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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

テオ・アンゲロプロスのサウンド・トラックを聴く

2014-02-03 17:46:15 | 音楽を聴く
 あまり集中できない性格だから、読書でも音楽でも映画でもつまみ食いが多いような気がする。
 集中的に没頭することができないのだろう。
 そういえば、小学校の頃の通知表の所見の欄にはいつも「落ち着きがない」と書かれていたような気がする。だから親も、「落ち着きなさい」というわけだが、落ち着くということがどういうことなのか分からないのだから仕方がない。とうとうそのまま、この歳まで来てしまった。

              
 
 そんな私だが、一つだけ集中して追い続けてきたものがある。
 それがテオ・アンゲロプロスの映画だ。この人の日本上映作品は一応全て劇場で観た。
 その彼が、「二〇世紀三部作」の構想のもとに、まさに二〇世紀を総括するような作品を企画し、その第一作が『エレニの旅』であり、その第二作が『エレニの帰郷』、そして第三作が『THE OTHER SEA (もう一つの海)』になるはずだった。「だった」と過去形で語るのは、この三作目を撮影中に彼が交通事故で亡くなってしまったからだ。もう、一昨年のことになる。

 したがって、今名古屋地区で上映中の『エレニの帰郷』が実質上の遺作となるわけだ。ということで、私としてはこれを観ずしては「画竜点睛を欠く」とばかりにガッチリ予定に組み込んだ。

           

 そんな矢先、上記の三部作にさらに先立つ三本の映画(『シテール島への船出』、『蜂の旅人』、『霧の中の風景』)のサウンドトラック盤のCDをいただいた。クラシック風から、ジャズやロック調のものまで多彩な音楽が収められたもので、作曲者は全て、エレニ・カラインドロウ(英:ヘレン・カレンドルー)という女性の手による。通して聴くと、その多彩な才能が伺えるのだが、なんといっても主流を占める北ギリシャの湿った重い空気感を表現した哀愁を帯びたものが良い。
 これを聴いていると、アンゲロプロスのちょっと暗い寒色系の(『蜂の旅人』はやや違ったが)映像が彷彿とする。そして、いくぶん飛躍するが、アンゲロプロス同様に二〇世紀を回顧するとき、こうした哀愁がまとわりついて離れないのである。その悲哀の根幹には、かつてこれほど多くの人工的な死者を生み出した世紀はなかったという重い事実がつきまとっている。

           
              アンゲロプロス監督のための献花台

 さて、CDに戻ろう。このエレニ・カラインドロウというひと、『シテール島への船出』以降のアンゲロプロス全作品の音楽を手がけているようで、私がもっとも強烈に覚えている『ユリシーズの瞳』のなかで、確か、キム・カシュカシャンのヴィオラが何度も奏でるいたたまれないほどの悲哀に満ちたメロディも、きっとこの人の手になるものだろう。
 『エレニの帰郷』の中では、この人はどんな音楽を聴かせてくれるのだろう。
 前作に続き、映画のタイトルの中に彼女の名前が入っているとあって、もちろんその映像に則した素晴らしい音楽を聴かせてくれることだろうと期待はいや増しに膨らむのである。
 
 

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