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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「時間」を観ること、そしてその時間について行けない私

2014-05-18 14:48:05 | 写真とおしゃべり
 なかったものが現れ、あったものがなくなるということが時間というものを簡単に見聞できるということらしいのですが、これはちょうど一ヶ月前と同じアングルの写真です。私のデスクの真ん前の光景で、毎日見ているとさして気づかないのですが、こうして並べてみると歴然です。

          
          

 左側はマサキの樹ですが緑がいっそう濃くなってきました。
 その下方に姿を見せていた白いツツジはもう完全に終わってしまいました。

 右から出ている枝はクワのそれですが、葉っぱがでかくなって色合いもたくましくなってきました。
 一番目立つのは、その間にあって、まだチョンチョンとしか新芽をつけていなかったムクゲの葉が立派に生えそろってきたことです。
 やがて底紅の花を付け、蝶や蜂などがやってきて私の目を楽しませてくれることでしょう。

          

 そうそう、大きくなったクワの葉の影で、健やかに育ちつつある桑の実を紹介すべきでしょうね。もう赤く色づき始めたものもありますが、食べごろは、赤紫からほとんど黒くなった頃で、触っただけで実がホロリと落ちてきそうなものがとても甘くて美味しいのです。
 第一陣の収穫は一週間から10日先でしょうね。

 こんなに目にも鮮やかでさわやかな季節なのに、私の鈍感な体はうまくついて行けないようなのです。暑苦しくなって軽装にすると急に身震いするような寒気に襲われたり、センサーが狂っているのか、反応や調節機能自体がおかしくなっているのか・・・・って愚痴にしか過ぎませんね。

 心頭滅却せば・・・云々という悟りの境地は私には無理なようです。肉体や身体的なものの超克、それは私にとっては死でしかありません。
 ですから歪んだ感受性に満ちたこの身体ともどもというか、この身体そのものを生き切るよりほかないのでしょうね。
 生きてる間な死なないという素朴な信念(?)にすがりながら・・・。



 

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