
 撮影は三回に分けて致しました。

     

 これは前にも載せましたが、閉店した直後です。ある日通りかかった折り、いやに静かだなと思ったらすでに閉店していたのでした。

         
 
 この右の塔の上の放射状のネオンは、遠くからは花火のように見えたものです。私の家のベランダからもすこしだけ見えました。

     
 
 駐車場も広くとられていましたが、あまり満車状態を見たことがなかったので、やはりそのロケーションと相まって集客能力に限界があったようです。

     

 何日かして通りかかったら、ついに解体工事が始まっていました。

     
 
 これがかつての本館です。

     
 
 そしてこれが、先端にあの花火風のネオンがあった塔の名残りです。

     

 どんどん取り壊されてゆきます。

     

 さらに何日か経って通りかかったら、もうすっかり建物の形はありませんでした。

     
 
 残った土砂を運び出されていましたが、それが終わればここはもう更地です。

     
 
 かつての駐車場はすでに更地になっていました。

 これでこのパチンコ屋の物語は終わりです。
 終わってみて、あらためて思うのですが、街中でもなく、幹線道路沿いでもなく、回りが畑のようなところにどうしてパチンコ屋を作ったのでしょう。
 「パチンコ屋だよ~ん」というだけで人が入った時期があったのでしょうか?
 もう何日かしたら、人々はここに何があったかすら思い出さなくなるでしょう。
 でも、私は覚えているでしょう、たぶん。
 それは、こうして定点観測をしたということもあるのですが、そもそもそれが可能になったのは、ここが母の入院している病院へ自転車で通い続けているひとつのルートにあるからなのです。



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6 コメント

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Unknown (N響大好き。)
2009-05-15 09:57:25
大学生の頃、初めてパチンコ屋に入りました。
たばこの臭いに閉口したうえ、
10分足らずで、2000円がなくなってしまい、
以来やっていません。

そのとき、儲かりでもしていたら、
パチンコ好きになっていたかも。
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Unknown (冠山)
2009-05-15 22:40:22
パチンコ屋の定点観測をおもしろく拝見しました。更地になったその後どうなるのでしよう?またお知らせください。パチンコ屋さんで店を閉める話は他にも聞きますが、パチンコ業界そのものは1割の業績アップた゜そうです。パチンコ製作業界も外需落ち込みの影響がないから堅調だそうで、不思議な世界?ですね。万札をもたないとはいれないようですからぼくには関係ないですが。
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Unknown (猫頭鷹)
2009-05-16 23:35:34
私は人生の中で30回くらいしかパチンコはやったことがないのですが、1度だけ勝ったことがありました。今から30年くらい前になると思うのですが、栄の広小路交差点近くの店(今はない)に入り、歯ブラシだかボールペンだったかを何本だか持って景品交換所に行ったのですが誰もいないのです。
それはちょうどそのとき、広小路通りを皇太子と皇太子妃(現天皇皇后)の車が通るということで、みんなそれを見に行ってしまっていたからです。
沿道はもう黒山の人垣で、私には何も見えませんでしたが、当時はまだ、日本のプリンスとプリンセスを、民衆が“熱狂”して日の丸の小旗を振って迎えるという雰囲気があったんですねぇ。
子供の頃「明治は遠くなりにけり」というフレーズをときどき聞いた気がするけど、「昭和は遠くなりにけり」だなぁと、しみじみ自分の歳のことなど考えてしまいました。
どうでもいいことで、長々と失礼しました。
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Unknown (六文錢)
2009-05-17 02:20:55
> N響大好き。さん
 これだけはビギナーズ・ラックがなくてよかったと思いますよ。
 私は玉をひとつずつ左手で入れて打つという原始的な時代にやったのみですが、いつも勝ちましたよ。
 当時は今日のようにコンピュータ制御ではなくて、釘師という職業の人が閉店後釘に細工をし、入る台と解放台を決めるのですが、それを店長は知っていました。
 ところでその店長というのが私の店の客で、いつもカウンターで馬鹿話をする仲。

 でもって、私が入らない台で打っていると、彼がそっと耳元で囁きます。「マスター、238番」。素直な私はそこへ行くとジャラジャラ出るわけです。
 しかし、欲張ることなく煙草を1、2カートンぐらい勝つと帰るのがコツ。この程度の引き際ですからまた店長も教えてくれるのです。
 
 その頃に比べると、今のパチンコは恐ろしく賭博性が高くなっています。
  N響大好き。さんがもしそこで大勝ちしていたら、学校を卒業できないか、卒業して就職しても、公の金に手を付けるようになったかも知れませんよ。

 パチンコで人生を棒に振った人を何人か知っています。
返信する
Unknown (六文錢)
2009-05-17 02:42:00
>冠山さん
 パチンコは今や年商30兆円に迫る大産業です。しかも脱税率の高さを誇る業界ですから実際にはもっと業績があるかも知れません。
 こんなに賭博性が高いゲームがはびこるというのは、この業界が警察官僚の天下りの有力な場所だからです。業界団体のトップクラスはもちろん各店の用心棒的な存在として警察官上がりの人たちが配備されています。

 しかし、この業界にも危機意識はあります。それは、現在各地でいわれているカジノの公認です。パチンコ業界がその賭博性を高めたばかりに、カジノが公認されれば間違いなく一定の客はそちらに流れます。

 石原都知事がカジノに熱心なのは、彼のいう「三国人」=在日の人たちの経営が多いパチンコ業界からその客を引っぺがし、日本のやくざが仕切るカジノに花を持たせたいのかも知れません。
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Unknown (六文錢)
2009-05-17 03:13:07
>猫頭鷹 さん
 30年前のエピソード、私も偶然経験しています。
 店へ出勤途上、広小路を横切る手前で車を止められました。それが猫頭鷹さんがさんが書かれた当日だったと思います。
 店へはあと30秒以内、歩いても2、3分という場所でなんと15分から20分ほど止められました。

 高校時代にも同じような経験をしました。悪友たちと岐阜の市街電車に乗っていた折、昭和天皇が谷汲村へ植樹祭に出かけた帰りにぶつかり止められました。
 
 先導のパトカーが「天皇陛下はシッケ橋をお渡りになりました」と大声で叫びました。それを聞いて私の友人のひとりが引きつったように笑いはじめました。「天皇陛下がシッケ橋だってよ」といっています。

 私もはたと気がつき笑みをもらしました。
 シッケ橋とは全国の地名奇名にも登場するように「尻毛橋」と書くのです。この間まで神様だった人と尻の毛との取り合わせが面白かったのです。

 それに気づいた大人たちも笑いはじめました。なかにはそれに気づいても私たちを険しい視線で見咎める人たちもいました。その人たちの中には、まだ不敬罪が生きていたのだと思います。
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