ドイツ首相のメルケルさんが来日した。
首脳同士ということで安倍首相と同席する機会が多かった。
対談もし、共同声明も出した。
儀礼的な面ではそれらは完全に一致したかのように伝えられた。
しかし、彼我の相違は心ある人には明らかだった。
なかには私のように幾分恥ずかしい思いをした人もいるだろう。
その論理的倫理的な面、また人格においてあまりにも違いすぎる。
私はメルケルさんを無条件に礼賛しているわけでもない。
彼女は西洋的、ドイツ的、キリスト教民主同盟(CDU)的限界を背負ってはいる。
にもかかわらず、安倍氏とは格が違うのだ。
どこが違うのかというと、哲学の有無とでもいうべきだろう。
私たちは生きている以上、この世界の対して責任を持たねばならない。
それは歴史的なものであったり、地政学的なものであったりする。
責任=応答可能性(レスポンシビリティ)をどう設定するのかが問われる。
哲学なき者はそれを「自己中」な範囲に限定したがる。
その時自分は生まれていなかった。
そんな遠いところでの事態には思いが及ばなかった。
自分にはその事態については権限がなかった。
などなどという次第である。
この論理のもと、日本の戦争責任はことごとく曖昧にされた。
一部の戦犯が処刑されはした。
しかし、それをスケープゴートにして多くが責任を逃れた。
A級戦犯に問われながら政治の場に復帰した者さえいる。
安倍氏の祖父、岸信介氏である。
ドイツで600万人を殺したホロコーストがあった。
それに直接関わったアイヒマンが行った弁明もそうだった。
「私には権限がなかった。上からに命令に従ったまでだ」
これらが責任=応答可能性を無視する哲学の末路だ。
しかし、メルケルさんは違うようだ。
彼女はヴァイツゼッカー元大統領の遺訓を踏襲している。
ヴァイツゼッカー元大統領は明確に語っている。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と。
メルケルさんは抽象的にこれを継承しているだけではない。
70年前のドイツの被害者である各地へと積極的に出かけている。
そして、率直に反省と謝罪を述べる。
圧巻は2008年のイスラエル議会での演説だった。
歴代ドイツ首相で初めてのそれは、野次と怒号、退席者もでた。
しかし彼女は反省と謝罪をきちんと述べた。
その結末は拍手の嵐であったという。
安倍氏にそれだけの度量があるだろうか。
彼のお友達たちは、ネウヨ同様の言辞をまき散らしている。
曰く、従軍慰安婦はなかった。南京虐殺もなかった。
過ぐる戦争は日本が植民地解放のために戦ったのだ。
中国や韓国のインフラは日本が整えてやったのだ。
それにもかかわらず、恩知らずな連中は・・・・。
と、嫌韓嫌中の言辞が尽きることなく吐露される。
これこそまさに責任を自己中的に棚上げした言辞である。
安倍氏は直接にはそこまで語らない。
しかし、彼が集めたお仲間たちがそれを臆面もなく語る。
類は友を呼ぶだ。
中国は、戦勝70年記念式典に安倍氏を招待するかもしれないという。
彼はそれに出るだろうか。
メルケルさんと同様に、歴史を直視したコメントを出せるだろうか。
世界が注目するなか、数カ月先には「談話」なるものが出る。
しかし、その魂胆は透けて見える。
自分の「独自色」を出し、これまでのものから後退しながら、
どれだけ中韓などからの抵抗を避けるかの政治力学的配慮だ。
しかし、それは単なるレトリックの問題であり、哲学ではない。
安倍氏が真に哲学を持つならば、無限責任の立場に立ちながら、
そこから自らの具体的な責任を語るべきなのだ。
メルケルさんの言辞はそのようにして紡ぎだされている。
最後に、安倍氏を選んだのが私たちであるとしたら、
私たちもまた、その責任を負わねばならないことを肝に銘じたい。
*彼我の相違が明確になったもう一つに原発問題がある。
メルケルさんはもともと原発推進派であった。
しかし、フクシマを知ると直ちにその方針を改めた。
しかし、安倍氏は当事国なのに推進を断固として行うという。
その理由は再生エネルギーの利用は困難だからというものだ。
ここにも哲学の相違がある。
メルケルさんの思考は危険なものは即やめる。
その上でその代替を必死になって追求する。
安倍氏は現状に拘泥することしか知らない。
もっともその影には、原子力村の重い影があるのだが。
いずれにしてもそれをかなぐり捨てる決意は彼にはできない。
一企業のために国土を侵害され、そこに住む国民に苦難を加え続けている。そんなことを許す愚かな人物を首相に押し頂いたその国民が末永くこの列島に住み続けることができるか分からないが、次の氷河期が始まるころにやっと放射能は半減する。
ドイツの国民が羨ましいですね。
ここしばらくは東日本大震災4周年の話題が続きますが、とりわけ原発事故とのダブルパンチだった地域の人達は気の毒という他はありません。
他の地域のように、復興住宅さえ建てばかつての故郷へ帰ることができるという具合には進みませんから。
それに、いわゆる除染によって出た膨大な量のゴミ、最終処分場はおろか中間貯蔵地点も決まらず野積みのまま。見ただけでもぞっとします。
それにもかかわらず、各地の原発を再稼働させようとするに至ってはもはや何をかいわんやです。
お書きになったコメントの表題から、「売家と唐様で書く三代目」という江戸川柳を思い出しました。
もちろん構いませんよ。
私が書いたものを一人でもたくさんに方に読んでいただけるなんて、大歓迎です。
4・4の集会やデモへの「呼びかけ人」としてのご参加、その勇気あるご行為に拍手いたします。
私は昨年、名古屋での反原発に一回、秘密保護法反対に一回と参加したっきりで、今年はまだです。
貴ブログを拝見し、暖かくなったのでそろそろ始動すべきだと発奮させられました。
なお、「平和の声・行動ネットワーク入間」、ググってみたらかなり精力的に活動していらっしゃるようで、いい意味での刺激を頂きました。