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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

元号と花鳥風月と護憲のチラシ 

2019-05-05 01:12:58 | 歴史を考える
 少しは騒ぎが収まったかなと思ったが、一般参賀とやらでまたも盛り上がり、ネットの中でも、感涙にむせんだりした人がいてなんだかなぁと思わずにはいられない。
 
 そんななか、一つ年上(=81歳)の先輩からメールを貰い、それによれば、この憲法記念日に、自家製の護憲のチラシを作り、自分の住所氏名、電話番号まで明記してそれを駅頭で配布したという。彼は無教会派のクリスチャン。

        
 私はというと、そんな勇気もなく、ひたすら花鳥風月のことを書いている。これも、「感涙にむせぶ人たち」とは一線を画してるつもりなのだが、そんな私を上の先輩のありようが無言で叱咤しているようだ。

 その先輩に詫びながらも、やはり花鳥風月の写真を載せておこう。はじめの三枚は、今年3月に満開を迎えた紅梅の鉢に、いつの間にか10個ほどの実がついていたというもの。
 この紅梅、25年前に亡くなった父から受け継いだもの。

   
 もうひとつ、下の濃いピンクのものは、やはり亡父が30年ほど前、もってきたカタバミの苗から引き継がれているもの。
 その下の黄色いものは、そこいらじゅうに自生しているカタバミで、花は小さい。
 最後の薄い方のピンクのものは、どこからきたのかやや離れた場所で2、3年前から咲き始めたもの。

            
 なお、元号については私にとってはどうでもいい面倒くさいだけのものだが、昭和だけは忘れがたい。だから、今年が昭和94年だということはすんなり出てくるが、平成はおぼつかなかった。
 自分で平成と書いたことは一度もなかったと思う。たぶん令和もそうなるであろう。

            
 なぜ昭和が忘れがたいかというと、あの戦争のせいである。私の実父は、昭和天皇の命令でインパールに行き、わけのわからない作戦の中で命を落としている。遺骨箱には石ころが一つ。
 そして、養父(上に述べた花にまつわる父はこの養父の方)はやはり昭和天皇の命令により満州に出征し、敗戦と同時にソ連によってシベリアへ抑留され、独立したばかりの家業を潰されている。

            
 昭和は、300万同胞と、2千万の近隣諸国民の亡骸によって血塗られた時代である。
 その時代への回帰を許してはならない。改憲は、そしてそこで図られている軍隊の明記は、その回帰へとつながる可能性をもっている。
 上にみたチラシを配布した先輩は、私と同時代を過ごしているだけに、その思いが強烈なのだろう。

 なお、この先輩とは、中学生の頃、ほとんど彼が一人で作っていた学校新聞を手伝ったという懐かしい思い出がある。

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