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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

動く写真=映画と動かない写真を観たという話

2023-11-24 00:03:40 | 写真とおしゃべり

 11月21日、久々の名古屋行き。なにか会合があってではなく私の単独行。「朝日」の夕刊がなくなって、文化欄、特に映画欄がなくなり映画鑑賞の指針をなくしたと嘆く私に、時折「中日新聞」の映画欄をわざわざ切り抜いて送ってくれるI さん(女性)の記事に触発され、久々にスクリーンで映画をと思った。 
 と同時に、そのI さんが同封してくれたチケットで愛知県美術館で開催中の「YASUI NAKAJI PHOTOGRAPHS 安井仲治写真展」を観るためでった。

          

        
 後者が主体であったので、映画の方は私の選択のなかでは第三候補ぐらいだったが、上映時間の都合がいいものにした。
 作品は『法廷遊戯』。私の好みとはちょっと違うかなと思ったが観ている間は飽きさせなかった。司法試験を受け、法曹界を目指す学生たちが、まさに遊戯として始めた模擬裁判が、時間とともに現実性を帯び、何年後かのそれは実際の殺人事件となる。

        
        
 
 その事件を巡る真実が二転三転する法廷ミステリーと言うか心理劇というか、それらを通じて世間並みには一定の結論に達する。しかし、それは、実は・・・・。
 真実を追求する清義(永瀬廉)と施設以来のその幼馴染美齢(杉咲花)がダブル主演だが、杉咲花の表情での演技がなかなかのもの。監督は深川栄洋。
 やはり私の中では第三候補だった。

            


 愛知県美術館での安井仲治写真展の方は、ドストライクに感動した。
 1903~42年の短い生涯を写真の表現に捧げた人である。記録としてのそれではなく、美的表現としての写真。

        

 100年以上前、デジカメはもちろんその前の銀塩カメラなどの現像や焼付け技法も発展途上だった頃、彼自身、ライカの35ミリカメラを手にしたのはその晩年であった。もちろんすべての写真がモノクロである。

            
            

 そうした技術上のハンディをものともせず、彼は果敢に写真の美的表現に挑戦してゆく。当時の最新の絵画界のシュールリアリズムを写真の世界でも実現してゆく。
               

          

 また、どんな対象を撮すのかによってその写真家の現実で立ち位置がわかるが、例えば人物像にしても、着飾った上流社会の人たちのポートレイトなどはない。ほとんどすべてが市井の庶民の老若男女で、上半身裸で働く労働者なども多い。
 さらには、メーデーをシリーズで撮り、検束者なども撮っている。その晩年は、日中戦争が始まり、すべてが軍事色に塗られてゆくのだが、それらに乗せられた形跡はない。
 なぜか白衣の傷痍軍人シリーズがあるのだが、私は1931年、逮捕検束され獄中死した反戦川柳人・鶴彬(川柳界の小林多喜二ともいわれた)の作品を連想した。例えば、「手と足をもいだ丸太にしてかへし」などである。

            
           
 当初予想したより、はるかに豊かな展示会であった。そのうえ良かったのは、写真の展示会だけあって、特定の撮影禁止以外の作品はすべて撮影が許されていたことである。だから、展示されたもののうち、数十枚を撮してきた。そのすべてを載せると、展示会の営業防蟻になるので、ここには一部の写真のみを載せるが、会が終了する27日以降に、それらを載せようと思っている。

         
         
 そんなこともあって、一時間ほどを予定していた鑑賞時間が、2時間近くに及んだ。
 その後についても報告しようと思うのだがいつもながらで長すぎるので、機会を改める。
 I さんのお陰で充実した一日になった。改めてお礼をいいたい。

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