六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【ズンドコ節考・4】恋の歌ではなかった!

2008-01-29 03:03:26 | よしなしごと
これは、連載の第四回に相当します。
 はじめていらっしゃった方は、むろんこれだけでも結構なのですが、余裕がありましたら最初のものからご覧になって下さい。

 
 
 ズンドコ節は私の幼少時から周辺で唱われていて、てっきり始めから「ズンドコ節」だと思っていたのですが、実はそうではなかったのです。

 この歌が広く知れ渡ったひとつの契機に、戦後すぐ、歌手の田端義夫がレコード化したことがあったのですが、その折に、その囃子言葉から「ズンドコ節」と名付けられたのです。敗戦直後で、従前からのの原題(後出)を付けるわけにはいかなかったということもあります。
 田端が歌った歌詞は特定できませんでしたが、多くの証言によると、それはいわゆる元歌と同じだったようです。

            

 それではいよいよ元歌の登場です。


 作詩作曲者不詳

(1)
 汽車の窓から 手をにぎり
 送ってくれた 人よりも、
 ホームの陰で 泣いていた
 可愛いあの娘が 忘られぬ
 トコズンドコ ズンドコ

(2)
 花は桜木 人は武士
 語ってくれた 人よりも
 港のすみで 泣いていた
 可愛いあの娘が 目に浮ぶ
 トコズンドコ ズンドコ

(3)
 元気でいるかと 言う便り
 送ってくれた 人よりも
 涙のにじむ 筆のあと
 いとしいあの娘が 忘られぬ
 トコズンドコ ズンドコ


 いかがでしょうか。1番から3番まで、私がこの連載の冒頭で述べた「目立つヒロインより目立たないヒロイン」という特徴がよく現れているでしょう。
 そうした特徴が、「アキラ」のもの以外に色濃く引き継がれていることはすでに見てきたとおりです(「きよし」の&「ドリフ」の)。

 


 では、田端義夫が「ズンドコ節」として唱う前の、つまりまだ戦争のまっただ中にあった時期の、この歌のタイトルは何だったかというと、それは「海軍小唄」といったのです。
 だから敗戦直後にはそれを題名とすることが出来ず、「ズンドコ節」になったのです。
 そして、この歌詞の状景は、単なる男女の恋の歌や別れの歌ではなく、出征兵士が戦場にとられて行く状況を唱ったものなのです。

 その特質は、2番の歌詞によく現れています。
 「花は桜木 人は武士」と語った大和撫子は、要するに「立派に死んでこい!」といっているのです。それに対比するように港のすみで泣いている娘は「死んでくれるな!」と祈っているのです。
 やがて、「立派に死んでこい」と送り出した女性は、割烹着に「大日本帝国婦人会」のたすきを掛けて華美な化粧や服装を咎めて歩き、パーマをあてた髪にハサミを入れたり、ドレスに墨を塗ったりすることになります。

 ここでは建前のヒロインと、その陰ともいうべき本音のヒロインとが対比され、その後者こそが肯定されているのです。
 ここに、この歌が、いわゆる「厭戦歌」であるゆえんがあります。

 

 ちなみに当時の日本には。実質的に「反戦歌」というものはありませんでした。歌というのは本来声に出して唱うものなのですが、反戦の意味を込めた歌など唱おうものなら、特高警察か憲兵がとんできて、即逮捕、拷問、その命さえ危ない時代だったのです。

 しかしながら、建前とは別に、厭戦の気分は当然ありました。それらの噴出が上の「海軍小唄」などで、作詞、作曲が不明なのが特徴です。
 そしてこの系譜の歌はこれに留まらず、他にも結構あるのです。
 それらを逐次追ってみたいと思いますが、次回は特に寄り道をして、「柱の陰で泣いていた」女性の方に焦点を当てた考察をしてみたいと思います。

 

おまけのトリビア

 ネット上でこの歌の英訳を見つけました。
 訳したのは、B・Itoという人ですが、それが誰なのか探しても見つかりませんでした。


‘Zundoko’ Song 英訳歌詞: B. Ito

(1)
Holding my hands / at the train window,
People saw me off / at the station.
A girl was weeping / in the same corner.
I can’t / for get the lovely girl.
Toko zundoko zundoko.

(2)
“Blossoms, cherry’s are best / and men, bushi.”
People said to me_ / when they saw me off.
A girl was weeping / in the port corner.
I can’t / forget the lovely girl’s face.
Toko zundoko zundoko.

(3)
“We hope you are getting / along well.”
People wrote to me / one of those days.
A girl wrote to me / tear stained letters.
I can’t / forget the pitiful girl.
Toko zundoko zundoko.



コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【ズンドコ節考・3】マイト... | トップ | 【ズンドコ節考・5】「君い... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (只今)
2008-01-29 12:01:25
これまでの戦後のズンドコ節は、なにがしか敬遠してきた歌でありましたが、「海軍小唄」とあって、俄然ズンドコ節に連なるあれこれの歌を思いだしました。先ずは、戦没学生の手記「わだつみの声」にも記されている「お国のためとは言いながら人の嫌がる軍隊に…」の『可愛スーちゃん』。そして「イヤなとこだよ軍隊は 金の茶碗に金の箸」の『軍隊ストトン節』。「一つとせー 人のいやがる軍隊へ 志願で出てくる馬鹿もいる」の『軍隊数え歌』。さらには『ダンチョネ節』『ツーレロ節』などなど、それは戦中の銭湯帰りにも歌った覚えがあり、いちばんよく歌ったのは集団疎開していた時の覚えですが、ラジオから流れてきたわけでなし、どうして流行したのでしょうか。それは今のインターネツトをある面でははるかに越える力を持っていたと思うのです。先ずはとりあえずまで。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。