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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

植物には植物の事情が・・・とひとまず言ってみる。

2010-06-26 01:17:16 | 花便り&花をめぐって
 わが家の手入れもなにもしない狭い庭の、梅雨時というか初夏の植物事情について報告致します。
 例によって、若干のご託付きです。

  

  

 桑の実に続いて今年の琵琶は豊作でした。
 甘みもまあまあでした。
 今まで、三度収穫し、娘の勤める学童保育の子供たちへのおやつに持たせてやりました。

  
 
 紫陽花は昨年伸びすぎて側を通るのに難儀したため、思い切ってばっさり切ったのですが、それが災いしてあまり咲きませんでした。

  

 よく咲いたのは、地味なのですが柾木(まさき)の花です。
 これが散り始めると、黄緑色の雪が降ったように樹下が彩られます。
 そして秋には可愛い実をつけ、それが赤い色に熟す頃にはムクドリやヒヨドリがやって来てかしましくなります。

  

 地味な花といえばセッコウジャノヒゲも咲きました。
 薄紫の花が分かるでしょうか。

  

 これが秋になると真っ青なルビーのように輝く実をつけるのです。
 写真の実は昨秋のものです。

  

 こうして私などは、今年はこれがよかった、これがよくなかったなどと勝手なことをいっているのですが、それはあくまでもそれを愛でたり、収穫したりする人間様の自己本位の評価にすぎません。
 植物は植物で、その折々の自然条件、気候や土壌の状態などに反応しているのであって、その意味では、花の付きが悪かろうが実が小さかろうが、それがその折々の最適な適応なのだろうと思います。

 とまあ、こんな具合にしたり顔でいって、怠けて放りっぱなしにしている自分の責任を棚上げしているのです。
 こんなところで育つ植物はかわいそうで、なおかつけなげですね。


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2 コメント

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Unknown (さんこ)
2010-06-26 12:31:53
1時間ほど前に、枇杷と父親との思い出などを、長く書いたのに、コメント0になって消えているのは、どうしてだろうか?
メールアドレスを間違えて入れたのかな?

 枇杷は、なぜか父を思い出す、と前にも書いたようなコメントでした。ソラマメの煎ったのを海水浴に行って、腰にぶら下げた父が、熱い砂浜に上がると、袋からちょうど良い塩味にふやけたのを、くれて一緒に食べた思い出も書いたのに、何で消えたのかなあ。
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Unknown (六文錢)
2010-06-26 14:50:54
 あらら、どこへ消えたのでしょうか?
 私も時折、せっかく書いたものを紛失しますが、虚空のどこかに、それら陽の目を見なかった文章の墓場のようなものがあるのではないでしょうか。
 そうした文章の水子たちを供養しなければなりませんね。

 空豆を海水でふやけさせる食べ方ははじめて知りました。
 子供の頃は、乾燥した空豆を煎り、その固いのに噛みついていました。
 田舎にいたくせに、取れたての柔らかいものをあまり食べた記憶がありません。

 後年、フライド・ビーンズ(いかり豆)をはじめて食べたとき、これは別物だと思いました。

 なお、私の育った大垣の郊外では、空豆のことをトマメといっていました。それが唐豆のなまったものであることを知ったのはもっと後でした。

 固いトマメ、懐かしいです。
 最近、乾燥したものってあまり見かけませんものね。
 あったとして、今の私の歯で食べることが出来るでしょうか?
 年の割に歯は丈夫なのですが・・・。
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