かつては公衆のトイレに入った場合によく落書きを見かけたものでした。
駅でも学校でも、公園などでもそうでした。
場所がらか、男性器や女性器をデフォルメしたものや、時としては、実に写実的なものや解剖学的なものもあり、うぶな私にはちょっとした性教育にもなったりしました。
また、相合い傘マークに実在の男女の名前が記されていて、「そうか、あいつとあいつはそんな仲なのか」と思わぬ情報源となったりもしました。もちろん、ガセネタも多かったのですが。
「右を見よ・・・左を見よ・・・上を見よ・・・」などとあり、それに従って行くと「トイレの中できょろきょろするな」というおきまりのものもあり、一度引っかかるともう二度とは見ない様にしたものでした。
「ああ、ついにはカミにも見放された!今日からはこの手でウンをつかもう!」という詠嘆調のものもあるかと思えば、「揉んで使えぬアルミ箔、揉めば使える段ボール」というありがたい教訓もありました。
後者については、ロールの紙がなくなっていて段ボールの芯だけ残っていたのを分解し、ていねいに揉んで使用したという体験談も聞いたことがあります。
しかしです、最近はそうした落書きを見たことがありません。
一つにはトイレ自身の壁面が昔のように漆喰や板張りではなくほとんどタイル張りになったため、手持ちの筆記用具では簡単に落書きができなくなったことにもよるでしょう。
さらにいえば、かつてよりもトイレの管理や清掃が行き届き、たとえ書かれてもすぐ消されてしまう運命にあるのかも知れません。
公衆道徳の徹底によるのかも知れませんが、それにしてもトイレは番外地ですから、どうもそればかりではないでしょうね。
むしろ、書き手の側にそれだけの余裕がなくなったのかも知れません。
かつてトイレは「哲学する場所」といわれたり、中間子の存在を予告して日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、その理論をトイレの中で思い付いたといわれたりもしました。
しかし今、人々はもはやトイレで哲学をすることもなく、ただただ排泄のための機能的な場としているとしたら、少し淋しい想いもしますね。
どこかで、ネット上の2チャンネルがかつてのトイレの落書きに相当するというのを読んだことがありますが、トイレの話だけにそれもまた一つのウンチクだとは思いました。
駅でも学校でも、公園などでもそうでした。
場所がらか、男性器や女性器をデフォルメしたものや、時としては、実に写実的なものや解剖学的なものもあり、うぶな私にはちょっとした性教育にもなったりしました。
また、相合い傘マークに実在の男女の名前が記されていて、「そうか、あいつとあいつはそんな仲なのか」と思わぬ情報源となったりもしました。もちろん、ガセネタも多かったのですが。
「右を見よ・・・左を見よ・・・上を見よ・・・」などとあり、それに従って行くと「トイレの中できょろきょろするな」というおきまりのものもあり、一度引っかかるともう二度とは見ない様にしたものでした。
「ああ、ついにはカミにも見放された!今日からはこの手でウンをつかもう!」という詠嘆調のものもあるかと思えば、「揉んで使えぬアルミ箔、揉めば使える段ボール」というありがたい教訓もありました。
後者については、ロールの紙がなくなっていて段ボールの芯だけ残っていたのを分解し、ていねいに揉んで使用したという体験談も聞いたことがあります。
しかしです、最近はそうした落書きを見たことがありません。
一つにはトイレ自身の壁面が昔のように漆喰や板張りではなくほとんどタイル張りになったため、手持ちの筆記用具では簡単に落書きができなくなったことにもよるでしょう。
さらにいえば、かつてよりもトイレの管理や清掃が行き届き、たとえ書かれてもすぐ消されてしまう運命にあるのかも知れません。
公衆道徳の徹底によるのかも知れませんが、それにしてもトイレは番外地ですから、どうもそればかりではないでしょうね。
むしろ、書き手の側にそれだけの余裕がなくなったのかも知れません。
かつてトイレは「哲学する場所」といわれたり、中間子の存在を予告して日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、その理論をトイレの中で思い付いたといわれたりもしました。
しかし今、人々はもはやトイレで哲学をすることもなく、ただただ排泄のための機能的な場としているとしたら、少し淋しい想いもしますね。
どこかで、ネット上の2チャンネルがかつてのトイレの落書きに相当するというのを読んだことがありますが、トイレの話だけにそれもまた一つのウンチクだとは思いました。
自分でもいつまで書いたりすることを続けることが出来るかとふと考えることがあります。
ただ、私の周りにはお元気でものを考え、行動し、書き続けている先達がいらっしゃるので、それにあやかりたいものと思っています。
とはいえ、それを支えるのは我が身、今まで無頓着であったことにもケアしてゆきたいと思います。
ありがとう。