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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「どづき倒し人形」とヤマブキとスミレ

2011-04-19 02:17:58 | よしなしごと
 「歴史は繰り返す」というほど大げさなものではありませんが、似たようなことはあるもので、今回、車を車検に出すことになり、車をもってゆきました。
 一日車検で、歩いても15~20分ぐらいのところなので代車は断って、まだ農村の面影が残る道を徒歩で帰りました。同様にして帰ったのは、あとでうちへ帰って調べたら、ちょうど5年前のことでした。
 
 繰り返すといったのは車検自体ではなく、ちょうどその折にも、前後に体の状態を検査したことです。今回も先週の胃の内視鏡に続き、2日後には大腸の検査です。
 そういえば、こうして徒歩で帰るのもその折の繰り返しでした。
 その5年前、私は以下のような不可思議なものを見つけ、その旨を日記に載せたことがありました(これはその5年前の写真です)。

       

 これがなんなのか分からなかったのでそれを日記に書いたところ、これはボクシングの練習やストレス解消のために殴ったり蹴ったりする人形だと教えてくれた人がいました(Yさんなど)。「Slam Man」とありましたから、私なりに翻訳?すると「どづき倒し人形」ということになります。

             

 上の写真のように使うのだそうですが、気の弱い私は、たとえ相手が人形でもどづき倒すことは出来ません。
 ついでながら子供のゲームなどでは、バーチャル空間とはいえ相手をどづき倒すものがありますがこれっていいのかなぁと考えてしまいます。

 ところでその同じ「Slam Man」の5年後ですが、こんな姿に変わり果てていました。
 塗装は剥げ、眼や口らしき箇所には金属板にネジが露出していました。

       

 なんかいやぁなものを観た感じで気が沈みます。
 なにか口直し、いや、眼直しになるものはないかと田舎道をとぼとぼ歩いていると、向こうから市会議員の選挙カーがやってきます。
 「なにとぞ、なにとぞ、よろしくお願いします!」と連呼しているのですが、あたりを見回しても畑や田圃にも人影がなく、ようするに呼びかけられているのは私一人です。

 見も知らぬ候補者に微笑んで手を振ってみせるなどという芸当はできません。
 かといってわざわざそっぽを向くのも失礼でしょう。
 仕方が無いので、やや顔を伏せて選挙カーが通り過ぎるのを待ちました。
 やっと傍らを通り過ぎたとき、ほっと息が漏れました。
 あなたならこんな時どうします?

 ところで、この選挙カー、タクシーでした。
 タクシーの上に看板とスピーカーを積んでいました。
 なるほど、これだとウグイス嬢などの経費も含めて一日10万円ぐらい、運動期間が一週間として100万以内に抑えることができるかななどと妙な計算をしてしまいました。

        
 農家らしき集落の狭い道を歩きました。漁村の道幅は軽四輪が通れるかどうかですが、昔ながらの農家の集落内の道も似たり寄ったりです。
 そこで心和むものを見かけました。
 いままさに満開の山吹です。

 その美しさもさることながら、ちょっと感動したのはそれに出会うのが久しぶりだったからです。こうした庭木というか屋敷内に植える木にも流行り廃りはあるのでしょうか。
 かつては山吹などどこででも観ることができたのに、最近は結構まれなのです。

        
 
 山吹の咲いている箇所を曲がったら、老人三人(内一人は女性)が石垣に腰掛けて声高によもやま話をしていました。
 「こんにちは」と挨拶をしたら、話がピタリと止み、なんとそのうちのひとりがわざわざ立ち上がって挨拶を返してくれました。
 思うに、私のような通りがかりがあいさつをすることに驚いたのでしょう。

 しかし、思えば都会から引っ越してきた40数年前、通りがかる見知らぬ私に気軽に挨拶を送ってくれたのはこの地の人だったのです。その折、都会では絶対にないその風習に驚いたのは私の方でした。

 グダグダ書いてきましたが、車検に入れたところからわずか20分足らずの距離の出来事です。
 最後に素晴らしいものを見つけました。スミレの群生です。写真はその一部ですが、その何倍かの群れが咲き誇っているのです。
 しかも、なんと私の家から1分もしないところなのです。灯台もと暗しですね。

        
 
 この時間、焼酎のお湯割りを飲みながらこれを書いています。
 これから約40時間、大腸検査のためまともな飲食ができない状態に入ります。
 内視鏡がどんな私の内蔵を映しだすのか興味津々です。

    
   困惑の声避難所に満ちており 九ヶ月先も確かならざり
                 (東電の事態収束案の曖昧さ)



 
 

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3 コメント

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Unknown (只今)
2011-04-19 09:44:23
「″名前連呼″が復活」という活字は、本日(19日)『中日新聞』の見出し。震災をうけて自粛気味だった連呼も復活したという記事。
 そういえば、「何人も、選挙運動のため連呼行為をすることができない」が、走行中の選挙カーは、「この限りでない」ので、ただただ連呼¡
 しかし、逆効果と思うのは少数派なのでしょうか。ずっと大昔そんなことを呟いたら、「そんなことを思うのは、インテリだけだょ」とある選挙参謀に言われたことを思い出しました。小生、当時はインテリだったのです。
 
 [菫程な小さき人に生まれたし]
 と詠んだのは明治の知識人、漱石。明治の知識人は文字通りの知識人、やはり背負ったものが重く、市井の人になりたいと本気で思ったのでしょうね。
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Unknown (元部平憐)
2011-04-19 16:48:37
窓から身を乗り出して手を振ってくる選挙カーに出くわした時、私が咄嗟にとった行動。
 それは、腕時計に目をやることでした。
いま一度は、後ろから誰かに呼びかけられているかのように後ろを向いていました。
 
返信する
Unknown (冠山)
2011-04-19 20:47:48
六文銭さん、ねんごろに挨拶を返す媼との心あたたまる瞬間、山吹、スミレの花だよりたのしく拝見しました。今日、たたんぼ(蕗の薹)を手土産に寄ってくれた若者によると、揖斐川上流のダムサイトでは、谷々に雪深く、日当たりのよい山斜面のブナの樹がつい昨日あたりやっとうす淡く一面に芽を吹き、桜の蕾はしっかり堅い、ということでした。故郷は遠く、東日本の人々を思い、心疼く話をしました。
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