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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「葉裏のそよぎ」を巡る惚け防止騒動の一幕

2010-08-20 16:24:04 | 想い出を掘り起こす
 木の葉を逆光気味にとったりするのが好きなんです。
 何となくその生命の営みを裏側、あるいは内側から観ているような気がします。ですからそんなアングルの写真を時折撮ったりします。

 そしてそんなとき、頭の片隅である言葉がリフレインするのです。
 それは「葉裏のそよぎ」という言葉で、詩歌の一節だというのは分かるのですが、それがどんなものの一部だったのかが思い出せないのです。
 その部分のメロディまで浮かぶのですが前後が分かりません。
 それがしばしばなのです。

    

 記憶力のいい方なら、ここまで読んで、「あ、それはこの歌の一部だ」と思い起こされたことでしょう。
 私もそうなりたくて、やっとググってみることにしました。
 そうしたらなんのことはない、一発で出てきました。

 「追憶」 作詞:古関吉雄 作曲:スペイン民謡

 そう、「追憶」でした。確か中学生の頃習った歌で(ということは五十数年前です)、短調でもの悲しい歌でした。
 そして、その歌詞も、同時に検索できました。

1.星影やさしく またたくみ空? 
 仰ぎてさまよい 木陰をゆけば? 
 葉うらのそよぎは 思い出誘いて? 
 すみ行く心に しのばるる昔? 
 ああなつかし その日

2.さざなみかそけく ささやく岸辺? 
 すず風うれしく さまよい行けば ? 
 くだくる月影 思い出誘いて? 
 すみ行く心に しのばるる昔?
 ああなつかし その日

    
 
 そしてこの歌詞が見つかったとたん、その前後も含め、すらすらと歌えてしまうではありませんか。たぶん、半世紀以上歌ったことはないと思うのですが。
 なるほど、スペイン民謡ねと思って作詞の処を見たら古関吉雄とあります。では元のスペインの歌詞はどうだったのでしょうか。
 さる方のブログによるとこう説明されていました。
 
 ・・・・・・この歌は、明治23年8月「明治唱歌(五)」の中に「月見れば」という題で載ったものだという。原題は「free as a bird (鳥のように自由に)」で、いちおうスペイン民謡となっているが、スペイン語の歌詞は無く、英語の歌詞を昭和14年4月に明治大学国文学教授の古関吉雄が訳詩したものだという。・・・・・・

 そこで、英語の詩を捜し、ついでに直訳を見つけたのですが、どうもキリスト教の賛美歌のようで、上の日本語の歌詞とこの英詩との間にはほとんど結びつきはなさそうですね。

    

■英文の歌詞とその直訳     
1?
 Flee as a bird to your mountain?
 Thou who art weary of sin?
 Go to the clear flowing fountain?
 Where you may wash and be clean
 ?Fly, for th'avenger is near thee?
 Call, and the Savior will hear thee?He on
 His bosom will bear thee?
 Oh thou who art weary of sin?
 Oh thou who art weary of sin

 鳥のように山に逃げなさい
 罪に疲れた貴方よ
 行きなさい綺麗な湧き出る泉に
 そこは、身を清め綺麗になるところ
 飛びなさい、貴方の傍に仇を討つ人が居る
 呼びかけなさい、主が聞いてくださる
 主の胸に貴方は抱かれるだろう
 ああ 罪に疲れた貴方よ
 ああ 罪に疲れた貴方よ

 He will protect thee forever
 Wipe every falling tear
 He will forsake thee, Oh never
 Sheltered so tenderly there
 Haste, then, the hours are flying
 Spend not the moments in sighing
 Cease from your sorrow and crying
 The Savior will wipe every tear
 The Savior will wipe every tear

 主は永遠に貴方を守ってくださるだろう
 全ての涙を洗い流して
 主は貴方を決して見捨てないだろう
 そこでは貴方はやさしく思いやりに満ちて庇護される
 急いぎなさい、時は過ぎて行く
 ため息をついて時を浪費していけない
 悲しみと叫びから解放されよう
 主は全ての涙を洗い流してくれるだろう
 主は全ての涙を洗い流してくれるだろう

    

? ね、全く違うでしょう。
 この、古関吉雄という人、上の方の資料にもあるように、明治大学の国文科の先生で、いろいろな学校の校歌の歌詞も手がけているようですから、おそらく、全く新たに作詞したものと思われます。
 なお、この古関吉雄という人、あの作曲家の古関裕而とは従兄弟の関係だそうです。

     
             南京ハゼの坊やたち

        
          上の写真の一ヶ月ほど前はまだ花でした
 
 というわけで、私の頭の中でぐるぐる巡っていた「葉裏のそよぎ」の正体は明らかになったのですが、歌詞から見ればどうやら夜の情景を歌ったもので、私が掲げる「葉裏もどき」の写真とはほとんど関係がないことも分かってしまいました。まったくドジな話ですね。
 むしろ、今の私の立場でいったら、英文の歌詞の方が近いのかも知れませんね。いまからでも遅くはない、悔い改めよ・・・・・・。
 でもやはり「葉裏のそよぎ」をハミングしながら、今後とも、逆光気味の葉っぱなんか撮り続けて満足するのでしょうね。

最近、この記事とほとんど似たものを書いた気がする。それがどこであったか思い出せない。はやり・・・。


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2 コメント

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Unknown (さんこ)
2010-08-22 11:02:47
[葉裏のそよぎーは」は、よく歌いました。
なんとなく郷愁を誘うような響きでした。
英語の歌詞を訳したのは、六文銭さんですか。
なかなかの名訳ですね。

あのころの歌には、元の歌とはまったく違う歌詞がつけられていたものが多いですね。
子供のころ覚えた歌は、いくつになっても歌えるのが、不思議です。
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Unknown (六文錢)
2010-08-23 10:11:13
>さんこさん
 >>英語の歌詞を訳したのは、六文銭さんですか。
 いいえ、既存の訳を行を整えたりしたのみです。

 往年の文部省唱歌など、賛美歌からとったものがかなりあるようです。「冬の星座」などもそうですね。

 逆のケースもあって、前にも紹介しましたが、「誠は人の道」(里見義・作詞)としてモーツアルトの曲が採用されていてその歌詞は以下のようなものなのですが、

    まことは人の道ぞかし
    つゆなそむきそそのみちに
    こころはかみのたまものぞ
    露なけがしそそのたまを

 この元歌は、モーツアルトの晩年の歌劇『魔笛』(K620)に登場するパパゲーノの第二幕のアリアとして作曲されたもので、その曲名は「恋人か女房がいれば」です。

 その歌詞は

    彼女か女房を パパゲーノは欲しいんだ
    ああ そんな気立てのいい可愛い娘がいたら 
    まさにこのうえない幸せよ
 
 で始まり

    娘っ子か可愛い女房がひとり 
    パパゲーノは欲しいんだ
    ああ やさしい小鳩がいてくれりゃ 
    おれはまったく大喜びさ
 

    誰も俺を愛してくれないなら 
    わが身をこがして死ぬまでよ
    それでも女性のくちびるがキスしてくれたら 
    そうしたら俺はきっとまた元気になるさ

 で終わります。
 まあ、これもまた「誠は人の道」には違いないと思いますが・・・。

 認知症の老女が、延々と童唄を歌うという美しい話を聞きました(さんこさん、ここんとこおばママには内緒にね)。   
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